2007年03月30日

『日本一のホラ吹き男』

 植木等さんが亡くなってしまいまして、テレビで『日本一のホラ吹き男』をやっていたのをみました。
 ぼくは植木等さんをリアルタイムでテレビで見ていた世代ではないのですが、映画ファンなもので、植木さんの映画はいくつも見たことがあります。(『ニッポン無責任時代』『日本一のゴリガン男』などが印象に残っています)
 以前は「映画」という興味でみていたのですが、今回ボーッとみていて、かえって彼の特異さに気づいたきがしました。とくにおもったのは、これってサラリーマンものなんだなということと、時代のヒーローだったんだなということです。
 コメディアンが映画などの主人公を演じる場合、一番多いのはダメ人間を演じるパターンでしょう。映画のなかで主人公が次々に失敗をやらかし、めちゃくちゃにしていく様を笑いにつなげていくわけです。こういうタイプの場合、主人公は容貌や服装、メイクなどもどこか笑いを誘うようなみじめな格好をしている場合が多いです。これはチャップリンから、植木さんの弟分であるドリフターズ出身の志村けんさんのバカ殿までかわりません。
 しかし、一連の映画で植木等さんが演じていたのはそういったダメ人間どころか、異様なスーパーマンだったといっていいでしょう。彼はへんなメイクも服装もしていなく、映画のなかでつねに颯爽としています。そして失敗をくり返すどころか、異常な行動力でサラリーマン社会のなかをスイスイーッと出世していくのがパターンです。やっぱりカッコいいんですね。
 好きな女の子の前出ると恥ずかしくて何もいえなくなってしまうダメ人間を演じて観客の共感を誘うコメディアンが多いなかで、植木さんはつねに一番の美人に苛烈にアタックしていき、最初は嫌がられながらも最後はゲットしてしまうというのがパターンです。
 植木さん演じる映画の主人公は、やはりヒーローだったといっていいでしょう。
 このコメディアンが演じる主人公が、笑いをとりながらもカッコいいスーパーマンであり、時代のヒーローであるというものって、外国の例などをかんがえてみても、ちょっと他に思い当たるものがないくらい特異なんじゃないでしょうか。
 さらにいえば、サラリーマンであると同時にヒーローでもあるというのも、当時として希有な存在だったんじゃないでしょうか。
 たとえばマンガを例にあげてみれば、あれだけありとあらゆるジャンルがある日本のマンガのなかでも、サラリーマンをカッコいい主人公として描けたのって『課長 島耕作』あたりが初めてなんじゃないでしょうか。それ以前はマンガのなかのサラリーマンというと、共感を誘うダメ社員といった描かれかたが一般的だったとおもいます。サラリーマンって案外ヒーローとして描くのが難しいところがあるもののようです。
 しかし、マンガがサラリーマンをヒーローとして描けるようになる何十年も前に、植木さんはサラリーマン=ヒーローという主人公像をつくりだしていたわけですね。
 こういう存在って、その前にも後にも、あるいは外国の例をみても、ほとんど見あたらないんじゃないでしょうか。
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2006年11月20日

アレキサンドル・ネフスキー

 エイゼンシュタインの『アレキサンドル・ネフスキー』を観ました。1930年代に撮った映画で、エイゼンシュタインの映画としてはとくに有名でも話題作でもないのでいままで見逃していたものです。
 いやあ、素晴らしいですね。エイゼンシュタインというとモンタージュ技法とか有名ですが、彼の映画を観るとむしろ1ショット1ショットの映像の力の強さが彼の一番の美質ではないかとおもいます。こんなに力のある映像は、最近の映画ではまずお目にかかれるものではありません。
 もっともこれは全体的な傾向でもあって、最近は映像が氾濫し、だれでも簡単に映像が撮れる時代になりましたが、それと反比例するかのように映像の質は落ちていっているとおもいます。エイゼンシュタインのように突出した映像作家を除いてかんがえても、一般論でいって昔の、映像を撮るのには多大な手間とカネがかかり、貴重だった時代のほうが、映像作品の質は高いのです。
 これはおもしろい現象だとおもいます。例えば文章なら、普段から書いている人のほうが書いてない人よりうまいのが普通で、何事もたくさん経験していればよりうまくなるのが普通です。しかし、なんで映像にかぎっては、低コストで誰でも簡単に映像が撮れる時代になるにしたがって映像の質が落ちるのでしょうか。
 その理由はいろいろあるんでしょうが、今回この映画を観ながらおもったことは、その理由の一つは、単純に映像が白黒からカラーに変わったという点にあるんじゃないかということです。
 ある時代までは映画はモノクロが普通で、しかしある時代からはカラーが主流になります。しかし、これって単純に進歩ともいえないものなんです。モノクロにはカラーにはない魅力・表現の力があるからです。
 一例をあげれば、ものの形・フォルムといったものはカラーよりモノクロのほうがクッキリと見えてきます。立体的な画面というのはモノクロ映画のものであって、カラーだとベターッと平面的な画面になってしまいます。
 例えば絵画でいうと、ピカソにはキュビズム時代という、ものの形のおもしろさを追求した時代がありますが、この時代のピカソの絵をみると、色彩はモノトーンに近い色調におさえてあり、もちろん油絵なんだからいくらでもカラフルな色が使えるのに、わざとモノクロに近い色にしてあります。フォルムを際だたせようとするとそうなるんでしょう。
 おそらくモノクロの映像による映像表現で成長した映像作家というのは、そうしたもののフォルムの美しさ、力強さによって表現することを工夫し、その結果生まれたのが、このエイゼンシュタインのような力強くて強烈なインパクトを与える映像だったような気がしてきます。はじめからカラーで撮りはじめた人は、よほど意識的にならないかぎり、そこには至れないのではないでしょうか。
 古い映画をみていると、サイレントからトーキーに変わったとき、モノクロからカラーにかわったときに、多くのものを得たのではなく、それ以上に多くのものを失ってきたようにおもえてきます。
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2006年11月03日

『過去のない男』(アキ・カウリスマキ)

 アキ・カウリスマキ監督の映画、『過去のない男』を観ました。
 アキ・カウリスマキの映画は好きで、以前はちゃんと映画館に行って観ていた時期があります。けれど、ぼくの好みでは『コントラクト・キラー』が頂点で、その後に観た2、3本が、期待が大きずぎたのかイマイチの印象だったんで、ついに映画館に行かなくなってしまいました。そんなわけで、だいぶ前の映画ですが、ブラウン管での鑑賞となりました。
 けれど、これは良かったです。アキ・カウリスマキの映画を久々に観たんで新鮮な印象があるせいもあるのかもしれませんが、個人的には『コントラクト・キラー』に次ぐぐらいの傑作かなとおもいました。
 アキ・カウリスマキの良いところは、空気感とでもいうのか、画面の向こうに流れている風や匂いが感じられるところにあります。たとえばこの映画の冒頭近くの郊外の町の深夜のシーン、ガランとした深夜の町の静けさや吹く風の冷たさが感じられます。湖の近くのシーンでも、水の上を渡ってくる風の匂いが感じられるし、昼間の土埃が舞う道路の近くのシーンでも、焼けた土の匂いが感じられます。
 こういう感覚的なものって、単純にある人とない人がいて、きちんと演出されていて映像も美しく作られた映画でも、まったく感覚が無い映画もあります。(こういうのって、監督より撮影監督の差なのかな。でも、撮影監督の選択も含めて監督による差があるとおもいます)
 小説でもありますね。感覚に訴えかけてきて別の世界に行ける小説と、単にストーリーだけがあって感覚がない小説と。
 『過去のない男』と『コントラクト・キラー』と共通するところは、地に足がついてない感じというか、とりあえず「生」を引きのばされているような感覚にあります。
 『コントラクト・キラー』の、自分が依頼した殺し屋に殺されるのを待っている主人公、『過去のない男』の過去を失ってしまって自分が何者かわからない主人公、それらはストーリーがあまりに単純で工夫がないだけに、むしろ現代をとりあえず生きている現代人の原型のような感覚をかんじさせるのです。
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2006年05月05日

キャシャーンと雄呂血

 宇多田ヒカルの夫が監督したという『キャシャーン』という映画をビデオでみました。この映画、何かの映画を見に行ったとき予告編をみたのですが、その凝りに凝った映像をみてぼくの周囲では期待してた人もけっこういたようなのですが、ぼくはどうせロクでもない映画だろうとおもって映画館には見に行かなかったのです。というのは、どうも映像に凝った映画にはロクでもないものが多いとぼくは思っているからです。
 というわけで、今回ビデオで見てみたのは、そのときのぼくの読みがどの程度当たっていたかと確認したかったという気持ちがあったからです。
 結果は思ったとおりでした。
 なぜ映像に凝った映画にはロクでもないものが多いのでしょう。
 それは映像の美しさというのが、映画という表現にとってとくに重要な要素ではないからです。そこをカンチガイして、映像の美しさばかりにこだわった映画を作ろうとする人は、たいていより重要な要素を見落としている場合が多いのです。
 このへんは、絵の上手い人にマンガをかかせたら上手いかというと、そういうわけではないのに似ています。
 例えば映画にとってより重要なのは、映像の美しさより、映像によってどう語るか……という事でしょう。物語や内容をどのような演出・映像で語っていき、アクション・シーンなら、その動きをどういうアングルでどうやって撮っていくかということです。この『キャシャーン』は映像の表面的な美しさに凝るばかりで、そういった基本的な映像の語法というのが出来てないのです。また、ドラマがきちんと作れていなく、キャラクターは薄っぺらで魅力がありません。おそらくこの監督は人間というものに関心がないのでしょう。
 といっても、それはそれでいいわけで、けれど、本来ならこのようなタイプの人は美術監督や撮影監督といった立場で映画に関わるのが適所適材といえるのです。が、そのような資質だけをもった人が、そのような資質だけで映画がつくれると思ってしまったところにカンチガイがあるんだと思います。
 それぞれの人の得意分野をどのように総合していけば良い作品ができあがるのかということを考えるプロデューサー的立場の人の不在を感じました。つまり、この人が映像美にしか興味がないのなら、それを補足できる人(ドラマ作りや、演出のできる人)をつれてきて強引にでも組んで作品作りをさせればこのようにはならなかったと思うのです。

 ところで、ぼくはこの映画を見ていて、ずいぶん前にみた映画を思い出してしまいました。『雄呂血』というサイレント映画です。たぶん1920年代頃のものだと思いますが、当時チャンバラ時代劇のスターだった坂東妻三郎が数十人だか、百数十人だかの敵を相手にえんえんとチャンバラを繰り広げるというので知られている映画です。
 なんか似た印象をおぼえたのです。
 どこが似ているのかというと、まずドラマ性の薄さです。ストーリーが単純で直線的であり、いろいろな人間のドラマが絡みあって盛り上がっていく感じが無いという点です。『雄呂血』は多分日本映画の初期の作品であり、サイレントでもあるんで、まだそれほど複雑なドラマ作りができなかったのでしょう。『キャシャーン』のシナリオの粗さも似たようなものです。
 それに『雄呂血』の後半のアクション・シーンなのですが、ぼくは期待して見たのですが、それほど迫力がないのです。たしかに膨大な数の敵を相手にチャンバラを続ける坂東妻三郎のアクションはたいしたものだと思うのですが、撮りかたが単調で、ダラダラとチャンバラが続いていく印象しかもてませんでした。これはだいたい同時代のマキノ正博が監督したチャンバラ映画と見比べると段違いのつまらなさです。
 『キャシャーン』のアクションの迫力のなさも似たようなもので、つまり、演出力の弱さが似てるように感じたのです。
 日本映画も崩壊して、もう一度黎明期にもどったということでしょうか? なんかいやだけど。
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2006年02月09日

戦国自衛隊

●五年間引きこもってる少年が戦国時代の夢を見ていた


 テレビの2時間ドラマで前後編でやっていた『戦国自衛隊』を録画して見てしまいました。期待していたわけでもないんですけど、ここまでダメダメだったとは……。リアルタイムで見てたら多分後編は見なかったでしょう。映画版のほうは見てないんですが、どうだったんでしょうね。とくにかくこのドラマはリアリティが無さすぎだと思いました。
 といっても、自衛隊が戦国時代にタイムスリップするというアイデアがリアリティが無いといってるわけでもありません。そういう大嘘はついていいんです。こっちはそれを期待してみるわけだし。でも、その大嘘にリアリティをもたせるために、そんなことがもしおきたら、どうなるのか……という部分はリアリティを追求しなけりゃいけないと思うわけです。
 例を上げましょう。まず第一に、そういう事態がおきたら、それに遭遇した人間はどう思うのか。そのような人間の感情がまったくとらえられてないですね。たとえば自衛隊員にすれば、そんなタイムスリップがおきたと知ったら、まず考えることは帰りたいと強烈に思うでしょう。帰るためにありとあらゆることを試してみるはずです。そしてそれが叶わないと知ったら、この世界でどう生き抜いていくか、意見が衝突して壮絶なドラマが生まれる筈です。まずそれがきちんと描けていませんね。おざなりに済まされてしまっています。こんな程度ではない筈なのに。
 それから、そんな自衛隊を見たら当時の人々はどう思うのか。例えばヘリコプターを見て「鉄の鳥」などといい、強力な軍事力などと思う場面がありましたが、当時の人間があんなものを見たら、あれが人間が乗って操縦する鋼鉄製の機械だなんて一目見て思うわけないですよ。怨霊の一種か、神の使いとかだと思うんじゃないでしょうか。だいたい迷彩服の軍人を見て兵士だなんて思うわけもないです。旅芸人の一行だと思われるくらいではないでしょうか。だから刀剣も持っていない自衛隊一行がいきなり攻撃されるのもおかしいです。
 つまり異文化が接触したときに生じるはずの戸惑いと驚きが描かれていないのです。
 第二に、兵站についての考えが甘過ぎます。現代的な軍備をもった自衛隊の一個師団が力を発揮するためには、燃料・弾薬・水・食料を後方から補給され続ける必要があります。それなしには戦えるものではなく、第一生きられもしません。食料を現地調達するなどといって付近の住民に分けてもらうシーンなどありましたが、一個師団を支えるだけの食料がそんなことで手に入るわけないじゃないですか。当時の農民だって必死に生きてるんです。余裕なんてありません。実際の軍隊で食料の現地調達といったら略奪になるのが普通です。一個師団の食料を提供をできるほどのパトロンを探すなら権力者か豪商にあたるしかないです。
 余談ですが、日本の軍隊、とくに第二次大戦中の大本営もこの兵站についての考えが甘過ぎました。そのため、南国に送られた日本の兵隊たちは、食料も弾薬もなくジャングルをさまよい次々に餓死していきました。人間は歴史から学ばなければいけないと思うのですが、いったいこのドラマ制作者はあの時代の大本営から進歩していないのでしょうか。
 戦場で自衛隊員がピストルで敵と戦ってましたが、そんなこともあり得ません。このドラマの作者は軍隊にたいするごく初歩的な知識も持ち合わせてはいないのではないでしょうか。
 自衛隊員が自分たちをここで最強の軍隊であるなどと言う場面がありましたが、思い上がりすぎです。弱いのですよ。確かに燃料、弾薬があるうちは強力でしょう。しかしすぐなくなります。そしてそれがなくなったら、馬にも乗れず、弓も射れない自衛隊員は歩兵として銃剣だけで戦わなくてはなりません。それで戦いに慣れた戦国武士に対抗できるわけがないじゃないですか。つまりこの補給を受けられない自衛隊は、一見強そうに見えるけど、大軍を相手にした本格的な戦闘には耐えられないのです。戦ったりしたら、それで終わってしまう軍隊なんです。それは自衛隊員であれば当然自覚できることのはずです。
 さて、では実際にもしこんなタイムスリップがおきたらどうなるのでしょうか。まず自衛隊員は食料を得るために付近の村に銃を持って略奪に出かける。それをくり返すうちに燃料・弾薬を使い果たし、そのまま野タレ死ぬ……という、あまり面白くないストーリーが実は一番現実的でしょう。
 しかしこの自衛隊員のなかにもし知力をもった指導者がいて、この世界で生き抜こうと考えたら、どうするのでしょうか。ぼくの想像ではまず、いざという時のために隊員に燃料・弾薬の使用を一切禁じるでしょう。そしてどこかの権力者にうまく自分たちを売り込むことを考えるのではないでしょうか。つまり強力な武器を見せつけて、いかにも強力な軍隊であるかのように見せかけ、その弾薬や燃料がすぐに尽きてしまい補給不能であることは秘密にします。そうやって権力者の配下として協力するフリをして食料を確保しながら、しかし戦闘に参加することを避け続ける手を打つのではないでしょうか。
 そして、この自衛隊には何よりも強力な武器があります。それは情報ですね。これからどうなるかがわかっているわけですから、その情報は使ったらすぐに役に立たなくなる軍備なんかよりもよほど強力な武器なんですよ。その情報を上手くつかってうまく立ち回っていけば、けっこう上手く生き抜いていけるかもしれません。
 というのはぼくの考えたほんの一例ですが、そのようにこのような状況に置かれたらどのような行動がとれるのかをリアルに描いていったドラマのほうがよほどおもしろいと思うのです。
 しかし、このドラマ中の自衛隊員はおそろしいくらい何も考えませんね。ここでどうやって生き抜いていくのか真剣に考える者は皆無で、すぐ使えなくなることはわかっている筈の武器を持っていればなんとかなるだろうぐらいの考えしかなく、ひたすら行き当たりばったりに行動します。これからどうやって食料を確保し続けていくのかすら考えていません。そんなことをしたら燃料が無くなるのがわかっていながらバイクを乗り回し、ヘリを飛ばし、付近住民と親しくなっちゃあ、その住民が殺されるのを見て戦争の悲惨さを知る(そんなこと、はじめからわかってるはずなのに)という、まるで精神年齢は小学生ナミかと思うような行動を繰り返し、そのわりに深刻そうにカッコつけたセリフをほざいたりします。なにも考えてないのに……。
 ストーリーは奇をてらった方向に進みますが、そもそも登場人物の心理が説得力をもって描かれていないので、何を考えてそんなことをしているのかもわからず、興味は無くなるばかりでした。
 繰り返しますが、やはり、このような小学生ナミの知性しかない自衛隊員が行き当たりばったりで暴れまわる話より、ちゃんとした知性と技術を兼ね備えた自衛隊員がもしこのような状況に置かれたらどのような行動がとれるのかを描いたドラマにしたほうが、ずっとおもしろかったんじゃないでしょうか?
 最初のほうだけ見てすぐ見るのをやめるべきだったんでしょうが、なんとなく最後まで見てしまったもので、こんなものを書いてみたくなってしまいました。すいません。
posted by aruka at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画、ドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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