2007年11月17日

ビートルズ入門者向けCD

 ひきつづいて中山康樹の『超ビートルズ入門』を読んだ感想です。
 前回、こういった場合、いちばんおいしいところを勧めるのが紹介者の役割ではなかと書きました。
 となると、じゃあおまえは入門者に何を勧めるんだといわれそうです。で、参考のために一応ぼくが初心者に勧めるものを書かせてもらいます。といっても、先に書いたとおりぼくはさほど熱心なビートルズ・ファンでもないもので、ぼくの意見が参考になるかわかりませんが、でも、一般論でいって誰がみてもこのへんが妥当というところはあると思うのです。
 まず、ビートルズというのは活動中に作風を大きく変化させたバンドなんで、一枚のアルバムでビートルズを代表させるのは無理があるとおもいます。そこで、前期・中期・後期から一枚づつと、ビートルズを入門するなら3枚くらいは聴きたいところだとおもいます。
 となると、後期は『アビーロード』できまり、中期は『ラバーソウル』できまりでしょう。『レット・イット・ビー』や『サージェント・ペパーズ……』から聴きはじめるよりずっといいです。
 そして前期ですが、これはオリジナル・アルバムではなく、63〜64年頃の軽快なロックン・ロールのヒット・ナンバーを集めたベスト盤を勧めたいところです。
 なぜベスト盤などと言うかというと、ビートルズがアルバムという単位を中心において作品づくりをはじめるのは65年の『ラバーソウル』以後で、それ以前はシングルが主体だったからです。これは当時のロックはみんなそうだったので、『ラバーソウル』以後のビートルズの影響で、ロックはアルバムで聴くものになっていったのですね。だから『ラバーソウル』以前のビートルズを聴くなら、アルバムよりシングルを集めたベスト盤のほうがいいわけです。
 むしろ問題は63〜64年頃の代表的なナンバーをうまく編集したベスト盤があるかという点になります。
 これが、『超ビートルズ入門』に載っていた正規盤を見ると、どうもこれが一番と勧められるものがありません。『1』は「プリーズ・プリーズ・ミー」が入ってないなど問題がありますし、コンピものの『パスト・マスターズ Vol.1』はオリジナル・アルバム未収録のものを集めたものなので、この場合は勧められません。
 とすると、いま出ているもののなかでは、赤盤(『1962年〜1966年』)のCD1を、1曲目をとばして2曲めから聴くのが、一番いいかなと思います。もっとも、これはカヴァー曲は代表的なものも入ってなく、登場時のビートルズの勢いを感じるにはベストの選曲とはおもいません。それに当然2枚組であり、CD2のほうは『ラバーソウル』とダブる曲が出てくるなどの難点が出てきます。
 この他にもおそらく廉価盤などで様々な編集でビートルズのベスト盤は出てるのでしょうが、よくわかりません。
 ビートルズほどのバンドなら、63〜64年頃の登場時のビートルズのヒット・ナンバーの数々を、CDの収録時間限界まで詰め込んだベスト盤が正規盤として出ていてもいいとは思うのですが。


 最後に、今回あらためてビートルズを聴いてみて、おもったことを一つ。
 どうも高校時代のぼくは、それでもビートルズの各時代の作品をまんべんなくは聴いていたようで、聴き逃していた部分を聴いても、それほど大きな新発見というのはなかったです。
 でも、以前も聴いていたものが、現在聴くと違ったふうに聴こえた部分があります。
 それは初期のビートルズの演奏が思っていたよりずっと上手いということです。
 こんなことを書くと、ビートルズがヘタだとおもってたのかとファンに怒られそうですが、はっきりいって高校生の頃に聴いたときにはビートルズの演奏能力が上手いとはおもえませんでした。それは、後から聴いた世代からすれば、ビートルズ登場当時のエレキ・ギターの音って、すごく情けない音に聴こえたからです。
 エレキ・ギターという楽器は1960年代末に一気に性能アップした楽器で、ジミ・ヘンドリックスとか、あのへんの時代以後のエレキ・ギターの音と、1960年代前半の音とでは、それこそマシンガンと水鉄砲くらいの迫力の差があります。さらに1970年代に入ればスタジオ録音の技術も格段に進歩し、たいして演奏能力のないバンドでも立派で迫力あるサウンドを作りだすようになります。
 ぼくのように、1970年代以後の楽器や録音のレベルで育った人間からすれば、初期のビートルズは単にその録音された音からいって、すごく情けない音を出すバンドに思えたし、けれども曲自体は親しみやすくてすごくいい曲が多いな、という印象をもっていたわけです。
 でも、それ以後、ジャズとか古いブルースとかも聴くようになり、格段に進歩する前のエレキ・ギターの音などにも親しみ、当時の楽器やスタジオ録音の限界もよく理解したうえで、もう一度初期のビートルズを聴いてみると、以前聴いていたときより格段に上手いという印象をかんじました。もちろん、超絶技巧とはそういった上手さではないのですが、コンパクトによくまとまった力のあるバンド・サウンドという気がしました。

 このコンパクトでまとまったサウンドという点でいえば、ビートルズって、エルヴィス・プレスリーというよりは、バディ・ホリーからより多くのものを受け継いでいたのかもしれません。

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2007年11月13日

ジョン・レノンの最高傑作は?

 ひきつづいて中山康樹の『超ビートルズ入門』を読んだ感想です。
 まず当初の目的の、どのアルバムを揃えれば全部の曲が聴けるかという点を調べたのですが、結果からいえば、現在ビートルズの曲をすべて聴くには、オリジナル・アルバムのほかに『パスト・マスターズ Vol.1 / 2』という二枚のコンピものを聴けば揃うようです。(『アンソロジー』のシリーズが別にありますが)
 しかし、この『パスト・マスターズ』という二枚も、私感でいえば落ち穂拾い以上の意味はかんじられないコンピですね。収録曲をみてみると、これらの曲をこの順序で聴きたいかといわれると、はっきりいってそうはおもえなかったりします。アルバム未収録の曲を集めたんでこうなったのは理解しますが。
 ともかく、近くの TUTAYA へ行ったらオリジナル・アルバムはもちろん、この『パスト・マスターズ Vol.1 / 2』も揃っていたので、わりと簡単にビートルズのオリジナル音源はぜんぶ聴けるとわかり、さっそく何枚か借りてきました。

 さて、この『超ビートルズ入門』を読んでなるほどと思った点と、あまり同意できない点を書きます。
 まず、なるほどと思った点。それは、ジョン・レノンの最高傑作は『ア・ハード・デイズ・ナイト』であるという指摘です。
 たしかにそう言われれば、そうかとおもいました。
 といっても個人的には『ジョンの魂』を強く推したいのですけど、たしかにあれはビートルズのジョン・レノンというキャラクターを前提として初めて存在する作品だといわれれば、そういう部分もあるかもしれないという気がします。『ダブル・ファンタジー』も、ジョンの曲だけ選んで並べて聴けば、ジョン・レノンというキャラクターを前提としなくても聴ける、いい曲の多い優れたアルバムだとおもいますが、たんにアルバムが作品として優れているというだけでなく、ジョン・レノンという人の勢いの頂点という意味も含めていえば、やはり『ア・ハード・デイズ・ナイト』の頃のジョンが一番凄かったんじゃないかというのは、納得できる指摘です。
 ぼくはビートルズは後から一気に、順番もめちゃくちゃに聴いたもんで、この頃はジョンに勢いがあり、この頃はポールがすごかったなんていうことはまったく考えずに聴いていたのですが、たしかにそういう点を注意して見てみると、ビートルズの初期、『ア・ハード・デイズ・ナイト』を頂点とするあたりはジョンの個性がビートルズをリードしていて、それが後期に入った頃には精彩が失われるのがよくわかります。

 続いて、あまり同意できない点です。
 さて、この『超ビートルズ入門』、ビートルズの入門者が聴くべきアルバムの順番が紹介されているんですが、ぼくはまったくこの順序に賛成できませんでした。
 これは、リスナーがビートルズがリリースした曲をすべて聴くことを前提として、聴くべき順序を紹介しているんですが、はたしていままでビートルズを知らなかったリスナーで、最初からビートルズのアルバムを全部聴こうと決めてから聴きはじめる人なんて、そんなにいるもんなんでしょうか?
 ふつう、まず良さそうなものから聴いてみて、気に入ればその次、その次と聴いていって、結果的に全部聴くことになるかもしれないし、途中で飽きるかもしれないっていう聴きかたのほうが正常じゃないでしょうか。
 筆者はビートルズを聖域にするなというのですが、そのかわりにビートルズをお勉強の対象に化そうとしているように感じます。つまり、まずビートルズの全体像を掴もうなんて、受験勉強でビートルズを聴くような発想で、落ち穂拾いの寄せ集めでしかない『パスト・マスターズ Vol.2』や、『マジカル・ミステリー・ツアー』のようなアルバムから聴かせようとします。そして結局は『アビー・ロード』より先に『レット・イット・ビー』を聴かせたがるのです。
 でも、こういう場合、紹介者っていうのはビートルズのいちばんおいしい部分を紹介するのがつとめなんじゃないですかね? だいたい『レット・イット・ビー』が一番売れてるなんていうのは、みんなビートルズのアルバムでどれがいいのかわからないんじゃないですか?
 ビートルズのアルバムでどれが傑作かというと、評論家はみんな『サージェント・ペパーズ……』をホメますけど、あれって本当にそんなにいいアルバムですかね? サウンド作りが革新的だったことは認めますけど、曲の点からいうとビートルズのアルバムのなかでは、そんなに親しみやすい名曲がそろってるアルバムじゃないですよ。少なくとも初心者にビートルズのアルバムを全部聴かせたら、あれが一番いいと第一印象でおもう人って案外少ないんじゃないですかね。
 ビートルズの入門書を書くなら、どれがいいアルバムかを紹介して、それを勧めるべきなんじゃないですかね。

 といったところで、この項はまだつづきます。
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2007年11月11日

ビートルズって聴かれているの?

 図書館へ行ったとき、中山康樹の『超ビートルズ入門』という本があったのをみつけ、他の本のついでに借りてきました。
 ぼくはとくにビートルズの熱狂的なファンだったことはなく、高校生くらいのときに聴いて、すこしだけの期間ハマってはいましたが、わりとすぐ卒業して興味が他に移ってしまいました。そういった意味ではローリング・ストーンズのほうがずっと長く深く聴いています。
 けれども、ハマッて聴いていたのが短期間であり、当時は高校生でお金もありませんでしたから、とうぜん聴き逃している曲やアルバムがけっこうあります。いつか機会をみて、それらを一通り聴いてみたいなという気持ちはありました。
 けれどもビートルズってオリジナル・アルバムを聴いていっただけでは、けっこう洩れている有名曲が多く、では、どのようなCDを聴けば効率的に全部の曲が聴けるのか、熱心でないリスナーにはわかりにくいところがあります。そこでこの本を見つけたとき、その参考にしようかとおもって借りてきて読んでみたわけです。
 けれど、それ以前にこの本にはけっこう個人的には衝撃的な事実を知らされました。
 というのも、この本に載っていたことによると、日本で一番売れたビートルズのアルバムとは、2000年に出た『1』というベスト盤だというなんだそうです! いったい60年代以来のビートルズ・ファンたちは何を買っていたのでしょうか?
 さらに、ビートルズのアルバムの売り上げで『1』に続くのは、いわゆる赤盤、青盤というベスト盤だそうで、まあここまではゆるします。なにしろビートルズはオリジナル・アルバムだけ聴いていたのでは聴けない有名曲がたくさんあるバンドですから。
 しかし、それに続くのが『レット・イット・ビー』で、これがビートルズのオリジナル・アルバムとしては一番売れたものだというのです!
 なんてことだ! 日本におけるビートルズの聴かれかたって、こんな惨状だったのでしょうか? 自己申告によると山ほどいるはずのビートルズおやじたちは何をしていたのでしょうか。ビートルズのアルバムなんて聴かないでビートルズ・ファンを自称してたんでしょうか? ビートルズって聞いてまず『レット・イット・ビー』を手にとるなんて、そりゃあビートルズなんてほとんど聴かない人の選択ですよ。ジョン・レノンってきいて『イマジン』って即答するのと同じです。

 しかし、そう思うとけっこう思い当たることもあります。
 高校時代のことです。友達と話していて、たまたまビートルズのラストアルバムのことが話題になり、ぼくはまビートルズのラストアルバムはリリース順でいえば『レット・イット・ビー』だが録音順でいえば『アビー・ロード』であり、『アビー・ロード』こそがビートルズのラストを飾る名作だと、いまでもそう思っている当然のことを言いました。
 しかし、友達の一人はたしかに録音順ではそうかもしれないが、『レット・イット・ビー』こそがビートルズのラストを飾る名作なんだから、『レット・イット・ビー』をビートルズのラストアルバムと呼びたいといいだし、ところがその場にいた他の友達全員もその意見に同意し、『アビー・ロード』派はぼく一人になってしまいました。
 あれだけウルトラ・メジャーなロック・バンドでも、ビートルズってこの程度しか聴かれてないんだと思った瞬間でした。といっても、それはぼくが高校生の頃の話で、もっと上の世代、とくにビートルズ世代などといわれる人たちのあいだでは、もっと違った、深い聴かれかたをしているのかとおもってました。
 それが、この程度だったとは……。

 といったところで、この項はつづきます。
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2007年08月05日

すごいぞ、ヴィトウス『Universal Syncopatons II』

 中古CD屋通いが趣味となってしまうと、リリースされて間もない新作を買うことは少なくなります。中古屋におりてくるのが待ちきれず、高い値段でも今すぐ聴きたいと思わせてくれるミュージシャンというのも少ないわけで。
 でも、それだけに高い値を払って買ったアルバムが大傑作だったりすると、そんな傑作とリアルタイムで出会えたことに血が湧きたちます。
 ということで、ミロスラフ・ヴィトウスの『Universal Syncopatons II』!! こりゃあ凄い! 大傑作です。
 そもそも、前作にあたる『Universal Syncopatons』もそれはそれで傑作でした。単独ソロ作としては11年ぶりという話題性もあり、参加メンバーがヤン・ガンバレク、ジャック・デジョネット、チック・コリア、ジョン・マクラフリンというオールスター・バンドで、しかし単にオールスターで演奏してみました的な内容ではなく、自分の音楽を展開してみせた内容が、実に魅力的でした。
 実際、『Universal Syncopatons』は好評で、セールスも好調だったようで、それが今回のタイトルにも反映しています。
 とはいえ、前作での方法は(優れた演奏であるという点はおくとすれば)これまでのヴィトウスのECMでの諸作を聴いてきた立場からいえば、それほどは新味のないものだったともいえます。
 けれど、今回は違います。
 今回のアルバムではこれまで通りの緊張感あふれるジャズ的な演奏に、独特のオーケストラ・サウンドがくわわって、幻想的ともいえるサウンド・パノラマをくりひろげているのです。
 そもそもヴィトウスはMIDIのオーケストラのサンプルCDの制作者としても有名なようです。ぼくはそっちのほうは詳しくないのですが、なんでも世界最高のクオリティのもののようで、MIDIでオーケストラ・サウンドを作りたい人はまず揃えたいものとして、フルセット買えばバカ高い値段であるにもかかわらず売れているようです。
 ひょっとすると前作までソロ作が11年も間があいたというのも、そっちのほうに熱中してたからかもしれません。
 けれど、そのサンプルCDを使って作り出したサウンドというのは、これまでのアルバムにはほんの少し入ってるだけでした。それがここにきて、このアルバムで一気のその成果をみせてきたのです。
 といってもヴィトウスのこと、いかにもってかんじの、フツーのオーケストラ・サウンドなんて作りません。どこかうすら寒いような独特のサウンドを、緊張感のあるジャズ演奏にのせてきます。そのスリリングで見事なこと! とくに後半はちょっとクラシック系の現代音楽のオーケストラ作品をおもわせるような雰囲気のところまであって、MIDI による疑似オーケストラというのがこれほどの表現ができるのかと目からウロコが落ちました。
 かつて超絶技巧ベーシストとして登場(みんなその技巧が信じられなくて、テープの早回しか多重録音ではないかとおもったそうで)した青年も、はや60歳になったようで、しかし、ここからが本当の総合音楽家としてのヴィトウスの出発ではないかと予感させるような傑作です。
 いやあー、ぜひ今回も売れて、また早いペースで次作も出してほしいですね。
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2007年07月08日

ドリフターズといえば

 ビル・ピンクニーという歌手が亡くなったそうです。といってもぼくも誰のことかわからなかったのですが、ドリフターズの初期のメンバーだと知って、ああ、と思いました。ドリフターズの結成時のメンバーはこれで全員亡くなってしまったんだそうです。
 ドリフターズといったら日本人の10人に9人以上はいかりや長介や加藤茶、志村けんらがいたグループのほうを連想するでしょう。アメリカのコーラス・グループのドリフターズを連想する人がいたとしても、これまた10人に7、8人は「スタンド・バイ・ミー」で有名なベン・E・キングがいて「ラストダンスはわたしに」とか「ディス・マジック・モーメント」などのヒットを出していた時代や、あるいはもっと後の「渚のボード・ウォーク」や「アップ・オン・ルーフ」などのヒットを出していた時代、つまりは1959年以後を思い出しそうな気がします。しかし、初期のドリフターズというのもまた別の特別なグループでした。
 ぼくはドリフターズのCDは2枚組のベスト盤を2組、1953-1958年のベスト盤と1959-1965年のベスト盤の計CD4枚分をもっていて、その他は聴いたことはないのですが(当然、リアルタイムで聴いていたわけでもなく)、この前期の1953-1958年のベスト盤のほうの1枚目、クライド・マクファターがリード・ボーカルだった時代の録音というのは、特別な愛着をもっています。この時代の「マニー・ハニー」なんていうヒット曲は、たしかドゥーアップというジャンルの先駆けとなったものだったとおもいます。
 クライド・マクファターという人はとてもいいボーカリストだったとおもいます。最初ビリー・ワード・アンド・ドミノスというグループでリードをとり、そしてドリフターズを結成しました。この後ソロになりますが、なまじっか人気が出てしまったばかりに当時の売れセンの歌ばかり歌わされるようになり、そんな仕事ばかりやらされるのが嫌だったのか酒びたりになり、けっきょくツブされて若くして亡くなってしまったのだとどこかで読んだおぼえがあります。でも、実力的にはサム・クックやレイ・チャールズとならんで最初期の代表的なソウル・シンガーの一人になってもよかった人なんじゃないかとおもいます。そんなわけで彼のボーカルを聴くにはソロ時代よりもこのドリフターズ時代かドミノス時代のほうがよいです。
 クライド・マクファターがやめた後の、ベスト盤の2枚目の時代では「ルビー・ベイビー」などがヒットしています。これはドナルド・フェイゲンがたしか『ナイトフライ』のなかでカヴァーしていた曲ですね。ぼくはフェイゲンのバージョンのほうを先に聴きました。

 ぼくが古いブラック・ミュージックを聴きはじめたのは、リアルタイムで聴くいまの音楽よりいい音楽がたくさんあると知ったからです。もちろんリアルタイムの音楽も並行して聴いてましたし、好きなものもいろいろありますが、やはりブラック・ミュージックの黄金時代というのはもう過ぎ去ってしまったのかなと思いながら聴いてきました。
 いま久しぶりに引っ張りだしてきて、初期のドリフターズを聴いていますが、1950年代というのは音楽がいまほど商業性をおびずに、必然性をもって鳴っていた時代のような気がしてきますね。なにも過ぎ去った時代ばかり懐かしがる気はないのですが(それどころか、当時ぼくは生まれてもないので、懐かしがりようもないのですが)、やはり黄金時代だったんだなという気がしてきます。
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2007年06月18日

かの香織のベスト・アルバムがリリースされたようです

 かの香織さんの新曲入り2枚組ベスト・アルバム『angel songs』がリリースされたようです。(まだ聴いてませんが)
 ぼくがかの香織を聴いたのは、厚紙の箱入りの『Specialite(スペシャリテ)』というベスト・アルバムを中古屋で、パッケージが気になってたまたま手にとってみたのがきっかけです。聴いてみると、なんだかどこかの夜の都会を宙をすべる乗り物にのって旅行しているような、すごく心地よいサウンドでした。
 で、興味をもったのですが、その頃すでに彼女はあまり新作を出さなくなっていたようで、他のCDを探してみたら数枚は中古屋で安く手に入ったのですが、もう手に入らなくなっているものも何枚もありました。どんな人なのかわからず、ネットで検索してみたりもしました。
 その頃は日本のポップスというものをまったく聴かなくなっていた頃で(流れてくる曲はしぜんに耳に入ってはいましたが)、彼女の曲がきっかけになって日本モノも少し聴いてみようかと思いだしまして、以後、ときどきは日本モノを聴きながら今に至っています。
 そのときオリジナル・アルバムとして手に入ったもののなかでは『Extra Bright』と『裸であいましょう』というのが好きですが、最初に聴いたからということもあるのかもしれませんが、やはり『Specialite』というベスト・アルバムがすごく良いもののようにおもえます。曲の配列がよく考えられているし、バージョン違いの曲が入っている場合でもこっちのバージョンのほうが良く、単にシングルやよくできた曲を集めたものではなく、ベスト盤として違う作品になっている気がします。
 そんなわけで、また引っ張りだしてきてこの『Specialite』を聴いてしまいました。
 一曲めが「青い地球は手のひら」というのがいいですね。これは「毛布と紅茶で世界地図を広げ」て空想の飛行機で幻想旅行をするという曲で、この曲が冒頭にあることによってアルバム全体が幻想飛行のような雰囲気がでるのです。つづく「太陽の理由」などの曲もサウンド的に似ているので幻想飛行の続きのような感じで聴けます。そして「ばら色の人生」はオリジナル・アルバムに入っているものより、ここに入っているピアノのみのバラード・バージョンのほうが幻想的でいいです。一人で歩く足音がさびしいから、早く歩けば二人ぶんの足音になるかしら……といった歌詞もいいですね。
 歌詞の面からいくと、ぼくは出色なのは「僕だけの休暇」ではないかとおもいます。これは最初聴いたときは何なのかよくわからなかったんですが、おそらく主人公はちょっとしたことで恋人と別れて、でもまだその恋人が好きで、その恋人と将来一緒に暮らそうと夢みていた外国の町にいま一人で住んでいる……という状況なのではないかとおもいます。そうしたら、その元恋人から突然手紙が届いて、「ブラック・ホールに半分のまれて、もう僕は終わっちゃいそう」なほど驚く。でも、手紙を読んでみると「もうきみからはちっとも必要とされてない」と知ってしまい、肩をおとす。そんな気持ちのまま車を飛ばすと、その頭上には限りなく澄んだインディゴ・ブルーの空が広がっていて、それが「僕だけのホリディ」だといってる歌詞ではないかと。
 などといろいろ思いながら、また『Specialite』を堪能してしまいました。いまでも少しも古くなっていませんね。

 とおもいつつネットで検索してみたら他にも知らないあいだに出ていたアルバムがあるようです。今度のベスト盤ともども楽しみにしましょう。
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2007年04月04日

アンジェラ・アキの「Home」

 しばらく短歌から興味がそれてたんですが、今年も題詠100首が始まったので参加させていただき、また短歌を書いています。
 こういうものを書きはじめると、けっこう日本のポップスなんかも聴いてみたくなります。普段はジャズ、フュージョン系や洋楽など、歌詞は無いか外国語の音楽を中心に聴いてるのですが、日本のポップスを歌詞に注意しつつ聴きたくなるわけです。別にパクったり真似たりしようとはおもわないのですが、いいフレーズなど聴くといい刺激になって、自分もやる気がでてくるのです。
 そんなわけで、比較的最近の日本のポップス系の曲を聴いてみていて、最近みつけたのが、アンジェラ・アキさんの「Home」という曲。別に新しくはないのでしょうが、ぼくは最近聴きまして、これはいい曲ですね。
 この曲の歌詞は「ふるさと」という、ちょっと古すぎるんじゃないかという言葉をもってきて、それを擬人化して「あなたを呼んでいる」と結ぶところにポイントがあるとおもいます。「ふるさと」だけだと童謡か演歌の歌詞みたいですが、「ふるさと」にたいして「あなた」と呼びかけるセンスはなかなか真似できるものじゃないとおもいます。

 どうもぼくは偉ぶって書かれた詩というものに反感があり、多くの人に伝わるようにつくられた作品を好意的に感じるところがあるようで、難解ぶって書かれた詩より、ポップスの歌詞などをいいと思うことも多いです。もっとも、ポップスは売れセンを狙うとどれも最大公約数的な似たような内容の歌詞になるので、あまり売れてない人か、アルバム収録の曲などにいいフレーズの歌詞が多い気がします。
 例えば「握」なんて字が今回の題詠100首のお題にありましたが、こんな歌詞のフレーズを超えるものはなかなか無い気がします。

  握りこぶしのなかに あるようにみせた夢を
  あと二年 あと十年 忘れ捨てるまで          中島みゆき「歌姫」から

 これ、ひとに借りたアルバムのなかに入っていて知ったものですが、いいですね。
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2007年02月26日

伊藤由奈のアコースティック・ライヴ

 伊藤由奈という人の歌はさいきんあちこちで耳にしていまして、昨日、ウチのほうにはケーブルテレビで入っている Music On! TV でアコースティック・ライヴを一時間ほど放送していたので、何の気なしにHDに録画しておきました。聴いてみるとこれがなかなか良くて、CDと聴き比べたわけではないのでわかりませんが、いままで聴いていたオリジナル・バージョンよりずっといいんじゃないかというかんじで、トーク部分をカットした43分ほどをMDに録音して聴いていたのですが、飽きません。なんだか、ライヴだけで終わらせずに、こういうのCDにしたらいいんじゃないのかな、とおもったんですが、そんなふうに感じるのってぼくだけなんでしょうか。
 ある程度以上の歌唱力のある人の場合は、こういったアコースティック・バンドをバックにした一発録りのほうが、むしろいい部分が出ることが多いんじゃないでしょうか。何でもかんでもギンギンなギターに大仰なシンセで飾りたてればいい音楽になるわけでもなし、スタジオで別録り・ミキシングすることがいつでもいい結果につながるわけでもないとおもうのです。ぼくがそういう音楽を聴き飽きてきたということでしょうか。
posted by aruka at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

マイケル・ブレッカーが亡くなったそうです

 おとといの13日にマイケル・ブレッカーが亡くなったそうです。57歳で、白血病だったそうです。ジャズマンのなかにはもっと極端に夭折の人も多いのですが、上の世代にあたるウェイン・ショーターなどが現在も驚異的な若々しさで活動しているなか、やはり早いものだとおもいました。
 といっても個人的にはマイケル・ブレッカーは有名サックス・プレイヤーのなかでは、むしろほとんど思い入れのない人にあたります。というか、どうしてこの人があんなに評価されるのかという謎が、この人のアルバムをいろいろ聴いてみた理由でもあります。
 なんだか一時期、マイケル・ブレッカーがサックスの奏法のすべてを変えたとか、異様に高く評価している評をときどき見かけたのです。しかし、どう変えたかは説明してないわけです。個人的にはどこがそう評される理由なのかまったくわからなかったもんで、聴いてみたりしていました。結局わかりませんでしたが。
 とくにフュージョンからジャズに移行しはじめた頃のこの人のジャズ演奏にはほとんど魅力をかんじませんでした。スタイル的には遅れてきたハードバップというかんじの50年代風の男性的なテナーで、機械的な速弾きなわけですが、フレーズに味がなくて印象に残らず、アドリブがつまらないうえ、リズム隊に切り込んでいかずに上に乗ってるだけという感じでリズム的な迫力もありません。これで50年代に登場していたらほとんど注目もされないまま終わったんじゃないかという印象でした。彼が思い入れのあるというコルトレーンより、むしろジョニー・グリフィンとかと近いタイプでしょうか。
 一方で好きなのはフュージョンの演奏で、強烈なファンク・ビートをバックにするとリズム隊に切り込まない奏法も問題ないし、作編曲性の強いサウンドのなかではフレーズの無味が気にならず、むしろ彼の機械的な速弾きが曲に攻撃的なアクセントを与えている気がしました。とくに EWI などシンセや電化されたサックスの使用にかんしては第一人者というべきで、彼に並ぶ人を思いつきません。
 彼のジャズ演奏にそれでも味が出てきたなと思ったのは2000年の『Nearness Of You』あたりでしょうか。でも、スタイルは50年代〜60年代あたりのアコースティック・ジャズそのままだし、といって演奏は50年代〜60年代あたりの名盤の数々をこえるほどのものとはおもわなかったんで、個人的にはジャズを演奏する彼は、やはり最後まで遅れてきた中堅ハードバッパー以上のものではなかったです。
 近年は彼はジャズ・ジャーナリズムによって「テナーの巨人」といった呼び方がされてました。それは伝統的なアコースティック・ジャズのスタイルで、男性的でスケールの大きいテナーを吹くジャズマンが同時代に一人ぐらいいてほしいという、ジャズ・ジャーナリズムの願望によって付けられた称号だったのでしょう。たしかに、ウェイン・ショーターであれば狭っくるしい伝統になんて収まってるタイプではないし、デイブ・リーブマンはずいぶん前からソプラノのほうがメイン楽器になっているようなんで、無難なのはジャズ転向後のマイケルということになるのでしょうか。たしかマイケルの前は、晩年になって鋭さと攻撃性を失った頃のジョー・ヘンダーソンが「テナーの巨人」と呼ばれてました。
 しかし、ジャズ・ジャーナリズムが期待する「テナーの巨人」といったイメージにぴったりと収まってしまう程度の演奏しかできないジャズマンが、真の意味で「巨人」といえるのでしょうか。
 やっぱりぼくは、マイケル・ブレッカーであれば、ブレッカー・ブラザーズの『Heavy Metal Be-Bop』や、ステップス・アヘッドの『Live in Tokyo 1986』など、フュージョン・バンドをバックに EWI やエレクトリック・サックスを吹いていた頃の演奏が真骨頂だったとおもいます。
 といっても、おそらく彼自身はフュージョンよりジャズをやりたかったんでしょうが。
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2006年06月07日

Downtown Train

 このまえの「Ol'55」がきっかけになって、トム・ウェイツのアルバムをまとめて聴きかえす週間になってしまいました。
 トム・ウェイツには名盤、名曲は数ありますが、とくに印象にのこっているのは1985年の『Rain Dog』というアルバムで、シングル・カットされた「Downtown Train」はきわめつきの名曲という気がします。この曲は多くのミュージシャンによってカヴァーされてますが、やはりトム・ウェイツのバージョンが一番いいですね。トムのボーカルだけでなく、演奏者全員が見事なぐらい決まってるのです。というか、この『Rain Dog』というアルバム全体が凄いんですが。
 このまえの「Ol'55」を自分なりに訳しながら紹介していくのが楽しかったので、今回はこの「Downtown Train」の歌詞を自分なりに紹介してみることにします。

 イントロはリズム・セクションにのせてギターから入ります。この曲の無骨で力強く、必要なこと以外は何も言わないようなリズム・セクションと、冷たくて甘い金属的なリード・ギターの組み合わせは惚れ惚れするくらいいいですね。
 歌いだしはこのような歌詞です。

   外では、また今日の月が
   夜間にパンチ穴を開けている
   俺は窓によじ上って、街へはい出す
   新品のコインみたいにピカピカに光って

 この歌いだしだけでもゾクゾクきますね。
 「パンチ穴」というとピンとこない人も多いかもしれません。いまでは磁気カードなどが主流ですが、以前にはパンチカードという、さまざまな場所に穴の開いたカードがあって、ガチャンという音とともに機械的に読み取る装置があったわけです。時間ぎめの仕事で出社したときには、いまはカードでピッとやるかわりに、パンチカードでガチャンとやってたんですね。「夜間にパンチ穴を開けている」という表現は、主人公がそういった仕事かバイトをしているようなイメージを感じさせるもののような気がします。
 「新品のコインみたいに光ってる」というのもうまい表現ですね。つまり、光ってはいるけど、ダイヤモンドのように光ってるわけじゃない。そもそもアメリカでは1ドルがすでに札ですから、コインっていったらかなり安いものなんです。いくらピカピカに光っていても、新品のコインていどの安っぽい輝きなんですね。
 さて、家の者に気づかれないように窓から街へ出た彼は、駅に向かうわけです。すると……

   ダウンタウンを走る列車は
   そんなブルックリンの少女たちでいっぱいだ
   みんな自分たちだけのちっぽけな世界から
   抜け出そうと必死になってるんだ

 ブルックリンはニューヨークの下町(ダウンタウン)です。彼が電車に乗るとそこは、彼のように窓から抜け出してきたような、コインのようにピカピカに光った女の子で満員なわけですね。
 みんなつまらない日常生活をおくっているわけです。毎日同じような顔と顔を向き合わせて、変わりばえのしない小さな世界で生きている。そして、そこから抜け出そうと必死になって、毎夜、電車で街へと踊りに行くわけですね。彼ももちろんその一人です。
 ここまでは主人公の彼がどんな生活をおくっているかの説明です。
 そして、この後からラブソングになっていくのですが、はじめのうちは何をいっているのかわかりません。なんだか「奴ら」というのを必死でバカにしているのです。「奴らはカラスみたいに散っていく」とか、「奴らは花のない、刺だけの薔薇だ」とか。
 そしてこのフレーズが出てきてようやく、ああ……とわかるわけです。

   ああ、もし俺があの男だったら……
   きみが選んだたった一人の男だったら
   ねえ、ベイビー。俺の声がきこえるかい?
   俺の声がきこえるかい?

 彼が恋する彼女は「奴ら」のうちの一人と結婚してしまったんですね。だから必死になって「奴ら」をバカにしてたわけです。
 そしてサビにいきますが、このサビはトム・ウェイツの曲にしてはあまりいい歌詞ではありません。直接的すぎて、わかりやすいのですが、表現として深みがないです。

   今夜、ダウンタウンを走る列車で
   きみに会えたらいいのにな
   毎日が退屈で死にそうなんだ
   きみがいなくなってしまってからは

 でも、これで主人公の彼のおかれている状況がわかりますね。
 以前は、ダウンタウンを走る列車のなかで彼女に会えた。彼女も新品のコインのように光っている女の子の一人だった。でも、彼女は「奴ら」の一人と結婚してしまって、もう会えない……。
 ダウンタウンに生活する彼が嫌う「奴ら」というのは、たぶんアップタウンに住むおぼっちゃんでしょう。温室育ちの薔薇です。だから「花のない、刺だけの薔薇だ」とかバカにしてたわけです。でも、彼女が「たった一人の男」として選んだのは、「奴ら」なんです。
 さて、この歌詞がほんとうにいいのはここからです。

   俺はきみの窓を知っている
   もう、遅すぎるってことも知っている
   きみの家の階段も入口の場所も俺は知っている
   きみの家への道をたどり
   きみの家の門の前を通りすぎ
   四つ角の明かりの下に、俺は立っている
   きみは俺たちが堕ちていくのをだまって見つめている
   ベイビー、みんな心臓麻痺を起こしているのさ
   誰もがいま、カーニバルのなかにいる
   でも、誰ももう二度ときみを勝ち取れないんだ

 冒頭の「I know ……」というパターンがくり返されます。このような同じフレーズをくり返していくのはトム・ウェイツが得意とする手法です。
 たぶん彼女は仲間うちでのアイドルみたいな女の子だったのでしょう。カーニバルの女王のような。今度は誰が彼女とデートできるのかをみんなが狙っていたような。そうしてみんな毎夜、彼女に会いたくて、ダウンタウンを走る列車に乗って、踊りに行っていたのでしょう。
 でも、彼女はどっかのおぼっちゃんとさっさと結婚して、そんな生活から足を洗ってしまった。いまでは門があって、入口まで階段がつづく立派な家に住んでいる。
 そして後に残されたのは、毎夜つづくむなしいカーニバルからいつまでも抜け出せない者たちです。
 じつのところ「自分たちだけのちっぽけな世界から抜け出そうと必死になって」毎夜踊りに出かけたって、たいていの場合、そう抜け出せるものではありません。毎夜踊りに出かける生活が続くだけです。「俺たち」はそんな終わらないカーニバルのなかで(比喩的にですが)「心臓麻痺を起こし」はじめている。そうして「俺たち」がそんな生活のなかに埋没して落ちていくのを、さっさと足を洗った「きみ」は、だまって見つめているんだろう……と訴えているわけです。
 でも、すべては遅すぎる、そのことは彼もわかってるわけです。
 そしてサビへいきますが、ここでサビの部分の歌詞が変化します。

   今夜、ダウンタウンを走る列車で
   きみに会えたらいいのにな
   俺の夢のすべてが、雨のように降り落ちてゆく
   ダウンタウンを走る列車の中だけで

 そんな毎日のなかで自分の夢も希望もすべて擦り切れて消えていってしまう。それはわかっている。わかっているけど、また夜になると新品のコインみたいに光って窓からはい出して踊りに行くしかない。そんな毎日を続けるしかない……。
 そういう歌詞です。
posted by aruka at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

Ol' 55

 近くのレンタル店で、イーグルスのベストアルバムのCDを借りてきて聴きました。実はイーグルスって必ずしもぼくの趣味ではなくて、いろんな場所で耳にはしてたんですが、CDでちゃんと聴くのはこれが初めてです。ということで、最初はベスト盤でいいか、という気で借りてきたわけです。
 で、聴いてみると良く知った曲が入ってました。もちろんイーグルスのヒット曲もそれなりに知っているのはあるわけですが、注目したのはトム・ウェイツをカバーした「Ol' 55」でした。そういえば、これがカバーされたことでトム・ウェイツは知られるようになったんだと聞いたこともあります。
 イーグルスとは逆にトム・ウェイツはぼくが愛聴してきたミュージシャンなのですが、そういえば最近聴いてなくて、このイーグルス版「Ol' 55」を聴きながら久々に聴くトム・ウェイツの曲に思わず落涙するぐらい感動してしまいました。
 トム・ウェイツは歌詞がいいんですよね。今回はちょっとこの曲を自分なりに訳しながら紹介してみます。

 まずタイトルの「Ol' 55」は「Old 55」の略で、「懐かしい'55年」という意味とも「懐かしい'55年型(の車)」という意味ともとれます。たぶんダブル・ミーニングで両方の意味を含んでいるんだと思います。これは自動車の歌なんです。
 まず曲はこのように始まります。
 
   そう、時が過ぎるのは早いものさ
   僕は大急ぎで歩いてたんだよ
   あの懐かしい僕の'55年型まで

 この最後の部分は「懐かしきわが'55年まで」とも訳せます。両方の意味を含んだ表現だとおもいます。
 ご覧の通り、この曲は現在の時点から過去を振り返っている内容です。'70年代前半に書かれた曲なんで、'55年というと15〜20年くらい前で、個人的な印象でいうと、30代半ば〜後半の主人公が、20歳前後に最初の愛車を手にいれた時のことを歌っている曲に思います。
 さらにいえば、70年代のアメリカ人にとって50年代というのは、単なる十数年前の過去ではないですね。アメリカ社会は60年代に劇的に大きく変化するので、70年代からみると50年代のアメリカというのは、失われてしまった古き良き世界という感じが強いはずです。
 とくに50年代のアメリカ車というのは大きくて立派で、いちばんアメリカ車らしいアメリカ車が造られていた時代という気がします。「'55年型」というのは単なる過去をあらわす数字ではなくて、そんな失われてしまった世界の象徴という気がします。
 さて、曲は主人公が愛車を手にいれた時のことが歌われていきます。
 
   ゆっくりと走り出したら
   まるで至福の気分さ
   「生きてる」って気がしたんだ

   そして太陽が昇ってきて
   僕は幸運の女神を乗せて走ってたのさ
   フリーウェイを走る車もトラックも
   星さえもが後ろに消えていって
   僕はパレードの先頭を走ってたんだ

 このへんの気分って、車好きの人にはかなり共感できるものなんじゃないでしょうか。
 ようやくの思いで初めて愛車を手に入れて運転したときの夢のような高揚感。たぶんいい車だったんでしょうね、加速も素晴らしくて、フリーウェイで他の車をどんどん追い越していってしまう、そんな自分の車を誇りたくなる気持ち……。しかも車は黄金の50年代のアメリカ車で、それが新車だった時代です。
 そして彼が愛車に乗って走り出したときに初めて「生きてる」気がしたというところに、これを手に入れるまでの彼の忙しいだけでむなしかった生活もうかがえます。ここの部分も55年型の愛車のことではなく、55年になってようやく生きている実感が湧いてきた、という意味にとることもできると思います。
 サビの後半にいきます。

   ねえ、もう少しだけ
   もう少しだけでも、ああしていたかったよ
   神様、わかるかい? そんな気持ちは
   いまでも強くなるばかりなんだ

 と、ここで現在の主人公の気持ちが歌われて1コーラスめが終わります。
 そして2コーラスめでは主人公の現在の状況が歌われていきます。

   朝の6時
   忠告なんてよしてくれよ
   僕は行くしかなかったんだ
   他の車に追い越され
   トラックにパッシングされながら
   あの場所から家へと戻っていくのさ

 まさに現実ですね。あの'55年型に幸運の女神を乗せて走っていたときの面影はありません。そういうものですよね。
 最後の一行は「your place」から家へと戻っていく……と書かれているのですが、ここでの「you」はたぶん現在の彼の恋人のことではなくて、'55年型のかつての愛車のことではないかとも思えます。
 そして曲はサビの部分をくり返して終わっていくのですが、そのサビの後、最後の最後の部分ではサビのなかのこのフレーズだけをしつこいくらいにえんえんとくり返していきます。

   そして太陽が昇ってきて
   僕は幸運の女神を乗せて走ってたのさ
   フリーウェイを走る車もトラックも
   幸運の女神を乗せて走ってたのさ
   フリーウェイを走る車もトラックも
   幸運の女神を乗せて走ってたのさ
   フリーウェイを走る車もトラックも
   幸運の女神を乗せて走ってたのさ……

 このあたりで「懐かしき'55年型の車」の歌は、フリーウェイを走るすべての車が幸運の女神を乗せて走っていた「懐かしき'55年」の歌へととけ込んでいきます。
 トム・ウェイツ版のほうのこの曲は、彼の1st にあたる『クロージング・タイム』に収録されてますが、たぶんベスト盤などでも聴けるでしょう。
 ぼくはやっぱりトム・ウェイツが歌ったバージョンのほうが好きですね。まあ、好き好きだとおもいますけど。
posted by aruka at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

Richard Bona の「tiki」

 ずっと新譜チェックを怠り、最近はオペラなど新ジャンルを聴いたりしていて、ふと気づいたらアンドリュー・ヒルとリチャード・ボナとドナルド・フェイゲンがニュー・アルバム出してました。
 こりゃあいけないと、さっそく店に行ったけどヒルはどこ探してもなく(「おいっ!」)、フェイゲンはとりあえず後まわしにして、ボナ買ってきました。
 ところで、ボナは今年の2月に来日してライヴを行っていたようで、激しく後悔。……ったく情報にウトい人間はこれだから。

 というわけで、ボナの新作「tiki」ですが、
 いやあ、いいですね!
 いつもどおり、リーダー作でのボナはマルチ・プレイヤーぶりを発揮して多くの楽器を演奏し歌もうたった曲が中心で、ジャンルでいえばワールド・ミュージックといったほうがいい内容です。マーカス・ミラーが驚いたというジャコ・パストリアスばりの速弾きベース・プレイヤーとしての側面は抑えてあります。
 しかし、ぼくはこういった演奏でのボナのベースも凄いんだと思っています。
 もともとボナはこれみよがしにテクニックをみせるタイプではありません。前作の日本版ボーナス・トラックに入っていた「Liberty City」のライヴ演奏を含め、ボナのアルバムはベーシストのリーダー作にしてはベースの音を小さめにミキシングしてあります。ジャズ/フュージョン系のセッションでも、それほど前へ前へ出てくるタイプではありません。(このへんジャコと違います) たぶんボナはベースという楽器の本来の役割のなかで巧さを見せる演奏が好きなタイプだと思います。
 ベースがいいと演奏に安定感があるものですが、ボナの場合、安定しながらも軽快に舞い、リズムがいい感じに跳ねるのが特徴だと思います。これはリズムをさらに非常に細分化してとらえ、自由にアプローチしているからできることでしょう。さりげないフレーズを弾いても、音を出すタイミング、止めるタイミングが絶妙で、そこから独特の軽みとノリが生まれてくるのです。
 ボーカルにかんしても、ぼくはサリフ・ケイタとかユッスー・ンドゥールなど絶唱型のボーカリストよりボナのソフトな歌いかたのほうが好きなのですが、それでもボーカルだけでの表現力でいったら、やはりケイタやンドゥールに譲るところだと思います。やはりベースを始めとする演奏がバックを支えている演奏全体で聴かせるタイプだとおもいます。
 その演奏のなかで、ボナのベースはじつによく歌い、語っていて、さりげなく演奏している曲でもベース中心に聴いていると底知れない深みをかんじます。一聴すればボーカル主体のワールドミュージックに聞こえますが、やはり凄いベース演奏だと思います。

 などといってますが、ほんとういうとぼくとしては凄かろうが上手かろうがどうでもよくて、ただボナのベースが聴いていたいだけなんですけど。
 こんなふうに、一度味を知ってしまったらたまらなく聴き続けたくなるベースを弾く人って、他になかなかいないと思います。
 なんかベースの「声」と「語り口」が絶妙なんですよね。
posted by aruka at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

熊田曜子の「Always」

 さいきん耳にした日本のポップスのはなしですが。
 グラビアアイドル=テレビタレントが歌う曲ということで、たぶん人気ねらいの企画っぽい扱いかたをされそうな曲ですが、熊田曜子の歌う「Always」というシングルはかなりおもしろい曲じゃないでしょうか。
 Aメロとサビ(Cメロ)の部分をつなぐ、Bメロの部分がなんかヘンなのです。
 注意深く聴いてみると、Aメロの後Bメロが出てくるのですが、それが繰り返されることなくすぐにCメロに移り、しかし編曲が変わらず、Cメロが二度めに繰り返されるところから、サビっぽく強調された編曲へと変わるのです。
 つまりメロディが変化するポイントと編曲が変化するポイントがわざとズラされてるのです。そのためか、一聴したとき妙に引っぱられるようにCメロへ変わっていったような不思議な感触が残ったようです。
 流れてるのを聴いただけなんで誰が作ったのか知りませんが、おもしろいことをする人だと思いました。
 その他、曲自体もよくできていて、単に人気タレントが知名度を利用して出した曲……と思ってしまうのは惜しい佳曲だとおもいました。
posted by aruka at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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