2006年10月05日

文語で短歌をつくってみる 習作1

 文語は読めさえすれば書く必要はないと思ってきたのですが、このところ文語を見てきて文語らしい文語が消えていく状況を知ったところ、やっぱり文語を書く文化も残していくべきなんじゃないかとも思えてきました。
 そうこう考えているうちに、ぼくも少し「文語」を使って書いてみようかな、とおもうようになりました。もともと歴史が趣味で、昔の文献など読むのにもっと文語がすらすら読めるようになりたいという気持ちはあったので、そのためには書いてみるのもいい訓練になるかもという気持ちもあって。
 といっても読むのと書くのとは違います。文語をそれなりに読めたとしても、書けるわけではありません。いきなり見事な文語表現をするなんて無理です。
 ということで、最初のうちはまあ、文語を使い慣れた人から見れば失笑もののデキだとは思いますが、習作を少しつづ書いていってみようかと思います。
 というわけで、文語で書いてみた短歌の習作を少しづつ載せていきます。
 というわけで、以下、文語短歌の習作です。


  「灯りし夜」

ぬくもりのきえたる季節ほの紅きくちびるをもつ人と出逢ひき

夜のない島あり おぼえておらぬと汝はいひしがふたり暮らしき

木々の上(へ)に澄みきはまりし満月のひかりにこほりつきゆく都会

そらもなきかそけき国で汝が息は灯りし夜ぞ吹きけすなゆめ

白き街白き真昼にさまよひてすりきれていくふたりなりけり

夜の涯てに散りにし汝をかきあつめかきあつめてこそ抱かまほしけれ

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2006年09月18日

文語の興亡



 文語について、もう少し書きます。
 調べてみると、文語の運命というのもおもしろいものだとおもいました。
 最初の口語体の言文一致による小説といわれた(しかし講談の口調を書きおこしただけの感の強い)二葉亭四迷『浮雲』が出版されるのが1887年、そして文語体の、しかし西洋小説的なリアリズムの骨格をもつ森鴎外の『舞姫』が1890年。その後、苦闘を重ねながらも小説の文体は口語体へと移っていき、文語による最後の傑作とも呼ばれる樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』等が書かれるのが1895-6年となり、その後は日本の近代文学は口語のみになっていきます。ほぼ十年ほどで小説の口語化は完成された印象です。
 その翌年の1897年には島崎藤村の『若菜集』が出版され、その後十年ほどは新体詩のブームだったそうです。ここで文語体の活躍の場は小説から詩へと移ったとみていいでしょう。
 しかしその詩も、萩原朔太郎の『月に吠える』(1917) を大きな起点として口語の時代に入っていき、こうして文語は詩からも追いやられます。
 そして文語は文芸作品だけでなく日常生活からも消えてゆき、山本夏彦の『定本 文語文』によると、教科書も昭和十年(1935)版からすべて口語に改められ、これが決定的だったと書いています。
 そうして文語の残された活躍の場は、短歌・俳句と、軍隊と法曹界のみになります。しかし、その軍隊と法曹界における文語も敗戦(1945年)とともに駆逐され、それ以後はもっぱら短歌と俳句ぐらいが、文語が使われる場となったようです。
 文語は明治までは日常語で、新聞はじめほとんどの出版物は文語で書かれていたし、日記や手紙を書くときにも文語を使い、誰でも文章を書くときには口語を使うより文語のほうが自然だったようです。(当時は文字どおり「口語」と「文語」だったわけです)
 しかし明治期から文語は、まず小説から、詩から、そして教科書からも日常生活かも追われるように姿を消していきます。なぜ文語はこんなふうに、まるでゲルマン民族に追われるケルト人のように、周縁に追いやられていったのでしょうか?
 先述の『定本 文語文』では新しいものをありがたがる人間の性質からだ、というようなことが書いてありますが、これが明治期におきたという事実を見ても、単なる新しもの好きが理由ではないでしょう。古い土着的な文化を抑圧し、日本を近代国家として改革するために、新しい日本語・散文を作り上げることを必要としたからとみるべきだとおもいます。

 さて、文語のなかで育ち、意識することなく日常語として文語を使えた世代は、いつ頃まで日本にいたのでしょうか?
 『定本 文語文』の山本夏彦氏は1915年生まれですが、自分たちはもう文語世代ではないと書いています。となるとその前まで、遅く見積もっても1900年代の初頭に生まれた世代あたりまででしょうか? となると、1980年代ぐらいには文語世代は日本社会から姿を消していっていた筈で、このへんから短歌も口語、文語らしくない文語が目立つようになっていくのも必然かと思われます。
 むしろ、よくもこれまで短歌の世界では文語が続いてきたものだと思います。それは、それだけ文語というもののもつ魅力が一部の人々を魅了してきたということでもあり、短歌の世界が保守的だったということでもあるでしょうが、なにより他に行き場がなかったという理由が大きいかと思います。
 つまり、小説が十年で急速に口語化できたのは、文語にこだわりをもつ人々は新体詩のほうに流れていったからであり、詩が口語化した裏には、文語にこだわりをもつ人々が短歌・俳句のほうに流れていったことがあると思えます。しかし、短歌・俳句が口語化されると、文語にこだわりたい人はもう行き場がない、そんな気持ちがあくまで短歌を文語にとどまらせてきたのではないでしょうか。
 しかし、ネイティブで文語が使える世代はもう残っていないと思える現在、それも限界ではないでしょうか。
 文語が日常語で無くなった時から、文語の滅亡はほぼ決定されていたとみていいでしょう。『定本 文語文』で山本夏彦は文語は西洋におけるラテン語のようなものと書いていますが、ラテン語もかつては日常的に使われていた言葉だったのが、やがて知識人だけが使う言葉となり、やがてダンテの『新曲』を筆頭に俗語で格調高い文学作品が書かれる時代になってくると、もはやそれに匹敵するようなラテン語による文学作品は生まれなくなります。
 自分が日常的に使っているわけではない外国語で、それを母国語としている作家に匹敵する作品を書くのは並大抵のことではありません。ラテン語も文語も、それが日常語でなくなり、外国語のように学ばなくてはならない言葉になった時点で、その運命は決まっていたんだと思います。
 しかし、それでもラテン語や文語にこだわりたいというのであれば、それもそれで一つの行き方ではあるでしょう。
 そして現在、もし文語に強いこだわりをもち、文語を書き続けていきたいと思っている人がいるとすると、その活動の場は短歌・俳句くらいしかなく、なんとしてでもここを死守するほかない……という事情も、なんとなくわかってきました。





 さて、そんなことをかんがえていた時、さいきんネット上で文語の扱いについて、ちょっとした論争がおこっていることを知りまして、その経緯をみてみると、現在の短歌の世界での文語の状況がうかがえて、興味深かったです。

 それはもともと 大辻隆弘さんが青磁社のホームページに載せた「ご都合主義的言語観」という文章で、現代短歌に見られる「行けるなり」とか「たいらし」など、ひとつの辞のなかで口語と文語を混交させる用法をグロテスクだと批判したところ、それに対して同ホームページで吉川宏志さんが反論、黒田英雄さんが自己のブログ『安輝素日記』で、これは少しもグロテスクではなく、そういう柔軟性のない鑑賞こそがグロテスクだと非難していったもののようです。
 両者の主張は、単純化していうと、大辻さんの意見は口語(現代語)と文語は違うものなのだから、混ぜた表現はおかしいという考えのようで、それに対する反対派は、言葉というのは生きもので時代とともに変わっていくものだし、表現者は自分の感覚で自由に言葉を使ってよい、という意見のようです。
 ぼくが軽く見てまわったところ、大辻反対派のほうが威勢がいいようで、大辻側は押されぎみにみえました。

 ぼくがまず興味をおぼたのは、現在文語を使用している歌人が「行けるなり」とか「たいらし」などといった表現をグロテスクだと感じなくなってきているという事実でした。
 文語に精通していない一般の人にはこれは文語口語というより、日本語と英語を例にして考えたほうがわかりやすいようにおもえます。
 つまり、ある人が日本語の文章を書くのはいいし、英語で文章を書くのはいい。でも、日本語と英語が混ざった言葉で書くのはどういうことか、というのと同じようなことがここでは問われているわけです。
 日本語と英語が混ざった言葉……というのを、一例を上げれば、以前流行った「ちょべりば」(=「超 very bad」)などという言葉があげられるでしょう。こういう言葉は確かにある種の効果をもつ表現だとは思いますが、グロテスクかどうかといわれれば、これを認める認めないにかかわらず、グロテスクな表現なのは確かでしょう。一般的な自由な表現というのとは違う、普通でない表現という意味でです。
 つまり、「ちょべりば」という言葉を使っていた人は、これが「すごく悪い」ということを示す的確な表現だとおもって使っていたわけではなく、半分以上「ちょべりば」という言葉自体がおもしろいとおもって使っていたんです。「行けるなり」や「たいらし」もそのような言葉であり、内容を示す的確な表現というより言葉自体の奇妙さ・面白さを感じる表現であり、その意味でグロテスクといえばグロテスクだし、滑稽といえば滑稽なんです。
 このような異言語混合を極限まで追求すれば、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に行き着きます。これもまたグロテスクであり、作者はグロテスクであることを認識しつつ、あえてそれを追求した作品だといえます。
 そして、このような表現が出てくるのは、時代の変化にともなう言葉の変化などといったものとは無関係であり、表現者が単に内容にあった自由な表現をしようとして『フィネガンズ・ウェイク』のような表現に辿りつくこともありえません。これは作者の意図的な言葉遊び的発想から生まれる表現なのです。
 それと同じ意味で「行けるなり」や「たいらし」も当然、「ちょべりば」などと同様に普通でない表現であり、このような表現を許容するにしろしないにしろ、ある意味グロテスクである意味滑稽な表現だと感じるのが通常の感覚だろうとおもうのですが、どうも大辻氏以外の歌人のかたは、感覚的な部分で、そう感じていない様子なのが驚きでした。

 では、大辻氏以外の歌人のかたはどう感じてこういう表現を肯定しているのかというと、ぼくなりに要約すると、語尾を文語風にすると落ち着きが生まれ深みがでる、格調高い感じがする、短歌らしい……と感じるようです。
 このようなやりとりをみていて、やっぱり文語は滅んだんだな……という感慨を強くかんじました。
 滅んでなければ「行けるなり」とか「たいらし」のような滑稽な表現に「落ち着き」とか「深み」とか「格調高さ」などを感じるわけがないでしょう。これらの表現を肯定するにしてもです。
 どうも、こういった現代の歌人は、名作とされる短歌が万葉集以来の古典が多いことから、語尾に古めかしい文語っぽい言葉をつけると、短歌が格調高く深みが生まれたように感じるようです。
 十九世紀の西洋絵画では、はじめから古びたような褪せた色使いで油絵を描くのが良いとされていたようですが、同じ発想ですね。古びてみえると格調高いと思い込む……。もちろん、そんなことやってた画家はみんな忘れ去られましたけど。
 自分の言葉で表現しつくすことを放棄して、こうしておけば「……らしく」見えるんじゃないかと考える方向に逃避する表現者の作品はロクなものであったためしがないんです。もし格調高い短歌を書きたいなら、現代語の語尾に文語をつけて古めかくしく見せようなんてチンケなことを考えるより、どうしたら現代語のみで格調高い短歌ができるかを考えるべきなんです。
 それに比べれば、きちんとした文語のみで短歌を書こうとしている人のほうが、まだ共感できます。
 もし現代の日本に、すでに死語である文語を、しかし使い続けたいと強く思う人がいたとしたら、短歌や俳句ぐらいしか使える場がないのは事実で、短歌によって文語を死守しようと考えるのも、それはそれで一つの行き方だとおもうからです。(といっても、ぼく自身はそうする気はないんですけど)
 と、みると大辻氏はそっちの考えなのかと思えるところもあるのですけど、大辻氏は加藤治郎氏の書いた上句・下句で文語・口語が振り分けた短歌を評価しているようなんで、わかりません。文語擁護の姿勢からあのようなことを書いたのなら、加藤作品も否定するはずだとおもうからです。
 そして、そんな大辻氏の意見がこれほど批判を受けているのをみると、やはり文語に未来はなさそうですね。もう文語を使っている歌人でさえ、大部分の人はちゃんと文語を理解してはいないのではないでしょうか。
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2006年09月15日

短歌「無限率」

灯をともす いま水面は彼方まで夜闇の底で沈黙してる

やわらかく夜風は動き水面に文字によく似たさざ波がたつ

灯を消せば微風にざわめく森の声が世界をしずかに支配していく

闇のなか銀河は内に流れ込み指は静かに輪郭を失う

宇宙には無限があふれ ぼくのあわい表面は浸透圧で散る

夜空から月星が消え手のひらにとおい星座が刻み込まれた

手のひらににぎる星座がゆっくりと自我の宇宙を巡りはじめる
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2006年09月13日

文語について考える

 短歌の世界では「口語」「文語」という言葉がつかわれるのですが、現在使われているような意味あいで使うなら、これは「現代語」と「文語」、あるいは「現代語」と「古語」というべきではないでしょうか。
 というのは、「口語」「文語」という言葉をつかえば、これは「話し言葉」「書き言葉」という分け方だと受け取られかねないからです。しかし、現在使われている意味あいではそうではないので、誤解を招きます。

 と前置きして本題に入りますが、ぼくは文語で書きたがる現代歌人の気持ちというのが理解できず、そうしている人が何で自分が文語にこだわるのかという理由を説明している文章はないかと探していました。そしてこの前は山本夏彦の『定本 文語文』という本を見つけて、その感想はこのブログにも書きましたが、しかし山本氏は文語に深い愛着を感じながらも、それはもう滅びた言葉だとして使用することはしなかった人です。ですから、そうではなくて、いまも文語を使いつづける人の気持ちというのはやはりわからず、探し続けてました。
 そしてついに、このまえ短歌関係のページをネットでいろいろみているうちに、歌人が文語を使う理由を書いた文章を見つけました。『文学散歩道』というページの栗木京子さんの「口語に心を許すことなかれ」という文章です。
 ( ここです→ http://www1.kcn.ne.jp/~e-fuku/bungakusanpomiti.htm )

 この文章全体はむしろ文語と口語(現代語)の混成による短歌について書かれてるものですが、そのなかに作者が文語にこだわる理由を書いた部分がありました。その部分を少し引用してみます。

>  身近な一例だが、ある日の夕暮れどき、ふらりと散歩に出たとする。そのときふ
> と短歌が心に浮かぶとすれば、私はどのように言葉を起こすだろうか、と考えてみ
> る。おそらく「夕暮れはさびしかりけり」とでも発想するはずである。けっして
> 「日暮れはああさびしいな」と言葉を発することはない。(中略)
>  このあたりの発想のメカニズムをもう少し分析してみよう。「さびしかりけり」
> あるいは「さびしかるかな」でも「さびしきかなや」でもよいが、とにかく文語で
> 助動詞や助詞を用いながら発話するとき私にはただひたすら詠嘆の気持ちだけが強
> い。しかもその詠嘆は水平に拡散する思いではなく、心情を貫いて真っ直ぐに上昇
> する方向性をもっている。つまり詠い上げている。詠い上げた思いはどこへ届くの
> か。それはどこへも届かなくてよいのだ。強いて言えば自分自身に再び回収されれ
> ばよい心情なのである。そして私はこの垂直方向の詠嘆に確かにカタルシスを覚え
> ている。それが型にはまっていればいるほど夾雑物のない純粋な衝迫が歌に刻印さ
> れているのを感じ、安心できるのである。その上で、「夕暮れはさびしかりけり」
> のあとに少々甘くなろうが恣意的になろうが気にすることなく具体的な下句を付け
> てゆくことができる。
>  それに対してもし口語で発想した場合はどうだろう。「夕暮れはああさびしいな」
> 「夕暮れはさびしいですね」「夕暮れはなんてさびしい」パターンはいろいろある
> だろうが、総じて口語では訴えではなくて語り掛けになる。それは、口語イコール
> 会話体だからである。(中略)会話体の親しみやすさ、軽やかさ、身体性といった
> プラスの要素は両刃の剣でもあって、少し見方を変えればわざとらしさや押しつけ
> がましさを伴いやすい。

 文語を使う歌人の全員がこの人と同じ理由で文語を使っているのかはわからないのですが、とりあえずこのような文章はこれしか見つからないので、これが一般的な文語歌人の気持ちだと仮定して、感想を書いてみます。
 まず第一に重要でない指摘からいくと、ぼくが最初で書いたように、現在短歌の世界でいわれている「口語」「文語」というのは、実際には「現代語」「古語」であるのに、それを「口語」「文語」と呼んできたことからくるカンチガイが後半の部分にあります。
 「口語イコール会話体だ」というのですが、現代語イコール会話体であるはずがありません。現代語にも書き言葉はあります。作者は「口語(現代語)」で発想した例を「夕暮れはああさびしいな」「夕暮れはさびしいですね」と、故意に語りかけの口調の例ばかりを示して「総じて口語では訴えではなくて語り掛けになる」と強引に主張しますが、これは誘導尋問もいいところで、実際には現代語でも「夕暮れはさびしい」とか「夕暮れはさびしいものだ」「夕暮れはさびしくかんじる」など語りかけでない表現もとれます。また「文語」も平安時代の口語のことなので、とうぜん語りかけの語調もあります。実際に問われているのは現代語で書くのか古語で書くのかという点にあるので、それをこういった筋違いの論理にもっていくのは間違いです。
 さて、そこは単純に間違いでいいのですが、この人がどうしてこのような間違いをおかすかに謎は残ります。
 つまり、単に「語りかけ」ではなく「訴え・詠嘆」がいいというのなら、現代語で「訴え・詠嘆」の言葉使いで書けばいいだけの話なのです。作者もそうすればいいのだし、そうしているはずです。しかし作者はそんなことをせずに文語を選んでいます。この作者がそうする理由は「語りかけ(話し言葉)」ではなく「訴え・詠嘆(書き言葉)」がいいからという理由では説明できません。つまり、ほんとうの理由は他にあることになります。
 ということを確認して、第二の重要な方の点にうつりましょう。
 ではなぜこの作者は文語で短歌を作るのでしょうか。この文章から判断するに、ようするに現代語の「夕暮れはさびしい」という言葉では、思いついたとしても短歌にしようとは思えないが、文語で「夕暮れはさびしかりけり」と発想すると、なんだか「詠い上げた」ようなカタルシスがあって、下の句をつけて短歌にしたくなるということでしょう。
 なぜ、そう思うんでしょうか。
 ぼくはまず、現代語の「夕暮れはさびしい」「夕暮れはああさびしいな」という言葉では短歌にする気がおきないという理由は、実感としてわかります。ぼくも短歌にする気はおきないからです。
 なぜかといえば「夕暮れ=さびしい」という発想がいかにも紋切型で安易であり、陳腐な気がするフレーズだからです。これは実感としてだれでも感じることだろうし、だれもこんなフレーズから短歌を作ろうとはおもわないんじゃないでしょうか。
 ではなぜ、このフレーズが「夕暮れはさびしかりけり」と古語にすると、とたんにこの作者にとって短歌にしたいフレーズに変わるんでしょうか。
 まず断っておくと、ぼく自身は文語だろうが現代語だろうがこのフレーズを使って短歌を作る気にはまったくなりません。「夕暮れ=さびしい」という発想がいかにも紋切型で安易なのは現代語でも文語でも変わらないと思うからです。
 では発想(内容)は安易でも、文語で表現することによって独特のニュアンスが加わって、違う価値をもつフレーズになるということを作者はいってるんでしょうか。
 実をいえば、ぼくは現代語に訳したらつまらないフレーズであっても、文語独特の表現によって絶妙のニュアンスをもったフレーズになるということはあると思っています。
 しかし「夕暮れはさびしかりけり」というのは文語でもごくありきたりのフレーズであって、とくに独特のニュアンスをもった文語表現とは思えません。

 では(少し話はそれますが、確認する必要はあるとおもうので)独特のニュアンスをもった文語表現とはどんなものなのか、先日読んだ山本夏彦の『定本 文語文』から引用してみます。
 山本氏は萩原朔太郎の『純情小曲集』の「愛憐詩篇」のなかの「桜」のなかの、このような最後の一行を賞賛し、このセンテンスは口語には訳せないし、無理に訳してしまうと長ったらしいだけでつまらないものになってしまうと書いています。

あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

 たしかに、ぼくにもここまでくると、意味というより文語ならでは言い回しのニュアンスが、口語に訳したのでは失われてしまう美しさとして在る気がします。
 ついでに言うと、ぼくはこの「愛憐詩篇」のなかでは「利根川のほとり」の最後の一行も文語ならではニュアンスが美しいフレーズだと思いました。引用しときます。

抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

 あと、斎藤茂吉を読んでみたときも、文語ならではニュアンスが美しいとかんじる作品がいくつもありました。少しあげてみます。

あしびきの山の峡をゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも     斎藤茂吉

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なし    斎藤茂吉

なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへ赤からなくに    斎藤茂吉

 といっても、最初の萩原朔太郎の「桜」のなかの一文以外はぼくが勝手にあげたものなので、はたして本当の文語世代の人がこのようなものを特に美しい文語だと思える例なのかわかりませんが。
 しかしぼくは、これらの文語表現には「夕暮れはさびしかりけり」などという単純な文語とは違った、繊細で微妙な文語表現の妙がある気がするのです。だから、例えばこれらのような文語表現を目指して文語を使用するというのであれば、まだその人の気持ちは理解できそうな気もするのです。
 しかし、この作者は「夕暮れはさびしかりけり」という、ごくありきたりな文語でも短歌を作りたい気持ちになるといいます。その理由は何なんでしょうか?
 ぼくが想像したかぎりでは、その理由は一つくらいしか思いつきません。
 それは何かといえば、作者が普段日常生活では使わない文語を使うことによって「夕暮れはさびしい」というフレーズが異化されたから、という理由です。
 同じ内容のフレーズでも違う言語・言葉使いで書くと異化されて違うイメージに響くことはあるのです。例えば日本のミュージシャンがCDを英語タイトルにしたりするのも同じ発想で、そうすることによってなんとなく格好良くかんじられるからでしょう。つまり、ありきたりなフレーズでも文語にしてみたり、あるいは英語やフランス語にしてみると、なんかカッコいい、いいフレーズのように感じられることはあるものなんです。
 しかし、そう感じるのは、その言葉を使い慣れてない人だけです。
 例えばタイトルを英語タイトルにすることによって異化し、格好良く見せかけるという方法は、英語が不得手な人にしか通用しません。日常生活でふつうに英語を使用し慣れている人からみれば、英語だろうが日本語だろうが同じことで、いいタイトルはいいタイトルだし、つまらないタイトルはつまらないんです。つまらないタイトルでも英語にすれば格好良くなるなんてことはありません。
 実際は「夕暮れはさびしかりけり」も「夕暮れはさびしい」と同じくらい安易なフレーズなんです。「夕暮れはさびしい」というありきたりなフレーズでは短歌にする気がおきない人が、「夕暮れはさびしかりけり」とありきたりな文語にしたことでいいフレーズになったように感じられるとすれば、それはその人が日常的に文語を使わない人であり、ふだん使わない文語を使ったたために、ありきたりでないフレーズになったような錯覚に陥ってるだけではないでしょうか。
 ぼくは思うのですが、文語が日常的だった時代に育った人は「夕暮れはさびしかりけり」なんていうフレーズをいいフレーズだとは感じないとおもうのです。文語を日常語のように使っていれば、文語のなかにもありきたりな文語表現と美しい文語表現とがあるのは見分けがつくはずです。となると、萩原朔太郎の「あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを」というのは美しい文語だと思っても、「夕暮れはさびしかりけり」はべつに良いとは感じないんじゃないかと思うのです。
 つまり、この作者のような人が文語ならなんでも良いと思ってしまうのは、文語がこの作者の日常から離れた、普段使わない特殊な言葉だからではないでしょうか。

 ぼくが萩原朔太郎や斎藤茂吉などの文語を美しい文語表現だと思ったということは先述しました。
 でも、おもうことは、ぼくが美しいと感じる文語の例は、その萩原朔太郎や斎藤茂吉など、文語を日常語として使っていた世代の人が使った文語の場合のみであり、比較的新しい世代の人が使っている文語を美しいとおもったことはありません。
 ぼくの文語に対する美的感覚がそれほど頼りになるものかわかりませんが、やっぱり文語を日常語として使ってた世代が使う文語と、それ以後の世代の文語とでは、はっきりした違いがあるんじゃないでしょうか。
 つまり、明治に生まれ育った彼らにとっては文語は日常語で、新聞も文語で書いてあったのだし、自分でも日記や手紙を文語で書いてわけです。となると、文語で書くのは日常のごく普通のことであって、栗木のように文語で発話するとカタルシスを覚えるなんてことがあるわけないのです。
 普通でない、特別な言葉というのであれば、彼らにとっては使い慣れない「口語で書く」という行為のほうがよほど特別だったでしょう。だからこそ口語表現にあれほど苦闘し、萩原朔太郎も最後には文語に戻ってしまったりしたわけです。でも、それでもどうにか口語でも書けたのは、口語もまた(それで文章を書くという経験はなかったものの)普段から使っている日常語ではあったからでしょう。
 つまり文語世代の人が文語で短歌(詩)書いたのは、普段日常で読み書きに使っているのが文語だったからにすぎないのです。
 ある言語で創作を行うとき、それが普段しぜんに使っている言葉か、そうでないかは大きいと思います。
 例えば現在、もうずいぶん長いあいだ日本では学校で英語が教えられてきていますが、その間に英語で詩や小説を書いて、英語圏の作家と同等以上の評価を受けた日本人作家が輩出したことはあったでしょうか? もし英語圏の人に負けないほどの見事な英文を書く日本人がいたとしたら、それは英語圏に住むなどして日常的に英語を使った経験のある人ではないでしょうか。
 自分が日常的に使ってもいない言語を使って、ネイティヴで使っている人を超える文芸作品を作るなんて、至難の技です。たとえば英語で日常会話ができる人でも、英語で文章を書くとなると別でしょう。それも論文など内容を伝えるだけの文章なら書けるとしても、詩・小説などはまた別です。
 つまり文芸作品であれば単に内容を伝えるだけではなく、同じ内容であってもここは丁寧な言い方にしようとか、くだけた感じにしようとか、ぶっきらぼうな言い回し、古風な言い回し、バカっぽい言い方、怒った感じ、詠嘆調……などと言葉使いに様々なニュアンスをつけていくことが必要になります。こういう微妙なニュアンスというのは、まず日常的にその言語を使ってないと無理だと思うのです。
 文語も同じことで、平安時代から使い続けられてきた文語はとうぜん様々なニュアンスをもった言葉であり、その文語を使いこなすとは、単に文法的に誤りのない文語が書けて内容が伝わればいいということではないはずです。
 文語で育った世代にとって文語で短歌(詩)を書くこととは、普段から使いなれている文語を使って、しかし普段使っている文語とは違う、美しく詩的な表現を作り上げることだったはずです。それはむしろ、現代人であるぼくらが、普段使っている現代語を使って、しかし普段とは違う美しい詩的表現を創作しようとすのと同じことでしょう。栗木のように、文語を使えば詠嘆の気持ちの強い詩的な表現になるなんて、彼らはおもってもいなかったはずです。
 そして、文語を用いて様々な微妙なニュアンスをもった表現を使い分け、詩的な表現を創作していくということは、おそらく日常的に文語を使っている環境で生まれ育ったからこそできることではないでしょうか?
 そこが文語世代の使う文語表現と、それ以後の世代の使う文語が違う理由であり、おそらく栗木のように文語を使うこと自体にカタルシスを感じているようでは、文語世代が使いこなしたような文語表現には到達できないはずです。
 もちろん、それでも高度な訓練を受ければ、かつてのネイティブな文語世代と同じくらい文語を使えるようになるかもしれません。だから、文語だってまだ使えるんだという人もいるかもしれません。
 しかし、そうなると、今度は読者の不在という問題につきあたります。
 つまり読者のほうも、現代歌人の文語に対する態度と同じように、単純な文語を文語だというだけで感動してるようでは仕方ないわけです。様々な文語表現の微妙な差やニュアンスを読み取り、高度な文語表現の美しさを味わえるような、つまり、ネイティヴな文語世代と同じくらい文語を理解し味わえる読者がいなければ、美しい文語を使っても無意味なわけです。
 と、かんがえれば、文語が日常的に使われなくなった時点で文語は滅んだのであり、いまどき文語を使ったところで文語を復活させることは不可能……という山本夏彦の見解の正しさが理解できます。

 現在、文語で短歌をつくっている歌人は、伝統に習って昔ながらの方法をまもって文語を使っている気でいるのかもしれませんが、現在の歌人が文語を使うという行為は、文語世代の歌人が文語を使うということとはまったく違った意味をもっているんじゃないでしょうか。
 文語を日常的に使っていた世代にとっては、文語は普段使っている言葉にすぎなかったのであり、しかし、栗木のように文語が日常語ではなくなった世代からすると、文語で発話すること自体にカタルシスを覚えるということになってきます。これは文語世代が文語を使っていたときの感覚ではありません。
 ではこの栗木のような、文語で発話すること自体にカタルシスを覚えながら作品を創作するというのはどういうことなんでしょうか。
 ぼくが思うに、それは文語世代にとっての漢詩の創作と似た意味をもった行為なんじゃないでしょうか。
 これも山本夏彦の『完本 文語体』に書いてあったことですが、明治頃までは日本人による漢詩というのはけっこう書かれていたようで、山本氏はその伝統が途絶えてしまったことを嘆いています。
 もともと、日本人による漢詩の創作は、日本に漢字が入ってきた当時からあるようで、万葉集の時代にも漢詩は書かれていました。
 そして、見比べてみると一目瞭然なのですが、柿本人麿などの和歌と当時の漢詩を見比べると、パッと見、あきらかに漢詩のほうがカッコイイんです。
 万葉集の原文は万葉仮名ですから、いわば当て字です。この当て字による「やまとことば」の表記というのは、やっぱりどこか格好悪い感があるんです。対して漢詩は一行五文字とか七文字とかでピシッと並んでますから、なんかカッコイイ。
 けれども「やまとことば」は日常語ですから、誰にでも読めるということで(文字がわからなくても、誰かに読んでもらえばわかるし)、柿本人麿などは和歌を書いていったんでしょう。
 一方、漢文は当時の知識人の一番の教養ですから、知識人であれば漢詩も読めたわけですが、逆にいえば漢詩は知識人にしかわからなくて、庶民にはわからないわけです。
 しかし、この知識人にしかわからない言葉というのが、自分を知識人だと思いたい知識人のスノビズムをくすぐるんですね。低レベルな知識人ほど、自分は庶民とは別なんだと思いたいんです。だから、誰にでもわかる和歌より、漢詩を書きたがる気持ちがあったと思います。
 この当時の漢文にあたるのが、いまでは文語になったような気がします。理解にはある程度知識が要るし、誰でも読み書きできるわけではない。そこがスノビズムをくすぐるんだと思います。
 これらはおそらく現代に文語で書いている歌人にある程度共通するものだと思うのです。自分が庶民ではわからない、少なくとも「高校の古文」以上の教養が必要な「文語」という特別な言葉を使用していることに対するカタルシス=スノビズムです。
 たぶん、このような感情は、明治までの日本人なら漢文を使用し、漢詩などを書くときに抱いていた感覚と同じだとおもうのです。

 さて、そんなふうに万葉集の時代から日本人は漢詩を書いてきたわけですが、和歌はその万葉集、古今和歌集、新古今和歌集などが読み継がれてきて、現在も読まれているのと対照的に、日本人による漢詩のほうは忘れられていて、もはや誰も読むものもいない状況になっていると思います。
 なぜでしょうか?
 考えるまでもなく、簡単に想像できますね。
 漢文が日常語でない日本人が漢詩を書いたとしても、本場の『唐詩選』などに匹敵するものを書くのは至難の技でしょう。それは先に説明した、現在の日本人が英語で、英語圏の作家が書いたものに見劣りしない文芸作品を書くことの困難さと同じ理由です。
 いくら勉強して漢文の教養を身につけたとしても、内容を伝えるだけの文章ならともかく、文芸作品の創作に必要な、微妙な言いかたのニュアンスまで肌で感じとれるようなところまでいこうとしたら、やはり日常語として使っている環境にいる人にかなわないんじゃないでしょうか?
 そうなると、『唐詩選』は読み継がれても、それに匹敵しない日本人の漢詩は忘れられていくのが自然かと思います。といっても日本人の書いた漢詩を読んだことはないので、断定することはできませんが。

 ということで、文語について考えてみたことの結論です。
 明治あたりまでの文語で育った世代が使う文語と、現代人が使う文語は別のものでしょう。そして山本夏彦氏がいう、文語は滅んだのであり、復活させることはできないので、使用してみても無意味というのは正しい見解です。もし復活させたいのであれば、新聞はじめ実用的な文章まで文語で書かれる時代にしないと無理でしょう。
 しかし、かつての文語とは違った意味あいにおいて「文語」というものが使用され続ける可能性はあるでしょう。それは自分を知識人だと思いたい知識人による、スノビズムの対象としての文語です。
 しかし、そこから、かつて文語を日常語としていた世代がもちいたような美しい文語表現が生まれてくる可能性は、ほとんど無いでしょう。
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2006年09月08日

山本夏彦『完本 文語文』

 短歌の世界にはなんで「文語」なんてものにこだわって使用しつづける人がこうも多いのか、ずっとその理由を知りたいと思っていたのですが、歌人が自分が文語を使う理由をきちんと説明した文章が見つからずにました。が、このような本を見つけました。
 山本夏彦さんは1915年に生まれ、2002年に亡くなっている人で、世代的には文語で育った世代ではないのですが、父親が新体詩人だったために幼い頃から文語に親しんで育ったそうです。そんな作者が文語に対する愛着とこだわりを書いた文章をまとめたのがこの『完本 文語文』(文春文庫)です。

 文語というのは平安時代の口語がそのまま停止したものであって、西洋におけるラテン語の在り方に近いものだそうです。言葉というのは生き物なので、停止したままであれば活力を失います。じっさい文語も長いあいだ活力を失っていたのが、明治期に西洋の文芸作品の翻訳などの刺激によって活力をとりもどし、しかし、その後急速に口語全盛の時代になって使われなくなっていったものだということです。
 おもしろかったのは、明治時代には新体詩というのは不良がやるものだったという事実の指摘です。
 そういうものだったんですね。
 そのうち、ロックとかラップとかも今の新体詩と同じ扱いを受けるんでしょうね。「最近の若者はロックを聴かないから困る。伝統的なパンク・ロックを聴いて美しい日本語をおぼえないといけない」とか。
 現代の歌人が新体詩の文語体や旧かな使いを美しいなんて感じるのは、おそらく倒錯以外の何物でもないんでしょう。あれは当時の不良が反抗的にイキがって絶叫したものであって、だからこそ意味があるものなんでしょう。
 話を本題にもどします。
 この本には文語や漢文のもつ素晴らしさは愛着をもって説明されていて、詩が、新聞が、あるいは唱歌が、新しいものは良いものという風潮に押し流されるようにして文語でなくなっていったことを惜しんでいます。
 が、しかし、現在にいたるまでその文語を使いつづけている短歌への作者の扱いは、ほぼ完全無視です。
 文語が使われた最後の例として、軍隊が昭和二十年代まで使っていたことが記されていますが、その後もセコセコと文語を使いつづけている「歌人」なんて眼中に無いようです。歌人が使う文語なんて軍隊以下とでもいわんばかりです。
 その理由も、この本を読んでいるとなんとなくわかります。
 一つには、山本氏が言うには、文語というのはやはり日常生活に普通に文語があるなかで身につけた文語こそが本物で、文語が使われなくなってしまった時代におぼえた文語などは、しょせんニセモノに見えるようです。昭和二十年代までは使われていたという軍隊の文語も、すでに本来の文語とはどこか違うものになっていたと書いてあります。
 つまり、歌人がいくら文語を使いつづけたとしても、それは歌人本人は文語をきちんと学んで正しく使っているつもりでも、ネイティヴで文語に親しんで育ってきた人から見ると、そんなのはしょせん文語をマネただけのニセモノであって、ほんとうの文語ではないと見えるのかもしれません。だから、文語のなかで育っていない歌人が後から身につけた文語なんて、文語ともおもわず、相手にしなかったのかもしれません。
 そして、もう一つ理由が考えられます。
 作者は、新体詩や、あるいは訳詞で文語が使われていた時代は、詩は多くの読者に広く読まれていた。しかし、口語を使うようになってから詩は読者を失い、同業者の詩人くらいしか詩を読まなくなった……と書いています。文語とはそれほど魅力的なものだといいたいのでしょう。
 しかし、そうすると、短歌は文語が使われ続けているにもかかわらず、やはり読者を失い、同業者の歌人ぐらいしか短歌を読まない状況になっているのはなぜかというのが説明がつかなくなります。
 つまり、短歌を視野に入れると、実は文語なんてさほど魅力的なものではなく、文語を使い続けていたって詩は誰にも読まれなくなったんだ……。いや、詩は短歌に比べればまだ多くの読者をもってるかもしれない、とすると、文語より口語のほうが良いんじゃないか……という話になってしまいます。
 つまりは、自分の理屈を正しいとおもいたいがために、意図的に短歌を無視したのかもしれません。そうとると、この作者の理屈も、氏が語る文語の魅力というものも、いきなり説得力が無くなりますね。
 どっちが真相かはわかりませんが。

 このようにこの本には文語文に対する山本氏の愛着が書かれていますが、山本氏自身は文語文などで書いてないし、文語を書くべきとも言っていません。
 なぜなら、先述したとおり、山本氏のいう文語とは成長期に文語を日常的に使う環境で育った人間による、いわば血肉となっている文語であって、そのような環境が既にないいじょう、文語の復活は不可能と考えているからです。
 しかし、山本氏は文語は読まれるべきだとは考えているのでしょう。
 なぜなら、平安時代のまま止まっている文語に親しめれば、古典を自由に読みこなすことができると考えているからのようです。氏は古典主義者のようで、人類の知恵なんて二千年前の古典にほぼ出尽くしていると考えているようです。
 しかしぼくは、こういった考えには同意はできないのです。
 理由として、この本のなかでめずらしく短歌について書かれた部分を紹介しましょう。
 山本氏は正岡子規以前は短歌は芸術ではなく、風流でありたしなみだったといい、子規がそれを芸術にしてしまったことを批判しています。そして、現代の短歌が歌枕等を忘れてしまったことを批判し『たとえば「吉野」といえば代々の歌人が吉野について詠んだ歌が思い出されて文学的内容が深くなるのに、現代歌人はその悉くを捨ててかえりみない』と批判しています。
 しかし、「吉野」は代々の歌人に詠まれたからおなじみの場所なのではありません。古代においては「吉野」は聖域だったために多くの歌人によって詠まれたのです。「吉野」と聞いて「聖域」であるという意味を感じない人間が、言葉ばかり昔と同じ言葉使いをして「吉野」の歌を詠むことに何の意味があるのでしょうか?
 そういうぼくだって、「吉野」が「聖域」だったという知識くらいはありますが、その聖域に踏み込んだときに古代人が感じたであろう恐れと聖性を皮膚感覚でかんじられるかといわれたら、まず無理でしょう。ぼくは古代人とは違う文化のなかで育った人間だからです。
 遠い過去の一時代というのは、いわば別の世界です。同じ言葉を使っているからといって彼らの考え・感覚がそのまま自分にも感じられると思うのは大間違いでしょう。むしろ、現代の文化とその時代の文化の違いを意識し、彼らがどのような世界に住み、何を信じ、どのような感覚・意識・価値観をもってどのように生きてきたのか、知識と想像力を総動員しなければ近づいていけないものでしょう。
 現代の感覚で安易に古典を読むことはたいていの場合誤読しか生まないのです。もし山本氏が「吉野」と聞いてそれを「聖域」とおもわず、「代々の歌人が詠んだ場所」としか連想できないとしたら、そんな山本氏の古典読解の底もかなり浅いものではなかったかと思わずにはいられません。
 だいたい「子規以前は短歌は芸術ではなく、風流でありたしなみだった」といっても、いつからそうだったんでしょうか? 少なくとも初期万葉の頃には短歌はむしろ呪術に近いものだったでしょう。それからどういう変遷を辿っていったかはぼくも勉強不足でまだ良く知りませんが、山本氏も明治以前の文化についてどの程度研究しているんでしょうか?
 安易に古典に手を出して誤読するよりも、現代に書かれたものから遡っていくほうがいいんじゃないですかね。山本氏は歴史は現代から遡って教えていくべきという考えの持ち主のようですが、それと同じことじゃないでしょうか。
 まあ、そうだとしても、文語ももちろん読めたほうがいいものだとは思いますが。

 そのほかにも山本氏の言うことは、ぼくには同意できないことがいくらでもあるんですが、でも、この本を読むと作者のこだわりや主張は理解できます。
 文語を使いつづける歌人はこのような本を書くべきなんだと思います。
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2006年08月27日

短歌「機関車の夜」


この都市の囚人としてぼくたちは無数の窓のそばに立ってる

断片化していく街を破壊して巨大なレールを敷きつづける夜

巨大な夜の機関車が都市を巻き込み渇いた蒸気を噴き上げる

からだじゅうの無数の傷口から細い芽がのびていく白い空へと

大空が燃え尽き灰の聖堂が見えはじめた時ひろがる翼
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2006年08月24日

短歌「きみを忘れた物語」


教室の光のなかでわらってた少年の名は忘れ去られた

ほんとうにそれは4月の海だった水も砂浜もなかったけれど

広場には広場にいないきみがいる 空があまりに低くてせまい 

雪の上をいっぱい足あとつけていく誰かがとおった後みたいに

だれかがいない教室で待っていた みんないるけどだれかがいない

それはきみが忘れた物語 草の匂いにみちた夏にみつめた

鉄橋は冷たく叫ぶ落ちていくあの子の歌声かき消すため

ひとりきり見渡すかぎりの平原に柵をつくった鋼色の空

美しい季節が終わり生徒たちは物質のようにくだけ散ってく

どこにもない青い空をみている ほんとはだれもいない教室

この町にきのうとおなじまいにちを信じつづける少年がいた

世界とは、たったひとつの劇場に映るおもさのない淡い影
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2006年08月21日

短歌って文学か? 芸術か?

 短歌関係のページをネットサーフィンしてみて、いろんな人の発言を見ているうちに、ある事に気づきました。
 それは短歌を「文学」だと言う、というか、積極的に言いたがる人のページというのがあって、たぶんこれは、そうでない人とはっきりと分かれそうな気がしてきたのです。
 なぜ、そんなことを書くのかというと、ぼくはどうも短歌や小説を「文学」と書くことにかなり違和感があるのです。
 前にここにブルトンの『魔術的芸術』について書いたとき、「文学」という言葉を使いました。『魔術的芸術』が絵画や彫刻など美術について書かれた本なんで、それに対して詩や小説など言葉を使ったジャンルをひっくるめて指す言葉として、ほかの表現が思い浮かばなかったから使ったわけです。でも、「文学」という言葉を使うのには違和感があって、書きながら、なんか、ちがうなって気がして、居心地がわるいかんじがしながらも、他の言葉が思いつかずにしかたなくつかっていたのです。
 その「文学」とともに違和感があるのは、「芸術」という言葉です。
 なんでも昔の一時期、短歌の世界に影響を与えたのに「第二芸術論」というのがあって、短歌は「第二芸術」だとする評論なんだそうで、これもネットをいろいろ見てて知りました。
 けれど、第二かどうかはともかくとして、短歌を「芸術」だということには、個人的にはかなり違和感があります。
 でも、かなり積極的に「短歌は文学だ」とか「芸術だ」と書いている人もみかけるのです。どうも、そういう人たちはまったく違和感なく、むしろプライドをもっていっているようです。
「いやしくも短歌は文学だ」というフレーズまでどこかで見ました。
 これって世代的な差なんでしょうか? それとも文化圏が違うということなんでしょうかね?

 いったい、短歌って「文学」なんでしょうか? 「芸術」なんでしょうか?
 けれど、これはほとんど考えなくてもわかることで、そういう問い自体が無効なんです。
 なぜなら、短歌は「文学」よりも「芸術」よりもずっと古くからあるからです。
 つまり、短歌は「文学」なのか、「芸術」なのかと問うことは、たんに「文学」とか「芸術」という言葉ができたときに、短歌をその枠内のものとして定義したかどうかという問いでしかないわけで、まったく本質的な問いにはならないのです。
 「芸術」という言葉が生まれたのは何時かというと、これは前に聞いたことがあって、19世紀のことだそうです。
 それまでは絵は絵であり、音楽は音楽、小説は小説であり、それらを全部ひっくるめて「芸術」と呼ぼうという考えはなかったわけです。つまり短歌は「芸術」なのかといわれたら、そのときにひっくるめて定義されたうちの一つだったのかどうかという意味でしかないわけです。
 「文学」という言葉が何時から使われてるのかは正確には知りませんが、おそらく近代に入ってからであり、日本に入ってきたのは明治以後でしょう。
 いっぽう短歌は万葉集の時代からあるわけで、しかし、それは日本に文字が入ってきて書き記されだしたのがそのくらいの時代ということで、実際はもっと古くから、広義の「詩」としていうなら、おそらく人類の歴史とともにあったようなものです。
 それを「文学」と呼ぼうが「芸術」と呼ぼうが、しょせんは後づけの定義にすぎず、本質的なものではないのです。

 では、なんでプライドをもって「短歌は文学だ」といいたがる人がいるのでしょうか?
 それはおそらく「文学」というのが権威の装置だからではないかと、ぼくはおもっています。
 つまり、「これは単なるエンターテイメントではない、文学なんだ」というと、それが権威のある、1ランク上のものであるという意味になるとおもっているからでしょう。
 しかし、この「文学」の権威というのもあやふやなもので、例えば夏目漱石なんて生前は、遊びで小説を書いているエンターテイメント作家だと思われていたようで、しかし当時「文学」だと言われていた作家はすべて忘れられ、夏目漱石が「文学」として読みつがれてきたわけです。海外の場合でも、例えば今では優れた小説家の代名詞というべきフローベールは、しかし当時のフランスの文壇が評価したのは、現在ではフローベールの才能のない友人としてしか名をのこしていないデュ・カンのほうだったというのは蓮実重彦の『凡庸な芸術家の肖像』に詳しく書かれているところです。
 ディケンズにしても、ドストエフスキーにしても、当時はめちゃくちゃ売れた作家だったわけで、べつに文学として権威筋に評価されたからああなったわけでもないようです。
 かといって「文学」を否定してエンターテイメントのほうが優れているとするのも、それはそれで一面的な見方でしかないわけですが、つまりは「文学」なんてものはもともと根拠の薄いあやふやなものであって、本来は「文学」だからどうってことでもないものなんです。
 夏目漱石が『文学論』を書こうとして悩み、ついにものにできずに小説家になったのは、「文学」というものの普遍的な根拠がみつからず、疑いつづけずにはいられなかったからでしょう。しかし、だからこそ夏目漱石の小説が「文学」として読みつがれているともいえるわけです。

 さて、しかし漱石らによって一度日本に文学が根づくと、その根拠を疑うことは忘れられ、文壇という村社会ができてヒエラルキーができ、その村へ入るための通過儀礼としての各種新人賞などができました。そうして「文学」というのは、共同体として存続してきたんだとおもいます。
 でも、そういった文学というのが疑われることなく存在したのは、たぶん1970年代まででしょう。
 日本の文学者は誰かというと、例えば大岡昇平、大江健三郎、中上健次あたりまではいかにも「文学」という感じがするのですが、村上龍、村上春樹となってくると、ちょっと「文学」と呼ぶことに違和感がでてきます。たぶん、このへんが分かれ目だったんじゃないかと個人的には感じています。

 それでも、現在でも、「文学」というのを信じている人はいるんでしょう。
 自分を信じろ……なんて、スポーツなどでは言われますね。
 でも、「文学」なんてものは逆に、疑うことに意義があるもんじゃないでしょうか。夏目漱石がそうであったように、「文学」なんてものを根本のところから徹底的に疑ってみることこそが、逆にいえば「文学」なんじゃないでしょうか。
 つまり、「短歌は文学だ」なんていってしまったら、短歌は文学としてダメなんじゃないでしょうかね。
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中井英夫『黒衣の短歌史』を読んでみる

 中井英夫という人はぼくにとっては『虚無への供物』などを書いたミステリ・幻想系の小説家でした。彼が小説家になる以前、短歌雑誌の有名な編集者であったことは今年になってはじめて知りました。
 まあ、そもそもぼくは短歌というジャンルに知識がほとんどなくて、塚本邦雄という名前も前衛短歌というのも去年初めて知ったくらいなんで、そんなもんです。
 その中井英夫が短歌について書いた『黒衣の短歌史』というのが有名なようなんで読んでみました。
 「黒衣」とくるのが中井英夫らしいとおもったら、これは舞台での「黒子」のことで、編集者とはいわば俳優を陰で支える黒子の役割である、その黒子からみた短歌史……といった意味のようです。
 創元文庫から出ている中井英夫全集の『黒衣の短歌史』の巻はこの『黒衣の短歌史』のほかにそれ以後の短歌論を集めた分厚い本で、中井英夫の短歌論がまとめて読めておトクなかんじです。

 中井英夫が短歌雑誌の編集の仕事をしていたのは1950年代から60年代にかけての10年あまりのことのようで、その頃の話が中心になります。
 ぼくはこの前、岡井隆の『現代短歌入門』という本を読んでみて、何を言いたいのかわからない文章に苦労しながらも、この時代の短歌の歴史みたいなものがわかったのは収穫だったと思っていたのですが、どうも、同時代を中井英夫の視点からみると別の見え方がしてきて、やっぱり歴史というのは一人の人間の意見をみるのではなく、かならず複数の視点からみないとわからないものなんだと思いました。
 最初、予備知識として、中井英夫は前衛短歌のムーブメントをおしすすめた編集者だみたいな説明をどこかで見ていたのですが、読みはじめるといきなり、前衛短歌は嫌いだという書かれていて、あれっと思いました。
 ぼくは何だかわからないけど塚本邦雄、葛原妙子、寺山修司、岡井隆、春日井建あたりを全部まとめて前衛短歌というらしいといういい加減な知識しかなかったのですが、同時代を後ろから支えてきた中井からすれば、そういうものではなかったようです。
 まず「前衛短歌」という名称自体、中井とは関係のないところでできたもので、中井はその名称も傾向も嫌いだったようです。どうも、もともと「前衛短歌」とは岡井とそれに合流していった、短歌で社会問題などを扱うべきだとしていった一派を指す言葉だったようです。中井は近藤芳美が言った言葉を引用して「短歌を有用なもの」としようとした一派のことだと説明し、中井のほうは短歌は無用なものであり、無用だからこそ素晴らしいものだという考えを一貫してもっていたようです。
 中井は岡井自身についても、馬力は認めるものの作品や思想は評価していないようです。それでも70年代に書かれた岡井の全歌集の書評では岡井に対する偏見もようやくなくなったと書いているのですが、80年代にはまた岡井がした仕事をわかっていないなどと発言していて、岡井への評価は最後まで微妙であったことがうかがえます。
 そして中井は塚本邦雄も「水葬物語」のときには短歌界の救世主のように評価しても、岡井と気が合って「日本人霊歌」などへ作風を変化させていったことを苦々しくおもっていたようです。
 そして中井がそんな嫌いな「前衛短歌」に対抗するつもりで推したのが春日井建や浜田到だったようで、しかし当時のジャーナリズムによって、そのへんも全部まとめて「前衛短歌」と呼ばれるようになっていってしまったと書いています。
 つまり、どうも「前衛短歌」というのは、最初はある考え方に依拠したジャンルとして定義できるものだったのが、やがてムーブメント全体を指す、定義としては曖昧な言葉となっていったようです。まあ、日本ではよくあることですね。

 岡井隆と言っていることが違うと思ったのは、『現代短歌入門』では岡井は当時の短歌界を牛耳っていたのはアララギ派の「写実」という方法論だといい、それを否定して、自己の方法論を主張しているわけですが、『黒衣の短歌史』を読むと当時の短歌界を牛耳っていたのは「写実」などという方法論やアララギ派でさえなく、短歌結社のもつ固定化した年功序列のヒエラルキーだと書いてあります。
 つまり、年齢や歌歴の長さによって歌壇における地位が上がり、一度偉い先生になってしまえば、つまらない身辺雑記のような短歌ばかり書いても雑誌に堂々と載り、誰もそれを批判せず、若い歌人はどんなに才能があろうがいい作品を書こうが評価されることはない。大先生の推薦で雑誌に作品が載る新人というのは、その大先生の下で長い年月修行したお気に入りの弟子だけ……というような世界です。
 岡井の言っていることと中井が言っていること、どちらが正しいんでしょうか。
 ぼくは当時の知識はありませんが、間違いなく中井が正しいと思います。
 知りもしないのにどうしてそう言い切れるのかと思われるかもしれませんが、たしかにぼくは当時の短歌界なんて知りませんが、日本人というものは生まれてから現在までうんざりするくらい見てきて、ある程度知っているつもりだからです。
 そして、ぼくの経験からいえば確実に、日本人の集団というのはイデオロギーや方法論の相違で動くことは無く、共同体の論理によって動くものなんです。中井が書いている固定化したヒエラルキーというのは、今も昔も、日本人の集団・組織が風通しの悪くなると必ず陥る弊害であり、現在でもあちこちでうんざりするほど見せつけられてきた日本人の姿です。
 たとえば数年前再ドラマ化された『白い巨塔』で批判されていたのは大学病院のヒエラルキーでしたね。ああいうことは最初に小説が書かれドラマ化された数十年前も批判の対象になり、しかし、現在でもほぼ同じ姿で批判の対象となる、数十年間批判されてもまったく変化しない日本的なヒエラルキー、日本人のもって生まれた性質から生まれたみたいなところがあるものだとおもいます。
 どうも『現代短歌入門』というのは、若かった岡井が鼻っぱしらの強い若者特有の自己本位な意識で書いた本のようです。同時代を別視点からみたこの本を読んでいて、それが見えてきました。

 中井英夫は母親の影響で幼少の頃から短歌の心得があり、しかし、短歌雑誌の編集者になったときにはもう短歌への興味を半ば失い、読者として見る目はあるものの作歌はしていなく、あくまで仕事として就職し、編集者になったようです。
 このような、短歌の世界にとっての「外部の人間」によって短歌界の革新が行われたという事実はなかなか意味深いところがあるとおもいます。
 当時の短歌界のような旧態依然としたヒエラルキーのなかで自足してしまっている集団というのは、その集団の内部にいるような人間にはどうすることもできなくて、「外の価値観」を持っている人にでないと意味のある革新はできないものなんじゃないでしょうか。
 ところで、そんな短歌界の旧態依然としたヒエラルキーというのは、現在の短歌界ではもう無くなったものなんでしょうか?
 どうも、最近、ネットで短歌関係のページをあちこちサーフィンしてまわってたんですが、なんだかまだ厳然として残っているような気配がしてきているのですが……。
 どうもぼくは、そのような日本的な村社会のヒエラルキーが嫌いで、でも生きていくためにはつきあっていくほかないところもあって、でもそこに埋没するのも嫌なんでいろいろ趣味をもったりするのですが、そうやって趣味で覗いてみたどの世界にも似たような村社会のヒエラルキーがあるのを知らされると、だんだんうんざりしてくる気持ちがあります。
 なんだか、ほとんど短歌について知らないままマイブームとしてアソビのつもりで短歌をやってきましたが、事情がわかるにつれ、やはりここもそうなのか……と嫌〜〜っな気持ちになってきたところです。

 と、まあ、直接内容と関係のないようなことばかり書いてしまいましたが、『黒衣の短歌史』はおもしろい本です。いままで読んだ現代短歌に関する本のなかではいちばん良い本だと思いました。
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2006年08月19日

短歌「ステーションへ中継」


草原の宇宙空港 夜空から降ってくる声をずっと聴いてた

この町とよく似たスペースコロニーで眠りつづける人類と会う

きみとふたり眠街区域にしのびこみ世界の機能を試してみよう

木星で石板を見るロボットがピラミッドへと進化をはじめる
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2006年08月11日

短歌「懐かしい未来」


こわれかけたドーム都市はぼくたちの夢の卵の殻だったこと

宇宙船の巨大な倉庫にしのびこみ缶蹴り遊びをいつかしようよ

記憶ユニット抜かれたきみが船室にペタンとすわり星をみている

ひとりきり無限の宇宙空間できみを想って泳いでいたい

月面でふるさとの町をみつければ煙のように散る宇宙服
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2006年08月06日

短歌「地球少年」


夜空から汽笛がきこえた頃ぼくは銀河を駆ける切符をもってた

パパがまだダースベーダーだった夜 星よりはやく土手を走った

かなづちで中耳炎でも宇宙遊泳はできるさ 地球少年

いつか宇宙港に住める日までずっとガラス窓のそばで寝ている
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2006年07月31日

アルトー『演劇とその分身(演劇とその形而上学)』

 アンドレ・ブルトンの『魔術的芸術』で味をしめまして、もう少しシュールレアリズム系の本が読んでみたくなり、アルトーの『演劇とその形而上学』を古本屋で買ってきて読みました。
 これは『演劇とその分身』というタイトルで新訳が出ています。が、ぼくは古本屋で安価で売ってるのを買ったんで、読んだのは旧訳のほうです。おそらく新訳のほうがいいんでしょうね。旧訳は訳者があとがきでこの本を「独断と偏見と誤謬に満ちた詩人の叫びでしかない」とか書いていて、おもわず「おいおい」とツッコミを入れたくなってしまいました。そんな理解で訳してたんですね。
 けれど、ブルトンの『魔術的芸術』あたりを補助線にして読んでいけば、それほど奇説が書いてあるわけでもない気がします。それでも充分に普通ではないのですが、「独断と偏見と誤謬に満ち」ているとは思いません。
 それにしても凄い本ですね。

 アルトーの演劇に対する見方はブルトンにおける「魔術的芸術」に近いところにあるようです。実際、自分のいう演劇について「魔術行為としての演劇」といってもいます。つまり、アルトーは古代や未開社会からのパースペクティヴで「演劇」というものをとらえているので、ここでいう「演劇」は、いま劇場で演じられている近代的な演劇一般のことではありません。
 未開社会で祝祭などに使われた仮面がブルトンの『魔術的芸術』では図版として載っているのですが、アルトーはこういった仮面などを「魔術的芸術」と呼んだブルトンとは少し違った見方をします。というのは、そういった仮面は祝祭のなかでそれをかぶって儀式を行ってこそ力を発揮するものであり、そのような仮面をもってきて美術館や博物館に並べて鑑賞するというのは間違っている……という考えがアルトーの基本的なスタンスに思えます。
 つまり「魔術的芸術」というものは生きられて初めて存在するもので、一部分だけ切り離してもってきて鑑賞するものではない……それがアルトーにおける「演劇」ということのような気がします。
 最初の章ではえんえんと中世のヨーロッパにおけるペストの惨状が書かれていて、いったい何がいいたいんだと思うのですが、ある家人が全てペストで死に絶えて開け放たれた家に、貧しい人々が入りこんで富を盗もうとする、が、それが何の意味もないと知ったときに「演劇」がはじまるといいます。
 つまり、自暴自棄になって、品行方正だった息子は父親を殺し、守銭奴は金を窓から投げ、町を守った英雄はその町を焼き払う……。そういった、いままで抑圧されていたものを解き放つ、まったく無償の行為こそが「演劇」だと……。
 別の箇所では、人々が自分の「生」を所有できない時代においては、犯罪が「詩(ポエジー)」になるとも書いています。
 おそらくこういった「演劇」観というのは、「演劇」というのはチケットを買って劇場で鑑賞する娯楽だと思っている人には、何をいっているのかわからないでしょう。
 けれど、例えばバタイユの『呪われた部分』の消尽の理論などを補助線にするとよくわかるような気もするのです。つまり、「演劇」というのは古代においてはおそらくアルトーのいうような行為だったような気がするのです。ある特定の(聖的な)時間・空間において、日常生活で抑えつけられたものを解き放ち、そうすることによって自分を取り戻し日常生活に生気を取り戻すような……。
 それが時代の流れとともに「演劇」が大衆娯楽として洗練されていき、古代の演劇がもっていた社会的な意味や力を失って、似ても似つかないものになってきた、そこをアルトーは古代の、あるいは非西洋社会の演劇を、生きたものとして取り戻そうといっているのだと思います。

 さて、ぼくがおもった素朴な感想というのは、たしかにアルトーの気持ちもわからないではないのですが、そんなことが本当に可能なんだろうかということです。社会の変化というのは必然的なものなので、昔がよかったからといって昔に戻れるものではないでしょう。古代の演劇を取り戻そうとしても、古代社会に戻れるわけではない……。
 アルトーもそのことには気づいていたようで、自分のやりたい演劇が受け入れられるためには別の文明が必要なのだとか書いているのですが。

 個人的には演劇ってそんなに観てなくて、映画ファンなもので、映画のほうに連想をひろげてしまうのですが、アルトーのいう台本にたよらない演出による劇って、映画でいうとグルジェフみたいなかんじのものなんでしょうか?
 アルトーの提唱している「残酷劇」というのは、これも誤解を生みそうな名称ですが、ここでいう残酷というのは人間の生をありのままをとらえるということのようで、反対語は「きれいごと」となるでしょう。となると、アルトーのいう残酷さに最も近いのは小津安二郎の映画の残酷さだと思ったりしました。
 とはいえ、アルトーのようなスタンスに立つなら、複製芸術である映画ではなく、演劇にこだわらざるをえないんでしょうね。
 まあ、その気持ちもわかります。
 最後のほうでマルクス兄弟の『けだもの組合』と『いんちき商売』をホメているのもおもしろかったのですが、そのマルクス兄弟やバスター・キートンのような、あるいはハワード・ホークスやルビッチが撮っていたような破壊的なまでにスラップスティックなコメディ映画も絶えて久しいもので、現代の映画・ドラマなど、映像による表現力は世界的に危機的なまでに低下していることをひしひしと感じる現状でもあります。
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2006年07月29日

アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』

 日本の昭和初年のモダニズムはダダイズムやシュールレアリズムから影響を受けたものということで、なんとなくまたシュールレアリズム関係の本が読んでみたくなりました。
 そんなとき、近所の古本屋で、数年前出たアンドレ・ブルトンの『魔術的芸術』の普及版が出てまして、この手の本の常としてあまり安くはなってなかったのですが、いい機会だと思って買ってきて読みました。しかし、店先でぱらぱらっと豊富な図版を見ただけで、安くない値段は少しも惜しくなくなる綺麗な本ですね。

 さて、内容を読み出してみて、けっこう意外に感じました。
 ブルトンの本ということで、題名からみても、一種の詩的なエッセイみたいなものかと想像していたのですが、まるで苦労人の学者が書いたかのように手堅く論理的に書かれた本です。
 どうやらブルトンという人は澁澤龍彦とか、あの手の趣味的にしかなりえないタイプの人より一枚も二枚も上手のようです。ブルトンってむかし『ナジャ』だけぱらぱらっと読んでみて、こういうもんなのか……と思ってただけだったのですが、見る目が変わりました。
 書かれた時をみてみると、1957年が初版だということで、ということはこの本は日本のモダニズムには影響を与えてはいないってことに気づきました。そして、どうもパスの『弓と竪琴』と共通するようなものの見方があるような気がしました。

 まず内容へいきます。
 最初は「魔術」と「宗教」の違いを定義するところから始めて、長く生命力をもつ芸術作品というのは、偶然か意図的かにかかわらず、人間の無意識に強く訴えかける、魔術的な力をもっているのだといいます。(美しい女性が魔術的な力をもっているというのは、けっこう本質をついているのだ……とかいって、「魔術」の定義をかなり広く定義しています)
 そして、その視点から古代や未開社会の美術品(?)からはじまって、あらゆる時代の芸術作品を再検討していきます。
 そしてルネサンス以後の西洋美術の技術的向上を、芸術の本質を忘れて見かけだけの巧さを求めたものであり、かえって芸術の本質を見誤らせ、芸術を危機に陥れたとみます。そして近代的な意味での高度なテクニックやセンスをもった画家、アカデミックな芸術家を否定し、そのような風潮にまどわされずに鑑賞者の無意識に訴えかけてくるような魔術的な作品をつくってきた作家を評価していくわけです。
 つまり基本的には従来とは違った価値観による美術史の書き換えといった内容になっています。
 芸術の本質とは何か? と問うたとき、古代からのより広いパースペクティブでとらえているブルトンの視点こそ真実と見ざるをえないところがミソだとおもいます。つまり、近代的な芸術観でみてしまうと古代や未開社会の美術品(?)は、単に原始的で下手な作品と見ざるをえないわけで、そのような作品をなぜ人間は作ってきたのか、そしてそのような作品がなぜ現代人にも強い印象を与え、ピカソなど現代の才能ある画家までがなぜそういった作品を手本にし、その魅力を積極的に自分の作品にとりいれようとしたのかが説明できないからです。
 かといって、では、ルネサンス以後の美術の技術的な向上を無視していいのかというと、そういうものでもないような気が、個人的にはしてるんですが。

 それから、ブルトンの趣味というか、価値観というようなものが読んでておもしろかったです。ルーベンスやドラクロアをケナして、アングルを評価しています。最初の二人をケナすのは流れ上しぜんですが、アングルを評価することころがおもしろいですね。アングルってそんなに見たことなかったのですが、いろいろ見てみたくなりました。
 それから、カンディンスキーを手ばなしで賞賛して、クレーをケナしています。……これはぼくにはわからなかったです。どういうところに本質的な差をみてるんでしょうね。
 一般的にはシュールレアリスムというとダリを連想する人がけっこう多いようで、でも実際にはダリはそんなにシュールレアリスムとは関係が深くなかったんだという話は聞いてましたが、この本でもブルトンはキュビズムを賞賛するのの返す刀で、ダリの絵のフォルムなんかは、その前のキュビズムの試みによって、ダリが描く前からとっくに時代遅れになっていたんだと否定しています。ぼくもダリがいまいち好きでないのは形がつまらないからだったんで、共感しました。
 それから、こういう傾向であれば当然ウィリアム・ブレイクは誉めるかと思うと、たしかに評価はするのですが、詩で描いたものを画で描いただけと奥歯にものがはさまったような言い方をして、ビクトル・ユゴーのデッサン(水墨画だと書いてありますが)を評価しています。
 ぼくは以前、ユゴーのデッサンというのを、なんだか崖っぷちに建った城のようなものの絵を見たことがあるのですが、それが妙に印象に残っていて、ほかにも見てみたい気になったのですが、残念ながら図版には入っていませんでした。
 それから、以前、ルネサンス期の絵をいろいろ見ているとき、ウッチェロという人の絵が、なんだか下手な気もするんだけど妙に好きだってしまったのですが、どうやらウッチェロという人もこんへんの人が再評価して名が知られるようになった画家だということを、この本を読んで知りました。
 その他、キリコとかモローとかも好きだし、けっこうぼくは意識しないうちに、このへんの人たちが見つけた画家たちを好んで見てきていたようです。

 最後にぼくが感じたパスの『弓と竪琴』との共通点についてですが、見てみると『弓と竪琴』の初版が1956年ということで、どうもどちらかがどちらかを読んで影響を受けたというわけではなさそうです。でも、二人ともこれより前から書いていたので、これ以前の著作から影響を受けたということも考えられます。とくにブルトンからパスの流れは……。
 ぼくが感じた共通点というのは、『魔術的芸術』は美術を扱っていて、詩やら小説やら、文学の方面のほうは扱ってないのですが、この理屈を文学に敷延させるとかなり『弓と竪琴』と同じようなスタンスになりそうな気がするのです。
 つまり、パースペクティブを古代や未開社会から現代までの広いスパンでとって、そこにおける文学の力というものを探っていくと、これはどうしても詩にいくしかないんですね。小説や散文では近代だけになってしまいます。(日本では『源氏物語』などがありますが、これは世界的にみればかなり興味深い特殊例とみるべきで、別個に扱うべき課題でしょう)
 そして、近代〜現代においては、詩は小説や散文にかなり押されてしまっているようにみえるのですが、これもブルトンのいう「魔術的芸術」のおかれている状況と重なります。
 たぶんパスが『弓と竪琴』で詩が本質的に魔術的で儀式的なものだといったとき、ブルトンと同じような考えがモトにあったような気がするのです。
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2006年07月27日

萩原朔太郎の「猫町」を読みながら

 有名な作品だけど、興味はあるんだけど、だいたいどんな内容なのか人から聞きで知っているもんで、読まないままになっているものってあると思うんですけど、ぼくの場合、萩原朔太郎の「猫町」もそんな作品の一つでした。が、この機会に読んでみました。もともと短編なんで、読む気になればすぐ読めるわけです。
 これを読もうとおもったきっかけの一つは菅野覚明の『神道の逆襲』という新書を読んだからで、ここで日本の神道がいう「神」とはどんなものなのか、その絶好の例としてこの「猫町」があげられていたからです。
 これは(ご存知のかたが多いと思いますが)、よく知っている町の通り(日常)をたまたま逆向きに歩いただけで、そこに非日常の町が出現し、そこで「猫町」の幻想が生じるという内容なのですが、この日常の空間のなかにとつぜん非日常の空間が出現するというのが、いわゆる「神がかった」状態であり、神道でいう神とはそういうものだというのです。

 さて、この前、オクタビオ・パスの『弓と竪琴』を読んだ感想を書いた部分で、パスの意見をもとに、「詩」というのは「神聖なるもの」や「ヌミノーゼ(戦慄すべきもの)」、「絶対的他者」と対峙したときの儀式的な呪詛、あるいは祈りのようなものから生じてくるものではないかという意見を書きました。
 ですが、「聖」の反対語は「俗」であり、もし「詩」が「聖性」からうまれるならば、その反対である「俗」「日常」といったものは「詩」にはならないことになります。
 となると、短歌は定型の短い「詩」だと考えるとすると、「日常」を題材にすればそれは「詩」ではなくなり、短歌でもないことになります。
 と考えると、おそらく反論が出てきそうな気がします。というのは、短歌ではごく日常のこまごまとしたこと、身辺雑記のようなことが書かれる場合が圧倒的に多いわけです。これは歴史的にみればアララギ派の影響とかあるんでしょうが、『サラダ記念日』だってそうだし、新聞に載るような短歌(実はほとんど読んでませんが)だってそうでしょう。
 では、あれらはすべて短歌(詩)ではないということなんでしょうか? それでも日常を描いたものは短歌(詩)でもないのでしょうか?
 実はぼくはその通りなんじゃないかと思っています。
 つまり、やっぱり日常を描いたもの、単なる身辺雑記的な内容のものは詩でも短歌でもないんじゃないかと。
 でも、「日常」と「非日常」の境目はかなり微妙なものだとも思うのです。
 それは最初に書いた「猫町」のようなものです。よく知っている町の通り(日常)が、少し見方を変えただけで非日常の町にかわる、そのとき、その非日常に対峙したときに、詩(短歌)がうまれるような気がするのです。
 たぶん、「日常」と「非日常」の差というのは題材そのものにあるわけじゃなくて、ちょっとした見方の差のようなところにあるんじゃないでしょうか。「猫町」がそうであるように、ごく住み慣れた「日常」の通りが、かんたんに「非日常」の空間に変化してしまったりするんだとおもうわけです。

 と、考えると、実はそういった意味でも「非日常」になってなくて、たんに「日常」を書いただけの通俗的な短歌って、すごく多いんですが。
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2006年07月24日

言葉の古さ、新しさ

 どんなものでも時間がたつと古くなるものです。古くたって良いものは良いのですが、いくら良いものでも古びたものは古いびたものであるのも事実です。「時間がたっても少しも古びない名作」なんていうのは嘘で、実際は古びているけど現在でも価値を失わない作品がそう呼ばれているわけです。そのように「時間がたっても価値を失わない作品」というのもありますが、それだって時間がたてばたっただけ古びてはいるのです。
 でも、日本のいわゆるモダニズムの詩を読んでいると、奇妙な感覚にとらわれます。70年以上も前の作品なのに、言葉がぜんぜん古びてないのです。
 西脇順三郎と北園克衛の短い詩を一つづつ引用してみます。


  「眼」
      西脇順三郎

白い波が頭へとびかかってくる七月に
南方の綺麗な町をすぎる
静かな庭が旅人のために眠っている
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く
              (『Ambravalia』1933、収録)



  「MIRACLE」
            北園克衛

夏の踊子は片足をあげて沈んでゆく。とつぜんに水平線がちぎれて
純白の塔のうへに菫色のヨットが現はれてくる。
                 (『円錐詩集』1933、収録)


 どちらも70年以上も前に書かれたものですが、一部旧かな遣いをしている点を除けば、そのまま最近書かれたものだと言われても信用してしまうくらい言葉が新鮮です。というか、最近書かれた短歌など読んでみてもこれほど新鮮な言葉にはなかなかお目にかかれません。
 けれども、この時代の詩の言葉がどれもこれほど新鮮なわけではありません。
 例えば同時代の三好達治の詩を少し引用してみてみます。


  「乳母車」
           三好達治

母よ──
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
   (以下略)
            (『測量船』1930、収録)


 これはいかにも70年前の古い時代の叙情詩というかんじがします。「ふるなり」なんて言い方は、いまではコロ助しかしないでしょう。でも、そういった古めかしい言い回しを外して現代語訳したとしても、やはり古めかしさは拭えないとおもうのです。「泣きぬれる夕陽」とか、表現も古いですね。
 といっても古いからダメだといいたいわけではないです。が、古びていることはたしかだとおもうのです。
 ちなみに、この三人の生まれた年を書くと、西脇順三郎が1894年生まれ、北園克衛が1902年生まれ、三好達治が1900年生まれで、だいたい同世代の詩人といっていいでしょう。
 だいたい同時代に書かれた同年輩の詩人の作品の言葉が、どうして一方はこれほど新しく感じられ、一方はこれほど古びているのか……。これはこの時代の言葉とか、世代論とかに帰せられる問題ではなく、この三人の資質や目指しているものの違いに理由があるとみるべきでしょう。
 つまり、西脇順三郎と北園克衛が当時のいわゆるモダニズムと呼ばれた運動のなかにいた人にいた人であるのに対して、三好達治は中原中也とか立原道造とか「四季」系と呼ばれてるらしいグループにいる人なんですね。だいたいこの「四季」系の人々が書いたものはすべて、いま読むと古めかしいのです。
 その古さと新しさの印象の違いはどこからくるんでしょうか。
 少しかんがえてみたいとおもいます。

 ぼくが上の三つの詩を見比べてまず感じることは、西脇と北園の言葉がはっきりした輪郭をもっているのたいして、三好の言葉はぼんやりした印象を感じるということです。
 三好の詩を見てみましょう。
 まず母に呼びかけてから、「淡くかなしきもの」が降るといい、「紫陽花いろのもの」が降るいうわけですが、それが何なのかはわかりません。その形容詞にしても「淡い」「かなしい」「紫陽花いろ」と、どれもぼんやりした印象をもつ言葉で揃えられています。
 第一、最初は話者がどういう状況にいるのかもわかりません。後からそれが並木道であり、たそがれで、風が吹いていて……などと少しづつわかってきます。わかってはきますが、あまり具体的ではない、ぼんやりした印象で、なんだか霧のなかからぼんやりと情景がすこしづつ浮かびあがってくるのようなかんじがします。
 こういうふうに、物事をはっきりとは書かず、ぼんやりとした曖昧さのなかに感情移入させようとするのが、日本的抒情の定番の手のようです。こうしたぼんやりとした抒情に、たぶん当時でも既に古めかしいものであったとおもわれる言葉遣いを合わせるところに、当時の三好たちのグループの目指しているものがあったんでしょう。
 それは、あえて単純に言ってしまえば「ぼんやりと古めかしく書いておけば良い作品にみえる」ということでしょう。

 対して西脇の場合、すべてが明確なんですね。まず「白い波が頭へとびかかってくる七月」と、それが何時なのかが動的に示され、「南方の綺麗な町」と場所が示されます。そして「静かな庭が旅人のために眠っている」と、さらに細かい場所と主人公がそこを旅していることが示されます。すべてが具体的であり、しかも無駄のない言葉できっちりと描かれているのが特徴的です。映像がくっきりと鮮明に見えてくるわけです。
 北園克衛の場合は、意味から切り離された言葉のコラージュのような作品なわけですが、「夏の踊子」「片足をあげて沈む」「水平線がちぎれ」「純白の塔」「菫色のヨット」と具体的なイメージが一つ一つの言葉で明確に書かれています。これも映像が鮮明に見えてきます、シュールな絵ですが。
 どちらにも、三好のように「淡くかなしきもの」とか「泣きぬれる夕陽」とか、ぼんやりとした言葉は出てきません。霧のなかからぼんやりと浮かんでくるような情景ではないわけです。
 両者に共通していえることは「輪郭のはっきりした鮮やかなイメージを的確に伝える」ことにこころがけていることでしょうか。

 言わせてもらえば、三好達治の詩のような言葉って前近代的なんですね。明治以後の文学が苦労して否定してきたものがこれなんです。形式こそ萩原朔太郎以後のいわゆる自由詩ですが、言葉が近代以前に戻っていってしまっている。
 でも、その前近代的な叙情性にもそれはそれで良さというのもあるわけで、このような曖昧で体感的とでもいうような言葉を極めていくという方法もあるとおもいます。というか、最近の短歌を読んでいると、そっちのほうの流れの人っていくらでもいるような気がしてるんです。
 対して西脇・北園の言葉は近代を通過しているという意味で現代的な気がします。つまり遠近法的に空間・時間が把握されていて、言葉を透明な道具として使いこなすことができている。

 ぼくは現在の自由詩のほうはほとんど読んでないんで知らないんですが(というか、短歌だってそんなに読んじゃないですが)、目につくかぎりで現在の歌人をみると、西脇・北園のような言葉を使う人はいない気がするんですが、どうなんでしょう。
 ぼくは現在でも通用するのは圧倒的に、西脇・北園のような言葉じゃないかとおもってるのですが。
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2006年07月21日

西脇順三郎の詩の定義

 前回からの続きで、そんなわけで日本のモダニズムについて少しづつ調べてみてるんですが、どうもこのモダニズムから登場した最も有名な詩人は西脇順三郎のようで、実はこの人は名前を聞いたことはあったんですが、読んだことはありませんでした。
 そんなわけで、この前と同じく Book-Off で筑摩書房の日本文学全集のなかの『萩原朔太郎・三好達治・西脇順三郎』の巻を105円で買ってきてみました。
 で、西脇順三郎の部分をぱらぱらと読んでみていたんですが、詩もおもしろかったのですが、その後にエッセイというのか詩論というのか、「PROFANUS」という文章が載っていまして、少し読んでみたところ、すごくおもしろい文章にぶつかりました。少し引用してみます。

   人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ず
  ることが詩的動機である。詩とはこのつまらない現実を一種独特の興味(不思議な
  快感)をもって意識さす一つの方法である。(中略)
   習慣は現実に対する意識をにぶらす。伝統のために意識力が冬眠状態に入る。故
  に現実がつまらなくなるのである。習慣を破ることは現実を面白くすることになる。
  意識力が鮮明になるからである。       (西脇順三郎「PROFANUS」)

 これはいい詩の定義ですね。
 たぶん詩というのは、冬眠状態になっている感覚を生き生きとよみがえらせよう、現実を鮮明でおもしろいものにしようとすることでしょう。
 それが言葉によって書かれるということは、おそらく人間は言葉によってものを感じ、言葉によってものを考え、言葉によってものを作る動物だからでしょう。
 感覚を冬眠状態にさせ現実をつまらなくする原因は、この文章が指摘するとおり、習慣であり、伝統でしょう。現実を「こういうものだ」という固定観念でとらえてしまう、無意識のうちにみんなと同じような言葉をいい、みんなと同じように感じ、考えてしまう。もっといろいろあるはずなのに、無意識のうちに同じレールの上ばかりを意識がトレースしてしまう……ということが感覚を眠らせ現実をつまらなくすると思うのです。
 そう考えると、ぼくが文語などをつかった伝統的な短歌を書くということにまったく興味をかんじない理由もわかった気がしました。
 こう書くのが伝統だ、みんなこう書いている……という習慣があって、それに縛られていたら、むしろ感覚は冬眠状態に入り、それは詩ではなくなっていくでしょう。伝統や習慣は破らなくては意味がありません。
 とはいえ、破ることもそれはそれで難しいものだとおもいます。というのは、伝統や習慣を破るにしても、誰もが思いつくような普通の破りかたをしたり、たんにめちゃくちゃやっていたんでは、それは伝統・習慣と同じくらいつまらないわけです。つまり単なるアンチテーゼじゃ逆向きの伝統・習慣にしかならないわけで、それでは向きが変わっただけでおもしろくない、優等生もつまらないけど、絵にかいたような不良もつまらない……とおもうわけです。
 たぶん、おもしろい伝統・習慣を破りかたって、もっと微妙なズレのなかにあるような気がします。その微妙なズレを見つけて、それが成立する微妙なバランスをとりつづけることがおもしろいんじゃないでしょうか。
posted by aruka at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月20日

吉本隆明の『抒情の論理』を読んでみる 3

 吉本隆明の『抒情の論理』には、日本の近代以後の詩の歴史について書かれています。ぼくは日本の詩っていままであまり読んだことはなく、詩史を意識して系統だてて読んだことは皆無でした。そんなもんで、知らない名前がたくさん出てくるので、この機会にちょっとばかり読んでみようと思い、Book-Off で筑摩書房の日本文学全集のなかの『現代詩集』という巻を買ってきました。105円でした。ま、この手の文学全集はわりと Book-Off で売れのこってますね。
 でも、この『現代詩集』はなかなかスグレモノで、計23人の作品が一詩集づつ収録されていて、『抒情の論理』に出てきたいろんな時代のいろいろなタイプの詩人の作品がこれ一冊でだいたい辿れるかんじです。
 それに、詩っていうのは、そんなにじっくり読んでみる気がなくても、いろんな人の作品をちょっとづつ覗いてみれるので便利ですね。

 まず、吉本隆明が前衛短歌に似ていると指摘する作品ですが、白秋などは別巻で大きく扱われているようで載っていませんが、その先駆というべき蒲原有明の『有明集』や、伊良子清白の『孔雀船』という詩集が収録されていて、だいたい感じがつかめます。
 1920年代からはじまったというモダニズム、プロレタリア詩運動系の詩人では、萩原恭次郎の『死刑宣告』、安西冬衛の『軍艦茉莉』、北園克衛の『円錐詩集』などなど多数人が載っています。
 この「モダニズム」というのはどうやら日本独自の意味あいらしく、ダダイズムやシュールレアリズムの影響を受けた詩人のことを指すようです。「モダニズム」という言葉自体は欧米にもあるのですが、そっちは違う意味であり、ダダイズムやシュールレアリズムの影響を受けた作品のことではありません。ここはあくまで「日本のモダニズム」ということで、たぶん「モボ」とか「モガ」とかが出てくる、あのくらいの時代の流行のことでしょう。
 で、このへんを読んで気がついたのですが、短歌の世界で90年代にニューウェーブと呼ばれた人がやっていた、記号の使用やタイポグラフィ、図の使用、言葉を意味から切り話すようなことって、ほぼこの時代のモダニズムの人がやっていたことの繰り返しですね。ぼくはああいうのって、ギョーム・アポリネールとか、あのへんの真似かとおもってたんですが、もっと身近なところでこの日本の戦前のモダニズムというものの真似だったようです。
 例えば萩原恭次郎の『死刑宣告』というのは各種記号やアルファベットを多用したり、タイポグラフィや、文字を90度、あるいは180度回転させたりと、あらゆる実験を駆使しています。北園克衛という人は意味を切り離した言葉のイメージで作っていく作風で、興味をもってネットで調べてみたら、タイポグラフィをさらに洗練させてグラフィック的な「見る詩」というところもやっていたようです。
 吉本隆明はこういった人たちのことを、ヨーロッパの同時代の詩を外側だけまねてよそおっただけのでたらめきわまるものと批判しているのですが、ぼくとしてはまだいくらも読んでないんで、評価については保留しておきます。
 さて、彼らがそのような様々な実験をとおしてしようとしたことが何なのかといえば、まず日本的な叙情性の否定でしょう。
 それをいえば、有明や白秋の『邪宗門』などがしようとしたこともそれだとおもいます。つまり、有明や白秋らは象徴主義の影響を受けながら、難しい漢語や比喩を多用して独特の美文を作り出すことで日本的な叙情性から抜け出そうとした、モダニズムの詩人たちはダダイズムやシュールレアリズムの影響を受けながら、意味を切り離したナンセンスで記号的な言葉使いや記号の多用、グラフィック的な文字配置のセンスなどで日本的な叙情性から抜け出そうとしたといえそうです。
 それはつまり、西洋からの思想や言葉、美学などを受け入れていく過程で、それを学び援用しながら自分たちの思想・言葉・美学を革新し前進しようとする試みだったと思うのです。それは明治維新以後に文学者たちがやっていた、言葉を作り変えることによって社会を、国家を、そして自分たちの感覚や思想を作り変えていこうという試みの一環だったととらえられそうです。
 そう考えると、それが吉本のいうとおり、たとえある時点で不完全だったとしても、そしてそれは決してわるいことではないし、それだけを理由に否定すべきものでもないと思うのです。
 詩史をみていくと、この後、モダニズムのムーブメントが去ると三好達治やら中原中也など「四季」派と呼ばれる人たちが台頭してきたようで(このへんの人も何人かこの本に入ってます)、このへんの詩は意識して読んでなくてもそれなりに知っているものが多いです。
 ですが、これらはあきらかに否定して乗り越えようとしてきたはずの日本の伝統的な叙情性への回帰であって、一周まわってもとに戻ってしまったかんじです。つまりこれは、自分たちを革新し前進しようとする試みが失敗に終わって、またぞろ土着性にもどってしまったものであって、そう素直に肯定もできないものであったことが見えてきました。
 とはいえ、一周まわってるだけ、それなりにモダニズムの成果なども踏まえているところが単純な回帰ではない点のようで、でも、三好達治でいえば初期の『測量船』などではまだ見られたモダニズムの残滓が、後の作品になるに従って消えていき、徐々に単なる日本的な抒情詩にすぎなくなってくると吉本は指摘しています。
 そして、このあと戦後詩に入っていくのですが、それ以後はここでは省略します。

 さて、ぼくが思ったことは、この有明や白秋の『邪宗門』と類似性がかんじられる前衛短歌、モダニズムと似ているニューウェーブ短歌というふうに、ここまで似てくると、短歌のここ何十年かの歴史は、詩の歴史を何十年か遅れで真似しているのに過ぎないのではないかという点です。
 で、結局のぼくの現在の意見をいえば、真似かもしれないし、少なくともあれらを新しい試み・斬新な手法だったと思い込むことは間違いでしょうが(でもそれは最初からわかっていたことでしょう?)、それでもあれはあれでいいんじゃないかとおもいます。つまり、試みていることや外見がどう似てようが、問題は結果であり中身だとおもうのです。
 結局のところ流行というのはいつも移り変わっていくもので、時間がたつと一度過ぎ去った流行が戻ってくるというのも珍しいことではないでしょう。詩や短歌における意匠というのも似たところがあるんじゃないでしょうか。たとえばニューウェーブ短歌の試みがモダニズムのコピーだったとしても、結局はその意匠のなかから優れた作家なり作品なりが出てくるかどうかが問題で、卓越した作家・作品が出てくるのなら意匠自体は過去の一時代のコピーであってもいいんだし、逆に卓越した作家・作品が出てこなければ、それがいかに新しくてオリジナリティ溢れる意匠だったとしても、結局意味ないんじゃないでしょうか。

 それにしても、この本を読んでてだんだん日本のモダニズムというものに興味が出てきました。
 ぼくは映画ファンなんで、1930年代が日本映画の最初のピークだっていうことは知っていたし、その時代の映画もけっこう観てるし、一般の人には伝統的な日本的な文芸作品を作ったと思われている小津安二郎が、実はとびっきりのモダンボーイ(モボ)だってことも意識していたのですが、いままで映画を離れてこの時代の日本の文化というのを意識して見てみたことはなかったのです。
 ということで、いま、少しづつこの日本のモダニズムというのを調べていってみようかなと思っているところです。
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2006年07月18日

吉本隆明の『抒情の論理』を読んでみる 2

 この本は短歌の世界の人からはとくに「短歌命数論」など短歌滅亡説が書かれていることで有名なようです。
 で、読んでみたのですが、それほどのものかと思いました。この「短歌命数論」って、この本のかなじゃ一番ダメな部分におもえるのです。
 というのは、現代語脈を導入するのなら区切りが五七調から変化してこざるをえない。それでいながら五七調を守るのは矛盾だというのですが、なんで現代語脈を導入するのなら五七調から変化してこざるをえないのか、その理由がきちんと論証されてなく、説得力がないのです。現在の日本のポップス、ロックの歌詞などみても、調べてみるとけっこう意外な曲が五七調で書かれていて、現代語でも五七調を守ろうとおもえば守れないものとは思えないわけです。ラップだって一種の定型でしょう? あれは五七調ではないとおもいますが。
 さて、このような吉本の主張の根底にあるのは「定型と非定型」などにある、「散文(小説)の発想から短歌を書くべき」という主張です。
 吉本は前回引用した岡井隆の短歌の例をあげ、

どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる  岡井隆

どの論理も〈戦後〉を生きてきて
肉が厚いから
しずかなる党をあなどっている          吉本隆明による口語訳

 このように口語訳すると内容的にはくだらなくみえる短歌と口語の詩のあいだには発想上の断層があるとし、詩と短歌と俳句は発想が異質だといいます(このあたりの説明がぼくにはよくわからず、下部構造だの何だのレトリックでごまかしてるだけのような気がしてしまうのですが)。そして、

   日本の現代詩歌の課題は、この近代詩と短歌と俳句との間にある発想上の断層を、
  解消する条件を見出すことにかかってくる。この条件が見つかれば、詩と短歌と俳句
  とは、たんに非定型長詩と定型短詩との相違にすぎなくなるのである。
  (中略)日本の詩歌の発想を統一する原型は、文学的内容、いいかえれば、詩歌にお
  けるコトバの文学性に求めざるをえないのだ。そして、この文学性は、散文(小説)
  的発想からする文学性とまったく同一なものを指している。
                          (吉本隆明「番犬の尻尾」)
       
 というのですが、この吉本の主張自体に誤りがあるのはあきらかです。
 たしかに詩と短歌と俳句との間に発想上の断層なんてものがもしあるのだとしたら、その統一を作品の「内容」に求めることには賛成できます。けれど、その場合でも「詩」と「散文」が別物であるのは、まえにここに書いたパスの『弓と竪琴』が分析しているとおりです。
 そもそも詩と短歌と俳句との間に発想上の断層なんてものがあるのか、ぼくにはわかりません。その短歌的発想の例として上げられているのが岡井隆の口語訳にするとくだらなくみえる短歌ですが、ぼくにいわせれば文語など難しげな言葉や言い回しを使用することによって、たいしたことのない内容を高尚な文学的作品であるかのように見せかけるのは、ゴマカシの手法の一種であって、短歌的発想などというものでもないでしょう。
 例えば自由詩だって散文だって、くだらない内容の作品でも読者が読み慣れない古語や難しげな漢語を多用すれば、一見高尚な作品のように見せかけることはできるのです。あるいは学者がきちんと説明できないことを質問されると、難しげな専門用語を並べたてて質問者を煙に巻いたりするのもこの手法の一種でしょう。(吉本がここでいっている「下部構造」だの何だのレトリックもぼくにはこの手法のように見えます)
 岡井の短歌の吉本による口語訳の意味は、短歌的発想の作品を自由詩的発想で書き直すとくだらなく見えるということではなく、難解ゆえに高尚に見せかけられていた作品を、わかりやすく訳すと、そのていどの内容であったことがわかるというところにあるんじゃないでしょうか。
 おそらくこの、あるのかないのかわからない、あったとしてもたいしたことのないような詩と短歌と俳句との間の発想上の断層なんてものばかり気にして、確実に存在し、かつまた重要なものである詩と散文との間の断層に気がつかなかったところが当時の吉本隆明の限界でしょう。
 つまり、散文(小説)の発想で書くのなら散文(小説、評論など)を書けばいいのであり、「散文の発想で書かれた短歌」なんていう中途半端なものを書く必要なんてまったくないのです。
 そうであっても吉本の「散文(小説)の発想から短歌を書くべき」という意見も、それはそれで一つの意見ではあるでしょう。けれど、するとこの吉本の主張は短歌だけでなく自由詩にも当然あてはまるはずです。つまり、おそらく吉本は自由詩も散文の発想で書くべきだと主張しているのでしょう。
 けれど、これも散文の発想で書くのなら散文を書けばいいのであって、「散文の発想で書かれた自由詩」なんていう中途半端なものを書く必要なんてまったくないのです。
 さて、これを「短歌命数論」と呼ぶのなら、これは当然「自由詩命数論」でもあります。
 そして、この「短歌=自由詩命数論」の予言どおり、間もなく、当時は詩人でもあった吉本隆明のなかで自由詩の命数が尽きて、吉本は詩を書かなくなり、散文(評論)専門になりました。これは吉本隆明という個人のみの問題としてはまったく正解だったのでしょう。
 しかし、それが吉本隆明個人をはなれて一般論にはなりえないことはあきらかです。
 それは、もしいま詩なり短歌なり(面倒なので、全部まとめて広義の「詩」といってしまいます)を書こうとしている人間がいるとすれば、それは詩的発想から生まれる何かを書きたいからそうするのであって、散文の発想で書きたいのなら、はじめから詩は選ばないからです。
 詩の散文に対する独自性というのは、それが詩であることにあり、それ以外にはないのです。だから、詩は散文の発想で書くのではなく、あくまで詩の発想で書かなければ意味がありません。詩の発想で書きたいからこそ詩を書くのです。散文の発想で書くのなら、詩なんか書かずに散文を書けばいいのです。

 ぼくにいわせれば、このあたりの文章の意義はむしろ、文語などで難解を装い、一見高尚に見える作品でも、内容がくだらなければくだらない作品じゃないかと指摘したところにあるとおもいます。
 そしてその対象は短歌だけではなく、とうぜん自由詩でも散文でもあてはまります。難解な単語を駆使して一見高尚に見える散文でも、わかりやすく書き直してみて内容がくだらなければくだらない……ということを言わなければならないのです。
 そして、その意見と対立する意見として、いや、むしろ内容なんてどうでもいいのであり、外見こそが大事だとするマニエリスム的な美学の持ち主というのも存在します。これも定型でも非定型でも、とうぜん散文の世界でも存在します。岡井隆は『現代短歌入門』をみてもこっちのほうの考えなんで、内容をみるとくだらなくみえるのだとおもってるのですが。
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2006年07月17日

吉本隆明の『抒情の論理』を読んでみる 1

 ネットで短歌関係のページを見ていたら吉本隆明の『抒情の論理』という本のことをあちこちで見ました。図書館にでもあったらちょっと読んでみようかなと思ったのですが、ネットで検索してみるとこれは吉本隆明の初期の本で、かなり昔に絶版になっているようで、図書館でも見つからなそうな予感がしました。が、このような目次はネットで見つけました。


 吉本隆明 『抒情の論理』  1959 未来社

   恋唄
   エリアンの手記と詩
   異神
  1
   日本の現代詩史論をどうかくか
   前世代の詩人たち
   現代詩批評の問題
   「四季」派の本質
   現代詩の問題
   日本近代詩の源流
   短歌命数論
  2
   西行小論
   宗祇論
   蕪村詩のイデオロギイ
   鮎川信夫論
   戦後詩人論
  3
   現代詩の発展のために
   定型と非定型
   番犬の尻尾
   くだらぬ提言はくだらぬ意見を誘発する
   三種の詩器
     あとがき


 それなら、収録されてる文章を別の本で探してみようかと図書館に行ったとき見てみると、案の定『抒情の論理』はなかったかわりに、『吉本隆明全著作集』(勁草書房)というのが揃ってまして、そのうちの1、5、7巻に『抒情の論理』の内容は全部載っていることがわかりました。
 ということで、この3冊を借りてきまして、『抒情の論理』収録の部分を中心に読んでみました。

 いや、おもしろかったです。いままでも吉本隆明の本は何冊か読んだことはありますが、どうもダメになってきてからのを中心に読んでたみたいです。
 もっと後のほうになってくると吉本隆明はマルクス主義用語みたいなのを多用してへんに難解になり、何言ってるんだか論旨がよくわからないような本を書いたりするわけですが、この頃の吉本隆明はまだ言葉もイキイキしていてへんに難解になったり曖昧になったりするところがないようです。

 さて、これは基本的には日本の詩についての本で、まず冒頭に3つの詩があり(ここは1巻に収録)、それから日本における近代・現代詩、短歌などを歴史をたどりながら論じた部分(ここは5巻に収録)と何人かの詩人の作家論(ここは7巻)からなっています。
 ぼくはいままで日本の詩というのはほとんどまともに読んだことはなく、歴史についても知らなかったので、それ自体新鮮な気持ちで読めました。出てくる詩人の名前は知らない人ばかりなんですが、どういう詩を書いた人なのか見てみると、詩というのは作品を短時間で読めてしまえるものなんでいいですね。いろんな人の詩を少しづつ読んでみて、こんな人がいたのか……などと楽しんだりしました。
 北原白秋なんて人も童謡の歌詞を書いた人という程度にしか知らなかったんですが、いわゆる前衛短歌の言葉は白秋の『邪宗門』に似ているというんで見てみたら、たしかにそんな感じで、この時代の詩人がつくった文体が後の小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』とか、ああいったものの流れをつくっていったんだなと思いました。
 あと、個人的な興味としておもしろかったのは岡井隆との論争の部分です。
 もともとは吉本が「前衛的な問題」という文章で岡井の作品をほかの詩人のものと並べて批判したのに岡井が噛み付き、吉本が岡井をけちょんけちょんに論破していったもののようですが、『抒情の論理』にはそのモトとなった「前衛的な問題」は収録されてないようで、この『全著作集』5巻には収録されています。ということで、わざわざ調べて借りてきたかいがありました。
 さて、この論争の部分でおもしろかったのは、吉本が岡井の短歌を口語破調として訳してみるところです。


どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる  岡井隆

どの論理も〈戦後〉を生きてきて
肉が厚いから
しずかなる党をあなどっている         吉本隆明による口語訳


 吉本は「これが短歌作品として、ばかばかしくて読めるか」といい、このような岡井の短歌作品は、この程度の貧弱な文学的内容でも短歌の定型の枠のなかで書けば、けっこう作品として読めるという例だといっているわけです。
 ぼくはいままでいわゆる前衛短歌というのを読んでみて、塚本邦雄はおもしろいとおもったのですが、岡井隆の短歌はおもしろいとおもわず、でも、好みの違いかな程度にかんがえて、なんでそうなのかとはあまり考えてみてなかったのですが、これを読んでそうだったのかと気づきました。
 つまり、ぼくは無意識のうちに短歌を内容で読んでいたようで、しかし、岡井の短歌は文語定型の短歌としては一見ものものしく見えるんですが、内容を訳して読んでしまうと実にくだらないんですね。


海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ   岡井隆

海をこえて
かなしい結婚をあせっている権力の
やわらかい部分が見える             aruka による口語訳


月かげのあふるるばかり肩ありき魔の鳥つどう夜半というべし  岡井隆

月かげがあふれるばかり肩があった
魔の鳥が集まってくる夜半というべきだ      aruka による口語訳


 ほかに例をあげませんが、どれをみてもこんなかんじです。
 それに比べて塚本邦雄のほうは口語訳しても詩として読めるんです。


しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり  塚本邦雄

しかもなお雨が降っている
人々はみな十字架を打つ
静かな釘音をきいていた              aruka による口語訳


 このように文語の短歌は、口語に訳してみると、それがどの程度の内容をもった作品なのかわかります。
 もちろん、短歌作品を口語訳して理解すること自体が邪道であり、文語定型のまま読まなければならないんだ、という意見もあるとおもいます。それは、最終的にはそうでしょう。しかし、文語定型でみると一見ちゃんとした作品に見えはするが、訳して読んでしまうとメチャクチャな内容というので、はたしていいのかということです。
 吉本隆明はそれに反対の意見のようです。つまり、貧弱な内容を文語定型という枠をもたせることによって何となく立派に見えるようにしてある程度の作品ではだめなんじゃないか……といいたいのでしょう。
 個人的には、この点でいって吉本隆明に全面的に賛成ですね。
 いくら外見だけ立派に見せかけても、内容がつまらないものはつまらないですよ。なんだかんだ理屈をいったって、それが真実じゃないでしょうか。
 つまらない内容を立派に見せかける技術を磨くことよりも、おもしろい内容のものを書く技術を磨ことのほうが、よっぽど生産的だと思いますよ。同じだけ努力するなら。

 もっとも、岡井チルドレンというのもいるようで、若い世代の歌人のなかにも実に空疎な冗談みたいな内容を実にものものしい文語で飾りたてた短歌をつくっている人も、何人かみかけますが……。
 まあ、そうしたくてしてるんでしょうから、ほっとけばいいんですが。
posted by aruka at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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