2007年10月09日

穂村弘『短歌という爆弾』

 穂村弘の『短歌という爆弾』という本がブックオフで105円で売っていたので、買ってきて読んでみました。じつはあまり期待していなかったのですが、これはおもしろかったです。しかしそれは短歌の入門書としておもしろいというのではなく、穂村弘という奇妙な人間を描いた診断書みたいなおもしろさをかんじたのです。
 以前、ネットで短歌関係のサイトをあちこちいいかげんにサーフィンしているとき、たしか藤原龍一郎さんが(間違っていたらすいません)こんな批判をしているのを読みました。それは「穂村弘の短歌はすべて既成の元ネタがあり、自分はその元ネタがすべてわかる。そういう目でみると穂村弘の短歌はたんにその既成の元ネタを短歌の定型にあてはめただけのものにすぎず、オリジナルの部分がまるでない。自分はそのような作品とも呼べないようなものを評価することはできない」というような内容だったとおもいます。
 ぼくとしては世代が違うせいか穂村弘の短歌の元ネタはぜんぶはわからず、引用なのかオリジナルなのかわからない部分が多いので何ともいえないのですが、そういうものなのかとおもっていました。
 しかしこの本を読むとその批判は間違っていないとしても、その理由はふつうの人が想像するのとは違う事情のようです。
 ぼくは前半は飛ばして、3の「構造図」の章から読みはじめたのですが、この部分の最初のほうで穂村弘は自分の短歌はすべて既成の事物・フレーズのパッチワークにすぎないことを認めています。しかしそれはふつう人が想像するように、自分のオリジナルではいい作品がつくれないために既成のものをパクッたという話ではなく、そもそも穂村弘には自分という主体が無い・ひじょうに希薄であるために、自分のオリジナルな言葉を話す・書くなど不可能であり、かわりに出来合いのものを寄せ集めてきてパッチワークをつくり、そのパッチワークを「私」だといって差し出すよりほかなかったということのようです。
 そのパッチワークで埋め込んで「私」をつくりだすための容器として短歌の定型がちょうどよくて、そのために短歌が必要だったようです。

 オリジナルなものでなく、出来合いのものを自分の作品だといって差し出す方法論はマルセル・デュシャンに始まります。文芸の分野においてはドナルド・バーセルミが嚆矢でしょう。そこには近代以後信じられてきたオリジナリティという神話を否定しようとするクリエイターのコンセプトがあります。
 その点でいうと穂村弘がしたことは短歌としてオリジナリティがないばかりか、方法論としてもオリジナリティがなく、つまりあらゆる点において真似でしかありません。
 しかし、デュシャンにしろバーセルミにしろ、そのような方法論をとる背後にはクリエイターの主体があり、彼が意識的にそんなコンセプトを選びとったという意志があります。
 しかし穂村弘の場合、はっきりした「自分」というものがそもそもがなく、そんなコンセプトを選びとるという意識もなにもなくて、そんなふうにしてしか生きていけない主体であるというところが違っているとおもいます。
 それは幼児が他人の真似をしてみながら自分というものを意識していく段階(ラカンのいう鏡像段階とかナントカ、そんなのがあったように記憶してますが)あたりで意識の成長が半分止まってしまったような事態で、穂村弘の短歌に幼児的な印象をうける理由もわかったような気がしてみました。たぶんある種の病人なのかもしれませんが、クリエイターなんてたいていどっか病的な部分をもった人だともいえるでしょう。

 カート・ヴォネガット,Jr.の短編で、素人芝居の役者を主人公にした話がありました。
 彼はある芝居の練習に入ると、プライベートでもその役になりきって生活します。その役に完全になりきれるという点で彼の演技力は定評があります。ところがその芝居が終わり、次は何を演じるか決まっていない状態になると、彼は困ってしまいます。つまり、彼は何らかの役になりきってしか生活できないのです。その役を演じる必要がなくなり、自分本来の姿でいていいといわれると、どうしていいかわからなくなってしまいます。彼は「自分」として生きることができないのです。そして次の演目が決まり、彼の演じる役が決まると、彼は嬉々として今度はその役になりきって生活するようになります……。
 どうもこの話はたんなるフィクションでもないようで、たぶん穂村弘という人におきているのも、このような「自分」の空洞化ではないでしょうか。
 そうかんがえると彼が『手紙魔まみ……』という作品を書くようになっていった理由も、べつの意味が見えてきた気がします。
 これはどっかで言われていたような物語的な手法を導入した連作などといったものではなくて、自分が空洞で、そこをパッチワークで埋めることしかできなかった人間にとって、別の人間になりきって演じるということは、すごく安心することなのかもしれません。

 さて、しかし、そうみるとこの『短歌という爆弾』という本の後半の大部分は異様な雰囲気をかんじます。
 ここでは穂村弘は「他者とは違う自分」とか「一回かぎりの人生の真実」とかいうような、いわば短歌型のパッチワークしか作れないパッチワーク人間の穂村弘とはまったく相容れない場所ばかりから短歌のことを語ろうとしているからです。
 筋からいけば、穂村弘の短歌作品に意味があるとすれば、それはこの本に書かれているような価値観を否定したところにあるはずです。逆にこの本に書かれているような短歌論が正しいとすれば、穂村弘の短歌は否定されなければなりません。
 ひょっとするとパッチワーク人間である穂村弘氏は、ここでも自分の言葉で自分で考えた短歌論を書いているわけではなく、いろいろな場所で読んだり聞いたりした短歌論のパッチワークを書いてみせているだけなのかもしれません。


 さて、穂村弘の『シンジケート』は一時期は若い世代にたいへん人気があり、影響も与えた歌集なんだそうです。ぼくはまったく知らなかったもののこの本もブックオフで105円で買ったので、たぶん部数もある程度出てるのかもしれません。
 では、この人気や影響力というのはなぜだったのかという点に興味がひかれます。既成のもののパッチワークというのはそんなに魅力的なものなのかという点です。というのは、ぼくはデュシャンは好きなのですが、彼のいわゆるレディ・メイド作品の場合、ぼくが魅力をかんじるのはやはり作品そのものというより、そのようなことを行った彼のコンセプトにこそ魅力をかんじるからです。そのコンセプトの部分をとってしまった場合、はたしてトイレの便器やモナリザに髭を描いたような作品にたいして、純粋な美術作品として魅力をかんじるかといわれれば、かなり否定的にならざるをえません。(そうおもうのはぼくの価値観にすぎませんが)
 しかし穂村弘の場合はコンセプトなしのパッチワーク作品なわけです。はたしてそういったものが魅力的な作品でありえるのかという点に興味がわきます。
 まず、穂村弘のおこなったパッチワークがどのようなものなのか、実例を示したいのですが、先に書いたとおりぼくは世代が違うせいか出典があまりわかりません。すべてわかる……とばかりいってないで、わかる人は実例を示してほしいものですが、仕方ないのでぼくがわかる範囲でいきます。


新品の目覚めふたりで手に入れる ミー ターザン ユー ジェーン     穂村弘


 この歌の後半はかろうじてぼくでも出典がわかったものの一つです。
 この「ミー ターザン ユー ジェーン」という部分はフィリー・ソウルのグループ、イントルーダーズの70年代半ばのヒット曲のタイトルです。「ぼくはターザン、きみはジェーン、ぼくらはジャングルに棲んでるんだよぉ〜」というような曲です。しかし、ぼくはたまたま音楽ファンで、それも過去にさかのぼって聴くのも好きなファンで、一時期黒人コーラス・グループをあれこれ聴いてみたことがあるんで知っていましたが、たぶん70年代半ばにまだ洋楽を聴く年齢に達していなかった世代ではイントルーダーズの曲のタイトルを知っている人はほとんどいないでしょう。これがビートルズやビーチボーイズの曲だったら世代をこえて知られている可能性は大きいのですが、イントルーダーズはもっとマイナーです。
 しかし、「ターザン」なら世代をこえて誰でも知っているでしょうし、ターザンの恋人の名が「ジェーン」だとを知っている人もけっこういそうな気がします。となると「ミー ターザン ユー ジェーン」というのは何を言いいたいのか、イントルーダーズを知らない世代でも意味はわかるはずです。けれど、なんでここだけ英語のカタカナ表記になってるのかは、これがイントルーダーズの曲のタイトルであることを知らないとわからないはずです。
 他がよくわからないので、ごく少数の例から類推するしかありませんが、たぶん穂村弘の引用のしかたというのは、このようなものなのでしょう。
 さて、では穂村弘より若い世代の読者の目にはこの部分はどう映るんでしょうか? たぶん、たいていの人は「意味はわかるけど、ちょっと不思議で、意味ありげ」というふうに感じるんじゃないでしょうか。「ターザン」や「ジェーン」は知っているから意味はわかるものの、なんで英語のカタカナ表記になってるのかわからず、しかしそうしてあることに意味がありそうだということは感じとるからです。
 これはぼくの想像にすぎませんが、穂村弘より若い世代の読者に穂村弘の短歌が魅力的にみえたのは、この「意味はわかるけど、ちょっと不思議で、意味ありげ」というかんじが心地よかったからなんじゃないでしょうか? なんだか理由のわからないちょっと謎めいたものは魅力的にうつるからです。
 しかし、出典を知っている人間にとっては少しも不思議でも意味ありげでもなく、たんなる引用にしかみえません。それは若い世代が「不思議で意味ありげ」に感じる理由は、たんに穂村弘がパッチワークに利用した前世代のサブカルチャーを知らないためであり、それを知っている人間からすると穂村作品に謎めいた部分などまるでなく、「あれ」を短歌の定型にあわせただけだとみえてしまうからです。となると、出典を知っている世代には穂村弘の短歌は魅力的にみえないわけです。
 というのがぼくの推論ですが、どうなんでしょう。
posted by aruka at 23:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

ネット短歌の盛り下がりを喜ぶ

 いまネット短歌の世界は盛り下がっていて、ネットで短歌を書く人の数は減りつづけているんだそうです。複数の場所でそんなことが書かれているのを見ました。
 それを知って思わず、「やっぱりな、ザマーミロ!」と心のなかで叫んでしまったのはぼくだけなんでしょうか?

 ぼくは二年ほど前くらいふと思い立って、ネットで短歌など書きはじめたのですが、短歌の世界を少しづつ知るうち、「なんで?」という疑問符の連続でした。
 短歌なんて、誰でも書けるものなんで、誰だって気軽に入っていけるのかとおもえば、みょうに閉鎖的な雰囲気があり、あちこちで自分たちだけの集団を作って閉じている。しかもその集団内で年功序列による固定した上下関係というのがあるらしく、雑誌などに作品がよく載るのはその序列で上位にいる先生ばかりらしい。たった31字前後しかない形式なんで、その枠内なら何をやってもいいのかとおもえば、やたらに「こうしないといけない」とか「こうじゃないといけない」と決めつけたことを言う人が多い。その結果できあがった作品をみれば、小さくまとまってしまっていたり、何を言いたいんだかわからないのが多くて、けっきょく、つまらない。しかし、大センセイが書いた何を言いたいんだかわからない作品はみんなが絶賛している。じゃあ、その作品はどういう意味なんだろうと知りたくて内容を解説したものを読んでみると、解説者の数だけ内容があるというかんじで、つまりみんな自分勝手に自分流の解釈をしているだけで、結局のところわからない……。
 そんなことのくり返しでした。
 なんでもっと、何でもアリにして、おもしろければ新人でもどんどんピックアップしていかないのか、つまらない作品や理解不能な作品は批判されないのか、わかりませんでした。
 わからないので評論のたぐいを読んでみると、それはもっと意味不明で、短歌以外の世界で一般常識とされているはずの前提が踏まえられてなかったり、そもそも理屈のつじつまも合ってなかったり、どうしてこれが? と思うものが名著扱いされていたり……。
 そういう歌壇へのアンチテーゼとして枡野浩一とかが投稿ブログをやっていたのかもしれませんが、これはこれでまた別の窮屈な価値観のベクトルがあるようで、それほどおもしろいともおもいませんでした。たぶんこれは(内容は全然知らないので間違っているかもしれませんが)かつて糸井重里が「萬流コピー塾」とかいうのをやっていたようで、マスノ短歌というのは実は短歌というよりそういったものの後継だったんじゃないでしょうか。
 つまりこういうのは投稿者がおこなう参加型のオアソビなんじゃないでしょうか。べつにそれが悪いという気はまったくないのですが、個人的にはそれほど興味はかんじなかったわけです。

 つまりは、ほぼ31字で書かなきゃならないという大きな制限があるからには、その他にはそんなに細かいルールはなくて、何でもアリで自由にやれるジャンルかとおもったら、やたらに細かい決まりばかりがうるさくて、上下関係が厳しくて、エラい先生の言うことはワケのワカラナイことでも絶賛しなければならないような雰囲気で……、そういったこと外れるとまともに評価もされないような、古臭いお稽古ごとのような窮屈なジャンルなんじゃないかと感じることばかりでした。

 じゃあ、なんでおまえはそれでも細々とネットに短歌を書いてるのかといえば、それでもほんの少しのおもしろい出会いがあったからです。
 一番大きかったのは、中井英夫の『黒衣の短歌史』を読んだことだと思います。中井英夫は『虚無への供物』の作者としては知っていたので、短歌の本なんて書いてるのか……とおもって読んでみたわけです。
 で、これは面白かったです。まず中井英夫の評論も、短歌の世界を知らない人間でもよくわかり、おもしろいものだったのですが、それだけでなく、この本にピックアップされて載っている短歌作品もおもしろかったわけです。じっさいここに載っている歌人の作品は現在でも名作とされて本屋で売られているものばかりです。なんだかんだいって、この本を読んだんでぼくはなんとなく短歌を書き続けている気がします。

 しかし、この『黒衣の短歌史』に取り上げられている歌人は当時はみな新人でしょう。当時の歌壇でエライ人だったわけではなく、現在であれば雑誌にとりあげられることもなく、埋没するしかなかったような人たちでしょう。かといってマスノ短歌の投稿欄のような場でウケるタイプの作品ともおもえません。そんな無名の新人の作品のなかから、中井英夫が自分の価値基準ですぐれた歌人・作品を見出して、ピックアップしているわけです。
 たぶん、いまの短歌にもっとも欠けているのは、この中井英夫のようなことをする人なんじゃないでしょうか。
 短歌の世界の住人いがいの人にも理解可能な言葉で短歌のことを語ってくれ、すぐれた作品は無名新人の作品であってもピックアップして紹介してくれるような人です。

 というのも、これは「題詠100題」を観賞しての実感なのですが、短歌人口が減ってるとはいっても、現在書かれてネットに発表される短歌の数は膨大です。「題詠100題」のブログに発表される作品の数だけでも膨大であり、それぞれの作者のブログに行けばさらに数多くの短歌が載っています。さらに、ぼくは読みませんが短歌関係の雑誌、ぼくは入ってませんが短歌結社の機関誌や同人誌などを含めれば、とてつもない量の短歌が日々書かれ、発表されていることでしょう。
 しかも、ぼくの目で見たところ、その膨大な量の作品の、少なくみても90%以上はつまらないわけです(ほんとは99%以上といいたいくらいです)。それは必ずしもその作品がデキが悪いからということではありません。それぞれの読者によって価値基準や嗜好の違いがあるのは当然のことで、誰だっていいとおもう作品の傾向は違うものでしょう。実際、現在出版されている小説にしたって、ぼくはその90%以上には興味がなく、興味があるものだけ手にとるわけです。これは誰だってそうなんじゃないでしょうか。
 しかし短歌のばあい、では、自分が読みたいタイプの作品を読みたいとおもったとしても、選ぶ方法はありません。
 とりあえず一通り読んでみて、いいと思えるものを探せばいいとおもっても、作品の量が膨大なんで、一人の人間がその全部にひととおりでも目を通そうとおもったら、ほとんど苦行に近い状態になるんじゃないでしょうか。
 では、雑誌であれば、ネットとは違って掲載される作品は編集者によって精選されてるんじゃないかと期待しても、どうも現在の短歌雑誌に掲載されるのはぞれぞれの短歌結社で高い地位にいる人の作品ばかりであり、ほとんど年功序列の状態だという話です。
 こういう状態であれば、読者は短歌を読もうとおもったら、つまらない作品をひたすら読みつづけ、そのうちに少しくらいおもしろい作品と出会えることを期待するしかありません。しかし、そこまで暇な読者というのもほとんどいない筈で、たいていつまらなさにあきれて、読むのをやめるでしょう。

 かつての中井英夫のように優れた批評眼で膨大な作品のなかから優れた作者や作品を見出し、「これがいい」と紹介してくれる人っていないもんなんでしょうか。
 そうでなくても膨大な量の作品を、なんらかの方法で整理して、優れた作品をピックアップしていく方法ってないものなんでしょうか。

 もしかしたら去年までやっていたという「歌葉賞」というのはそういう試みだったのかもしれませんが、ネットにも掲載されているこの賞の選考状況の様子を読んでみると、しょーもないことばかり面白がっていたり、枝葉末節なことばかり指摘していたりで、つまらないことを理由に選んでいるんだなという感想しか抱けませんでした。じっさい「歌葉賞」を獲った作品というのを読んでみると、そうおもしろいともおもえません。
 もちろん、そんな感想を抱いてしまうのは、ぼくが短歌を見る目がないからだといわれれば、その通りかもしれません。というか、いままでぼくはそうおもってました。
 でも、彼らがそんなに魅力的な歌人たちだというのなら、「歌葉賞」出身の歌人たちが活躍しているはずの現在、なんでネット短歌が盛り下がるんでしょうか? ネット短歌の人口が減るんでしょうか?
 かつて中井英夫が寺山修司や春日井建、浜田到らの新人を世におくりだした時のように、新しい読者を生み出す結果になぜ結びつかないんでしょうか?

 短歌を書きはじめてからずっと、自分の感性はかなり少数派なんだとおもっていました。なんでつまらない短歌ばかり読まされるのか、なんで有名な短歌の評論や入門書がぼくには理解不能なのか、なんで「歌葉賞」受賞作品はつまらないのか、こういう世界を理解できない自分の感性ってかなりヘンなんじゃないかと思いつづけてきました。が、ネット短歌が盛り下がっていると知って「やっぱりな、ザマーミロ!」と思ってしまいましたね。
 やっぱり、けっこう多くの人がぼくと同じ感想をもってるんじゃないかな。
 いまの短歌の世界はワケがワカンなくて、つまらない……って感じるのは、けっこう普通の感性なんじゃないかと、自信がもててきました。
(もっとも、それをつまらないと感じる人が、それならぼくと同じものをおもしろいと感じるのかというと、そうともいえなでしょうけど)

                     ★

 最後に。なんだか、現在の短歌はつまらないということばかり書いてきたんで、ぼくがおもしろいと思う短歌を引用しときます。中井英夫の『黒衣の短歌史』で知った歌人から浜田到の短歌を少し。


森に雪ふれば〈在る〉ことの罪あざやかな夜を眠りをはりたし         浜田到

脈細り少女ほろびしかば春の硝子にも映らずなりて吾につれそへり       浜田到

石の街に微笑みにじませ一滴の油彩のごとき短き生すぎぬ           浜田到

墓地の空流れてゆける夜の雲に白き手套をひとはめをへぬ           浜田到

ほのぐらき靴の中にして近づき行けば太陽のみが居たり父の死ぬ村       浜田到


 もう数十年前の作品なんで古いといえば古いんでしょうが、やはりここにはいまも古びない「詩」があると思いますね。現在の短歌のほとんどはこのような「詩」の境地は目指そうとすらしていないでしょう。べつにすべての歌人が同じようなところを目指す必要はないのですが、ではそれにかわる何か別の魅力なんてものがあるのか、ぼくにはわかりません。
posted by aruka at 01:37| Comment(8) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月30日

萩原朔太郎を読んでておもったこと

 どうも最近になってようやく萩原朔太郎登場の意味っていうのが少しづつわかってきた気がしています。というのは、本など読んだところによると、萩原朔太郎というのは口語による詩を定着させた人といった説明がされていて、そういうものかのおもっていました。しかし、そういう目で読んでみると、『月に吠える』や『青猫』あたりでさえ少し文語表現もみられます。それでも、それ以前の新体詩などとくらべればずっと口語的といえるのでしょうが、でも「口語自由詩」の創始者という目で見てしまうと、なんだか中途半端じゃないかという気が、ずっとしていました。
 それでも詩の内容が優れているのだから、それでいいじゃないかといわれれば、それはその通りなんでしょうが、本など読むとあきらかに萩原朔太郎というのはその登場によって時代が変わった人という説明がされていて、たんに優れた詩を書いた人ということじゃないように思えるわけです。
 では、萩原朔太郎の口語が口語として中途半端なのであれば、萩原朔太郎はいったい何を大きく変えたのか、それがわからなかったわけです。
 で、最近おもっているのは、どうも萩原朔太郎の詩は口語を使ったという点よりも、むしろ文語によるは因習的な修辞法とでもいうようなものを否定したことに意味があったんじゃないかということです。

 ぼくが因習的な修辞法と呼んだものを説明します。
 以前、このブログで筑摩書房の日本文学全集の『現代詩集』の巻についた篠田一士の解説を読んだときのことを書きました。島崎藤村の『若菜集』の「初恋」の二連め、

  やさしく白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

 このうちの前半の二行、白い手と林檎の鮮やかなイメージはこの時代の日本人が獲得した新しい感性の産物であり、しかし後半の二行は因習的な修辞であり、たんに伝統的に使い古された言い回しを踏襲したにすぎない……と書かれていたことを紹介したのですが、ぼくがいう因習的な修辞法とは例えばこんなものです。
 といっても、以前これを書いたときは、この後半二行に因習的な修辞(言い回し)がみられる理由は、島崎藤村がそんな因習的な修辞から自由になれてなかったという程度におもっていたのですが、どうもそうでもないような気がしてきました。
 上の4行を「呼-応」の関係でみてみると、たぶん前半2行が「といかけ」であり、後半2行がそれに「こたえ」ている部分だと思います。この、後半2行が因習的ということは、つまり新時代の「といかけ」に対して、古くからの因習で「こたえ」ていることだとおもうわけです。つまり、新しい「といかけ」に対して、新しい「こたえ」を出すわけじゃない。「こたえ」は古くから決まっている因習的なものであり、どんな「といかけ」に対しても旧来の、むかしから用意されている「こたえ」でこたえるわけです。
 なぜそうなるのかというと、多分そうすることによって読者は納得し安心する、詩としての安定感が得られるためだと思うのです。
 これはあまりいい例ではないのかもしれませんが、例えばテレビドラマの「水戸黄門」を想像するとわかりやすいかもしれません。つまり「水戸黄門」ではラストシーンははじめから決まっているわけで、水戸黄門が印篭を出すと悪人たちは「ははーっ」とかいって土下座するわけです。このラストシーンに対して、毎週前半の設定・ストーリーが足され、新しい悪人が出てきます。これはあきらかにラストシーン(「こたえ」)は以前から決まっている因習的なもので、それに対して次々に新しい前半(「といかけ」)が出てくる構造です。
 こういうドラマをワンパターンと非難するのは容易ですが、視聴者はあきらかにそのワンパターンを望んでいるのであり、つまり前半がどんなストーリーでありどんな悪人が出てこようとも、どんなに斬新で見慣れないタイプの悪人が登場してきたとしても、最後に水戸黄門が印篭を取り出し、その悪人が「ははーっ」と土下座すれば、視聴者は納得して安心し、今回の話が終わったという実感を得るわけです。だから、そう簡単に否定できるものでもありません。
 島崎藤村の新体詩の後半2行が因習的というのも、おそらくそういう効果があったんじゃないかと想像できます。つまり、前半2行がいかに斬新な、新時代の感性をもったものだとしても、そこから後半2行の因習的な修辞(言い回し)へもっていけば、読者はそこで安心して、詩の一連が終わったという感じがする、という効果をねらっているとおもうのです。
 もちろん、先に「水戸黄門」の例をあげたとおり、このような因習的な修辞法のようなものは、文語詩特有のものではなく、口語詩にだって、他のたいていの創作物に存在します。つまり、最後にここにもっていけば安定して終わった感じになるという決まりパターンのようなものです。
 たとえばJポップを聴いていれば歌詞にもそのような決まり文句があるのがわかるし、コード進行やメロディにもそのようは一定のパターンがあるのがわります。
 では、それを否定するということはどういうこなんでしょうか。
 それは実際に萩原朔太郎の詩を見ながら説明します。『月に吠えろ』の冒頭近くにある「竹」をみてみましょう。


  竹
      萩原朔太郎

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。


 これで全文ですが、たぶんこれを最初に見た当時の人って、けっこう異様なものに感じたんじゃないでしょうか。なんだかわからない、みょうに不安感をかんじるような。
 例えばラストですが、途中で途切れているように感じる人はけっこう多いんじゃないでしょうか。つまり、詩の最後の部分に、ここで終わっているという安定した実感がないのです。一応、2行めが最後に繰り返されてラストを形成しますが、それでもプツッと切れたような印象があります。つまり最後の部分で、因習的な修辞(言い回し)の内に着地してないわけです。
 さらにいえば詩全体にも、せきたてられるような、みょうに高いテンションが感じられ、不安に揺れ動いているかのようで、島崎藤村の詩のような安定感がありません。それはもちろん藤村の詩の七五調のような律がないことも理由でしょうが、それよりも「といかけ」に対して、見慣れた、安心できる「こたえ」が用意されてないことが理由じゃないかとおもいます。つまり因習的な修辞(言い回し)に着地していないわけです。

 おもうんですが、もし萩原朔太郎の詩の価値が、初めて口語を使用した詩というにとどまるのなら、萩原以後に書かれた多くの口語詩のなかに埋もれていたんじゃないでしょうか。だいいち、口語の使用という点に関していうならば、萩原朔太郎は『月に吠える』『青猫』においても文語が混じっていて中途半端であり、彼以後にはかんぜんに口語を使用した、つまり、さらに先へ進んだ詩が書かれているからです。
 やはり萩原朔太郎の詩の意味は、口語の使用という点より、因習的な修辞を否定したという点にあるんじゃないでしょうか。
 なぜなら、『月に吠える』が書かれた時点においては、因習的な修辞(言い回し)というのは文語表現のものだったのかもしれませんが、口語による詩が一般的に書かれるようになれば、すぐに口語表現による因習的な修辞(言い回し)が生まれるからです。そうなれば、誰だって、その因習的な言い回しを「こたえ」として使用することによって、安定感のある口語詩が書けるようになります。
 じっさい、現在のポップスの歌詞などをみてみれば、水戸黄門の印篭のように登場してくる因習的な修辞(言い回し)は容易に感じとることができるでしょう。
 つまり、口語詩であっても、どんなに「といかけ」が新しくなっても、むかしながらの「こたえ」を持ち出してきてしまうのです。そうすることによって安定した納得感が得られ、きちんと終わったかんじに着地できるからです。逆にいえば因習的な修辞(言い回し)を否定することは難しくなります。

 では因習的な修辞(言い回し)を否定するということにはどんな意味があるのでしょうか。
 また「水戸黄門」の例を出しましょう。水戸黄門は印篭を見せて悪を倒しているようにみえますが、実はあれは倒すことで敵を悪であると決めつけている行為なのです。というのは、現実では善と悪というのはそれほどハッキリ分かれるものではありません。例えば悪代官に菓子箱入りの小判をわたして商業の活性化をはかる越後屋の論理が間違っていて、権力をかさにきた水戸黄門が正しいとは、かならずしもいえません。
 しかし、ほどんどの人々は自分が信じてきた価値観を疑いたくないのです。それを疑うことは不安でおそろしいことだからです。だから悪だと信じてきたものを悪だと決めつけたい、正しいとおもってきたものを正しいと信じたいのです。そこから生まれるのが因習的な価値観です。
 つまり、視聴者は水戸黄門を正しいと信じたいがゆえに、悪人を悪だと信じたいがゆえに、水戸黄門が印篭を出したとき、悪人が「ははーっ」と土下座してくれれば安心し、納得するのです。
 因習的な修辞(言い回し)というのもこれと同じ意味をもちます。つまり、どんな「といかけ」にたいしても、古くからの因習的な修辞(言い回し)で「こたえ」てあれば、それで安心して納得し、安定感をかんじます。その「こたえ」がずっといままで信じてきた古くからの「こたえ」だからです。
 しかし、言ってしまえば、新しい事態に対して古い「こたえ」を持ち出して自分を納得させてしまうのは、つまり新しい事態から目を逸らしたいがための「ごまかし」にすぎません。
 実際には世の中には古い「こたえ」では処理できない新しい事態なんていくらでもあるし、そもそも「こたえ」なんて無い事態だってあるんです。それには新しい方法で対処しなければならないし、対処したって「こたえ」なんて出るとはかぎらないのです。
 つまり、因習的な修辞(言い回し)による「ごまかし」は所詮そのばしのぎのものにすぎませんが、萩原朔太郎が剥きだしのまま差し出してみせた不安感や、「こたえ」のない「といかけ」は、そのばしのぎの「こたえ」でごまかしていないだけに、いつまでも新鮮であり得るのです。
 たぶん、それが萩原朔太郎が時代を変えたといわれる理由なんじゃないでしょうか。
posted by aruka at 00:32| Comment(0) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

村木道彦の「緋の椅子」

 だいぶ前から村木道彦という歌人が気になっています。というより、ぼくが興味があるのはこの人が書いたもののうち「緋の椅子」という連作だけなのですが。しかし、どうもぼくの気になりかたが正しいのかどうかわからない、という言い方もヘンですが、この人について書かれた解説や評論のたぐいを読むと、どれもぼくの読みかたとはかけ離れた読み方がされていて、それらが正しいのだとすると、ぼくのおもしろがりかたというのはまったく間違ったものであるようです。
 例えば現代歌人文庫に付いている正津勉という人が書いた解説には、この人の作品を、「青春・若さ」といったものと強く結びつけているようなのですが、ぼくの読みかたにすれば「緋の椅子」の魅力は「青春」とかいうものとはまったく関係がないものです。もっとも村木道彦が書いた他の作品にはたしかに青春モノのような風俗を書いたものもあります。例えば次のようなものです。

失恋の<われ>をしばらく刑に処す アイスクリーム断ちという刑      村木道彦

スペアミント・ガムを噛みつつわかものがセックスというときのはやくち   村木道彦
  
 しかし、ぼくにはこれらは「緋の椅子」の連作とは比べものにならないほどレベルの低い作品、ほとんど別人が書いてるといったほうがいいもののように感じられるのです。
 もっとも、これらの作品はあきらかに現在の十代の人などがケータイなどで投稿するタイプの短歌に似ていて、そういったものの先駆という意味はあるのかもしれません。が、こういうタイプの作品を書いたというだけの人であれば、ぼくにとっては村木道彦という人はまったく興味のない人です。
 「緋の椅子」の連作のなかでは次の歌が有名なようで、独立して引用されたりもしています。

するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら   村木道彦

 しかしこれは、これだけ読むとなんだかわからない内容で、実際この歌がどういう意味かということについては、複数の解説文を読むとそれぞれの解説者がまったく別々の解釈をしたりしています。
 つまり、これは主人公の恋人がマシュマロをほおばりながら主人公を捨てた……という歌だと解釈しているものもあれば、主人公がマシュマロをほおばりながら(かなり性的な意味あいで)自分を捨てたことを語っている……ととっているものもあります。
 しかし、ぼくはそもそもこの「緋の椅子」の連作をそんなふうにドラマチックな、あるいは人生のワン・シーンを切り取った作品のようにとること自体が違うんじゃないかという気がします。
 ぼくが感じる「緋の椅子」の魅力というのは、主体と世界が同時に消えてしまっているような感じ、「自分」という主体がすっぽりなくなっていて、けれど感覚の一部だけがのこっていて、そこに感じられる外部(世界)のようなものが、在・非在の微妙なバランスのうえで揺れうごき戯れているような感覚です。
 例えば一連のなかでマシュマロの歌の前後には次のような歌が置かれています。

耳のみがふき遺されているわれにきれぎれやなんの鐘ぞきこゆる      村木道彦

秋いたるおもいさみしくみずにあらうくちびるの熱 口中の熱       村木道彦

 この聴覚のみがかすかに存在していてぼんやりと鐘の音が切れ切れに聴こえているだけという存在感、口や唇の触感だけがかすかに残っているかんじ、そんな感覚だけの動物になってしまった「自分」の前に、世界のすべてが現象学的還元されてしまい、感覚に感じられるものだけになってしまったようなかんじが、この一連の魅力だとかんじるのです。そのため最後の、

めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子      村木道彦

 における存在そのもののあやうさをもってこの一連が終わっているのでしょう。上記のマシュマロの歌にしても、口中のマシュマロだけがかろうじて存在するように感じられ、ほかのすべては捨てられ消えている感覚ととったほうが、この連作のなかでは自然だとおもいます。
 しかし、ぼくが村木道彦の作品のなかでこのような魅力をかんじるのは、ほとんどこの「緋の椅子」の一連のみです。
 ほかの作品はどこが悪いのか、というと、それはそれで悪くないという人もいるかもしれませんが、ほかの作品においては作者はもっと地に足がついていて、自分の考えたことをきちんと説明し、短歌にしている気がするのです。つまりはそれを消滅させ還元することによって独自の境地を築いていたところの「主体」と「世界」が凡庸に復活してしまっており、在・非在の微妙なバランスのうえで揺れうごいてはいません。そのため出来上がったものは平凡な短歌にすぎないものになってしまっている気がするのです。
 けれど、どうも読んでいておもうのは、村木道彦という人の本当の実力はむしろ「緋の椅子」以外の作品にあって、この人自身はそっちのほうが良い短歌だと考えているのではないかという気がしてくるのです。だからこの人が自分が良いとおもう短歌を書くと「緋の椅子」以外の作品のようになるのではないかと。そして「緋の椅子」は作者自身も意識していないところで、なにかのはずみで、たまたま出来上がってしまった作品なんじゃないかという気がしています。中井英夫は彼の作品は「緋の椅子」のみを評価し、あとは自己模倣だと書いているわけですが、どうも読んでいると自己模倣にすらなっていないものがほとんどのような気がするのです。
 とはいえ、そう感じるぼくの読み方が正しいのかどうかはわかりません。最初に書いたとおり、この村木道彦という人について書かれた解説や評論のたぐいを読むと、目につくかぎり誰もぼくが感じるようには読んでなく、かけはなれた読み方をしています。

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2007年06月09日

古事記と定家と新古今

 さいきんの短歌やその周辺の読書というのは、現在の短歌というのにどんどん興味が無くなる一方、大昔のものにどんどん興味がわいてきました。

 実は最近までぼくは古事記をきちんと読んだことがありませんでした。古事記について書かれた本は読んでたんで、それで充分で、原典まであたる必要はないとおもってたのです。でも、わりと最近、万葉集をみているうちに、それ以前の記紀歌謡というのも読んでみたくなり、それなら古事記を全部読んでみるかと読んでみたのです。
 しかし、これは想像していたよりはっるかにぶっとんだ奇っ怪なものですね。外国の神話でもこれほど奇っ怪なものってあるのかな。
 たとえば冒頭の部分、世界ができあがった後、最初に登場する神というのが、なんにも活躍せずにそのままお隠れになったといって終わってしまいます。こんなのアリ? ってかんじです。そしてその次に出てきた神というのも、なんにも活躍せずにそのままお隠れになって終わってしまいます。そしてそのまた次に出てきた神というのも、なんにも活躍せずにそのままお隠れになって終わってしまいます。
 こりゃあ、何なんでしょう? 小説だったら、主人公が出てきたとたん死んで、次に代わってでてきた新しい主人公というのも出てきたとたん死んで……とえんえんと続いていくような話で、そりゃあないだろうみたいな話です。
 でも、神話なんだから、たぶんそこに意味があったんでしょう。自分の子孫にぜひとも伝えたい何かというのが、その出てきては隠れていく神々のなかにあったんでしょう。神話ってそういうものでしょう。
 しかしそれが一体何だったのか、ちょっと想像がつかないところがあります。
 その他、え? と思うようなところ満載で、古事記というのがこんなに奇妙なものだったのかと俄然興味が出てきました。これがぼくらの遠い祖先が書いたものであることが楽しくなってきました。

 あと最近、定家など新古今和歌集あたりに出てくる短歌にもハマってきました。このへんはもう洗練の極地で、いま読んでも身震いするくらい美しいです。長いあいだこのあたりが短歌の手本とされてきたということもわかります。
 それにしてもこれ、12世紀に書かれたもので、ヨーロッパでいえばダンテの『新曲』より数百年前ですね。そんな時代だと考えるとこの洗練のされかたというのはさらに驚異的にかんじます。
 でも、このへんを読んでいると、いったい近代短歌の改革っていうのが短歌にとって良いものだったのか疑問におもえてきます。まあ、あれはあれで時代的な必要性があったこともわかるんですが、短歌ということのみを考えた場合、写実なんてことを言いすぎて貧乏くさい身辺雑記じみてしまった部分の多い近代短歌より、新古今の短歌のほうが優雅で繊細で美しいです。より時代の近いはずの近代短歌より、むしろ八百年も前に書かれた新古今のほうに親しみを感じてしまうのは何なんでしょう。

 などといろいろ読みながらおもったことは、短歌というのは現代のものとしてみたばあい、はたしておもしろいものなのかどうかわからなってきたの部分も多いのですが、古くからの日本文化を知るうえではすごく良いものなんじゃないでしょうか?
 日本人なんだから日本文化はわかっているとおもうのは大間違いで、現在、ふつうに生きている日本人は日本文化を案外知らないものだとおもうのです。
 古事記なんかも、本来なら学校で教えるべきののはずなのに、敗戦の影響からほとんど教えてないのが現状じゃないでしょうか。たしかに戦前の一時期のように古事記に書いてあることをそのまま事実であるように教えるのは間違いだとしても、自国の神話・伝承をきちんと教えないというのも大きな間違いのはずです。
 万葉集にしても新古今にしても、読みにくい古典を原文で読んでみるには、短くて部分的に読める短歌から入るっていうのは、なかなかいい道なんじゃないかと思いはじめてきました。
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2007年02月08日

詩「いつも北を向いている少年」

いつも北を向いている少年について
話をしようとおもってたんですが
ひどい雨が降ってきてしまいました
とりあえず雨に注意を払いましょう
雨のほうが重要です
少年はほうっておいても大丈夫です
ほっといたってずっと北を向いたままでいます
それにしても、ほんとにひどい雨だ
これじゃあ街じゅうがびしょ濡れです
まるで、親のカタキ! ってかんじの降りかたです
でもほんとは雨に親なんて、いるわけないですよね
でも、ほんとにいないのかな
稲妻だって、カミナリの妻だっていうことで
そう呼ばれてるって話なわけで
神話伝承のたぐいを探してみれば
雨の親っていうのもみつかるかもしれません
親がみつかれば、カタキもみつかるかも……
少年は大丈夫です
ほっといたってずっと北を向いてます
っていってるあいだに稲妻も降ってきました
あっ、稲妻は降らないか
ピカッて光って
でも、どこで光ってるのかわからなくて
でも、どっかが光ったってことだけはわかって
っていってるあいだにまた光りました
しばらく遅れてカミナリの音です
少年はほっときましょう
どうせずっと北を向いてます
少年の親だってそのうちみつかるでしょう
でも、どうして北なんか向いてるのかな
そもそも、ずっと北を向いてる
少年なんているんでしょうか
でも、ほっときましょう
とにかくすごい雨で、空は濁った鉛色で
雨はいつまでもいつまでも降り続きそうです
少年の親はどこにいったんでしょう
少年の親のカタキって誰なんでしょう
神話伝承のたぐいを探したって
親のカタキの正体なんてわかるわけないんです
なのにどうしてそんなところを探すんですか
そんなことをしてるから街じゅうがびしょ濡れになるんです
なんで北なんか向いてるんですか
ピカッて光ったんですか
それともそっちに親のカタキがいるんですか
それよりも、このひどい雨が問題なわけで
ああ、それでもまだ北を向いてる
いったいあなたは何をかんがえてるんですか
そもそもあなたはどういう性格をしてるんですか
どうしてまだ北を向いてるんですか
それにしてもひどい雨だ
少年は、ほっときましょう
少年なんかどうでもいいんです
ほんとうは、いつも北を向いている少年なんて
いるわけないんです
それとも、あなたが、あの
少年だったんですか
そんなはずは……いや
あの話を初めてきいた頃を考えれば
いまごろあの少年はあなたぐらいの歳に
なっていてもおかしくない計算だ
でも、しかし、まさか……
だいたい、だとしたらどうして
いまごろこんなところにいるんですか
まさか、ぼくがあなたの
親のカタキじゃないんでしょうね
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2007年01月15日

短歌「閉ざされた本」

木製の扉をノックするきみの夜と帽子と閉ざされた本

少年の遠い約束 夏の日は時計のこわれた森で生きてる

凍雪が銀の音をたてて降る夜ぼくは蹄で灰の野をゆく

森のなかの寝台 雪がつもる夜に銀河に指でなまえを書いた

少年が寝台列車でみる夢の中では青いままの庭園

閉ざされた闇夜の森の奥にある巨大な時計につづく吊り橋

城へ至る探求の旅 森を行くきみの後から雨はついてきて

梢の空がステンドグラスの夜の森 少女の額にほどこす儀式

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2006年12月24日

詩「水町ゆき」

ちょっとした所用で、水町にやってきた
そんな名前の町だから期待していたのだが
来てみると何の変哲もない町で
おどろいたことに水なんてどこにも見あたらなかった
川いっぽん流れてなく、小さな池ひとつない
湧き水もなければ、井戸ひとつない
それでいて、商店街には
『ふるさとの町 水の町』なんて大きく書いた
垂れ幕のようなものが下がっていた

昼に食事にはいった食堂で
柔和な人柄がうかがえる顔をした店主に
代金を払いながら一言きいてみた
どうしてこの町は「水町」というのかと
ずっとここに住んでいる人に見えたので
その由来くらい知っているかとおもったのだ
店主はその質問が耳に入らなかった様子で
ツリを丁寧に数えて手渡してくれた
ぼくはもう一度聞いてみた
どうしてこの町は「水町」というのかと

すると店主は表情を変え
なんでそんなことを訊くのかと逆にきいてきた
水町という町名が変わっているので
なにか由来があるのかとおもったのだと
ぼくは急に変わった店主の表情におどろいて
言い訳するようにいった
すると店主は
この町が水町という名だからといって
それでおまえに迷惑をかけたのかと言ってきた
ここはむかしから水町だし
水町だとしてみんなで仲良く暮らしてきたのに
なんでそんなことを訊くのかと

ぼくは何だかわからず
けれどもそんなやりとりを続けるのも嫌だったので
店から出ることにした
すると、店にいた客の一人が急に立ち上がって
店からでようとするぼくの前に立ちはだかった
待て! おまえ、逃げる気か!
男はいきなり怒鳴りつけてきた
おまえ、いま自分が何を言ったのかわかってるのか、と

ぼくはますます何だかわからなくなり
自分がなにか気に障ることを言ったのならあやまります
と丁寧にいった
すると、男はさらに激興していった
あやまるだとおっ!
そんなことで責任をとったつもりか!
あやまってすむ問題だとおもってるのか!
男はさらに頭に血がのぼってしまったようだ
丁寧な態度で下手に出ておけば穏便にすむかとおもっていたが
かえって彼が強気に出るきっかけをつくってしまったらしい
周囲をみると他の店の客もみんな
男と同じような表情でぼくを睨んでいる
もちろん店主もだ

こうなったら開き直ろうとぼくはおもった
そして、もう一度きいてみた
ぼくは水町という名の由来を訊いただけじゃないですか
どうして水町という名になったのか
おしえてくださいよ
すると男はさらに怒りくるった
なんだとおっ!
おまえ、水町というのがなんだかわかってるのか!
水町の水とは何だかいってみろ!
ぼくはこたえた
水というのはウォーターのことでしょう
この野郎! 英語なんか使いやがって
自分は教養があるっていいたいのか!
生憎だな、その程度の英語、誰だって知ってるんだよ!
男がそういうと店じゅうの客がぼくを嘲笑した
もちろん店主もだ

だから、どうして水町っていうんですか
ぼくはもう男の言葉など無視していった
と、今度は後ろから別に客が怒鳴ってきた
ふざけるんじゃない! 鼻もちならない奴だな
おまえにこの水町の何がわかるっていうんだ!
ぼくは振り向いていった
わからないから訊いてるんです!
だいたいおまえ、そんなこといって、食い逃げする気だろう!
お金なら払いました!
払って当たり前なんだ、そんなことが自慢になるか!
自慢なんてしてないじゃないですか!
うるせえ! この食い逃げ野郎!
男がそういうと店じゅうの客がぼくを嘲笑した
もちろん店主もだ
カネはちゃんと払ったじゃないですか
そんなぼくの声なんて届きそうにもない
「食い逃げ」という罵倒方法を彼らが思いついた時点で
事実とは無関係にぼくは「食い逃げ野郎」になってしまったらしい
逃げ出そうにも店に入口には、もう何人もの客が
立ちはだかって、ぼくを睨みつけている
ぼくは『ふるさとの町 水の町』と大きく書いた
垂れ幕を思い出していた
いったいだれが『ふるさとの町 水の町』に
なにをもとめて訪れるのだろう
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2006年12月16日

短歌「密室の魚」

流れゆく人ごみのなか立ち止まる人の頭が空に溶けだす

錆びついた線路のうえを遠くまで歩いた夏においてきた影

白壁が海から空までつづく道 山羊の目をした少女が立って

古ぼけた写真のなかのサーカスがこの現実の陰画であること

海岸で道を尋ねた道化師がからだ半分城になってく

密室にあらわれる魚 はねてまた口を開いた銀河にもどる

音のない水族館の水槽に粉雪がふり世界は終わる
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2006年12月09日

大岡信の『蕩児の家系』など

 ぼくは日本の近代文学というのに親しんできませんでした。私小説というのがきらいだったからです。けれど、いまごろになって詩歌をとおして、日本の近代文学に興味がでてきました。といっても、それはむしろ歴史への興味に近いものなのですが。
 どうも、明治期の言文一致というのは、単に新しい書き方(口語文)をしようということではなく、明治期に入って日本人の意識そのものが変化してきたため、その新しい意識に対応する言と文を見つけだしていった……というようなもののようです。
 筑摩書房の日本文学全集の『現代詩集』の巻についた篠田一士の解説にこんなことが書いてありました。新体詩の先駆けとなった島崎藤村の『若菜集』の「初恋」の二連め、

  やさしく白き手をのべて
  林檎をわれにあたへしは
  薄紅の秋の実に
  人こひ初めしはじめなり

 このうちの前半の二行、白い手と林檎の鮮やかなイメージはこの時代の日本人が獲得した新しい感性の産物であり、しかし後半の二行は因習的な修辞であり、たんに伝統的に使い古された言い回しを踏襲したにすぎないんだといいます。
 新体詩というのはこのような文語、因習的な雅語・古語の修辞と、明治に入って西洋の影響を受けつつ変化してきた日本人の新しい感性とがごっちゃになってできたキメラのようなものであり、だからこそ過渡的なものにしかなり得ず、十年ほどブームになった後はすたれていってしまったようです。
 それに対して萩原朔太郎の功績は、単に口語で詩を書いたということではなく、新しい時代の新しい日本人の感性は萩原朔太郎の作品によって初めて自分の言葉を見出したのであり、それによって自分の言葉で詩が書けるようになったのであり、そのために重要なんだということのようです。

 最近、大岡信の『蕩児の家系』という詩論の本をみつけて読みまして、これがおもしろかったです。
 西脇順三郎や金子光晴、高村光太郎はいずれも留学経験があり、海外での経験をとおして詩を書き始めた人ですが、彼らはいずれも蒲原有明や薄田泣菫といった新体詩を読んでも自分の言葉とは思えず、そんな言葉(文語・雅語)で詩を書く気にはならず、むしろ英詩やフランスの詩人の作品により自分に親しいものを感じて、詩を書き始めたようです。
 おそらくこういうのは、いわゆる「西洋かぶれ」ではないと思うのです。たとえばずっと後、1960年代の日本の若者はビートルズなどに熱中した者が多かったようですが、多分彼らは西洋にあこがれてスノビズムでビートルズを聴いていたわけではなく、日本の民謡や歌謡曲よりビートルズのほうにより自分の親しいものを感じたから聴いていたのではないでしょうか。おそらくそういう経験は誰でもあるんじゃないでしょうか。つまりこの時代、日本にそういう感性が育ってきていたということだとおもうのです。
 さて、この三人の詩人のうちいちばん詳しく書かれていたのは西脇順三郎ですが、彼の場合は徹底していて、日本にいた十代の頃から友人が文語で短歌などを作っているのを横目に、自分は文語・雅語で書く気にはなれず、それくらいならと英語やフランス語で詩を書き始めたといいます。彼の留学中のいちばんの愛読書はフロベールだったそうで、その後、西脇は萩原朔太郎を読んで、萩原朔太郎の詩のなかに「自然主義」を感じて、これなら自分も日本語で詩が書けるとおもい、はじめて日本語の詩を書き始めたんだそうです。
 ここでいう「自然主義」は西脇の愛読書であったフロベールの『ボヴァリー夫人』ような、西洋でいう意味での「自然主義」であり、「人間や現実をありのままに見つめる態度」のことでしょう。このように萩原朔太郎に「自然主義」を見出して、「自然主義」によって書き始めた詩人は西脇ひとりではないようです。
 しかしこの「自然主義」の影響が日本の小説の世界に入ってくると、「人間や現実をありのままに見つめる」ことではなく「作家が自分の経験をありのままに告白する」ことが「自然主義」になってしまい、私小説という世界的に見れば奇形的な小説が生まれ、それが純文学の主流になってしまいます。
 そのときに、より本来の意味で「自然主義」を理解しえていた日本の詩人たちは日本の小説を見捨てたのであり、しかしそれが外からは詩が小説から見捨てられたように見えた……と大岡信は書いています。
 そしてそれ以来、日本の詩と小説の世界は断絶し、互いの交流のない状態になってしまったんだと……。

 さて、そうして萩原朔太郎らの功績により、日本に口語詩、それも韻も律もない自由詩が定着すると、何がおきたかというと、大勢の人がわれもわれもと「詩」を書き出したんだそうです。たいがいは細かく行分けしただけの口語文であって、とても「詩」と呼べるものではなかったんだそうですが、そういうものをみんながいっせいにわあっと書き出したんだそうです。
 これはどうも、短歌関係の文章を読んでいると、『サラダ記念日』のブームの後におきたと書いてある現象によく似ている気がします。あのときもまるでカラオケで歌うような気やすさで、大勢の若者がわれもわれもと「短歌」と称するものを書き出したようです。やっぱり短歌って、詩の歴史を数十年遅れで追っているような印象をかんじました。
 さて、そんな誰もが「詩」と称するものを書き始めたとき、自分はそんな「その他大勢」と一緒にされたくないと、硬派の詩を目指した人たちがいたようで、日夏耿之介のようにやたら難しい漢字等を使う一派はこの時登場した「高踏派」とでも呼ぶべき一派だったようです。
 でも、それはたいてい、無知無学な連中と一緒にされたくないがための難解な表現、単に難解にするための難解さだったもので、読者を減らしただけでたいした成果も得られなかったものがほとんどのようです。(かろうじて日夏耿之介は名を残しているとおもいますが)
 なんか、そんなことを読んでいると、いつの時代も同じことを考える人間はいるんだなと思ってしまうのはぼくだけなんでしょうか。
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2006年11月22日

短歌「夜語り」


オルゴールが機械じかけの夜語りをつむぐ背中に雪の降る庭

この場所は粉雪だけがふる ならぶ柱の影だけ生きた手をもち

あたらしい時代を背負い墓掘りが森の氷の檻に下りてく

かいていの氷の部屋に棲む魚の思考がむすぶ貝の球形
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2006年11月01日

短歌「にんげんの飼い主」


にんげんの飼い主 きみは羊飼いみたいな目なんてしてない きっと

死んだ後は墓に入って並ぶ 整列してる 死んだあとでも

テーブルは白い布だけかけられて少女と森のあいだで黙る

石柱が立ち並ぶ部屋 夢のない少女は森に迷い込んでく
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清純派アイドルとしての歌人

 斎藤美奈子の『文壇アイドル論』を読みました。まえに俵万智について別の本に引用されているのをみて、読みたいとおもっていた本です。
 これはおもしろかったです。内容は、俵万智のほかに村上春樹、吉本ばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫といった面々を、おもに文化現象の面から論じていった本で、個人的にはここで扱われている人はほとんど読んでこなかった人が多いんで、こういう人だったのか……という面も含めて楽しく読めました。とくに吉本ばななとか、一般的な文芸批評なんかよりずっと本質を突いているんじゃないかと思うことが多かったです。
 でも、ここでは俵万智についての部分のみについて書きます。この部分もおもしろかったです。

 筆者はまず『サラダ記念日』のヒットを短歌の伝統とはまったく関係なくて、80年代のコピーライトのブームや、「ポエム」、ライト感覚の文章のブームから派生したものと位置づけています。(「ポエム」とは少女マンガのイラストを添えた甘い詩風の文章から派生したもので、立原えりか、みつはしちかこ、銀色夏生……などが有名ポエム作家だそうです。どれも読んでないや)
 そして、その『サラダ記念日』に飛びついたのがいままで短歌なんかまったく読んでいなかったオジサンたちであること、そして『サラダ記念日』を物語として読むと、そうとう古くさいタイプの男女がおりなす古くさい物語であることを指摘し、これは古い感性を新しい袋に盛ったために万人に受け入れられたんだと指摘します。
 そして、『サラダ記念日』以後、これに続いて売れた歌集が出ないのは、これがもともと短歌として売れたわけじゃないからだと指摘し、むしろ『サラダ記念日』の後に続いたのは「サラリーマン川柳」や『日本一短い「母」への手紙』、「相田みつを」だったと指摘します。
 ここにはあげてありませんでしたが、「326」とか「枡野浩一」といった人たちも俵万智の後継者といえるのではないでしょうか? 「金子みすず」の再評価もこのラインでしょう。(もっとも、ぼくはこういうの嫌いなんで読みませんから、まったく間違っている人もまじってるかもしれません)

 さて、タイトルの『文壇アイドル論』という意味ですが、この本では俵万智はつまり「清純派アイドル」なんだといいます。たしかに……、そうおもうといろいろなことが一気にわかってきます。
 「清純派アイドル」というのは芸はなくていいもので、とくに80年代型の「清純派アイドル」は歌手であっても歌唱力は要らなかったわけです。あまりに芸が巧みだと逆に「清純派」っぽくなくなってしまうところがあって、むしろ芸なんかないピュアさをウリにするのが「清純派」だったといえるでしょう。
 とみると、『日本一短い「母」への手紙』〜「相田みつを」〜「326」といった、ピュアさの系譜が浮かびあがってきます。
 いずれも技巧も芸術性も思想もないことを売りにし、大の大人が恥ずかしげもなくこんなことを言うか! とおもうようなことを、真っ直ぐに言い切ったところに人気の秘密があるのでしょう。
 そう考えれば「枡野浩一」も「清純派アイドル」だったこともわかってきます。「加藤治郎」も「穂村弘」も多分に「清純派アイドル」を目指している要素をもっている気がします。

 さて、そう考えると、ぼくがある種の短歌に感じていた違和感もわかってきた気がします。どうもぼくはこの「清純派アイドル」路線が好きじゃないんです。「相田みつを」とかとかとは無縁でいたい人間です。
 たぶん、こういう「清純派アイドル」を目指している歌人への違和感が、ぼくの現代のある種の短歌にたいする嫌な印象を形成しているようです。

 しかし、この「清純派アイドル」路線っていうの、まだ続くんでしょうか。
 ぼくはそんな素人芸っぽさ、ピュアさをウリにした80年代型の「清純派アイドル」というのは、短歌以外のジャンルではとっくに絶滅してるんじゃないかとおもってるんですけど。
 つまり、宇多田ヒカルの大ヒットに代表されるように、90年代以後はティーンの少女歌手であっても、むしろ歌唱力・実力のある歌手のほうが売れるようになってきたと思うのです。現在のアイドル女優も、むしろしっかりとした演技力をもっていることが人気につながっている気がしますし、グラビア・アイドルからテレビのバラエティー番組へ進出している場合でも、トーク力を鍛えたり特異なキャラクターを押し出すなどして、実力で人気を得ているケースがほとんどでしょう。
 でも短歌の世界ではまだ「清純派アイドル」路線なんでしょうか。
posted by aruka at 01:51| Comment(0) | TrackBack(5) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

短歌や詩を読む

 どうもぼくは詩というとロック(洋楽)の歌詞から入って、外国の詩へ行ってしまったので、短歌や日本の詩といったものをほとんど読んだことはなく、最近まで、書くのはともかく、短歌や日本の詩といったものを読む習慣というのがなかなかつかなかったのですが、最近になってようやく読むようになってきました。というのは、自分の好みというのがどのへんの作品なのかわかってきたということでもあります。
 短歌についていえば、中井英夫が『黒衣の短歌史』で推している歌人は良いとおもう人が多いです。例えば戦後にかぎっていえば、葛原妙子、塚本邦雄、寺山修司、春日井建、浜田到、山中智恵子、などです。それ以後の人のなかでは、最近、小中英之という歌人の作品が良いと発見しました。
 日本の詩というのも今までほとんど読んだことがなかったんで、いろいろ読んでみたのですが、正直いうとぱっと見渡してみたところ、短歌より詩のほうがおもしろいとおもう人が多いです。けれどどうもその理由は定型短詩と自由詩との形式的な違いによるものじゃない気がするのです。
 どうも短歌のほうは、優等生的な雰囲気をかんじる人が多いのです。よくわからないですが、短歌の場合、こういうのが良い短歌であるという基準みたいなものがあって、みんながそこを目指して書いているような、つまりその基準から大きく外れてとんでもない方向を目指してしまう人が少ないような雰囲気を感じるのです。
 けれど創作物の魅力の多くはオリジナリティにあるので、例えば斎藤茂吉が一人いれば斎藤茂吉を目指してその近くまで到達した優等生なんて実はいらないし、塚本邦雄が一人いれば、塚本邦雄みたいな短歌を書く別の人というのもいらないわけで、そんな人の作品を読むくらいなら、まったく違ったオリジナリティをもった歌人の作品のほうが読みたいとおもうものでしょう。
 その点でいくと、詩のほうが、時代々々によっていろんなことを試みているいろんな詩人がいて、ぱっと見渡したところずっと多様性があっておもしろいとおもうわけです。
 といっても、オリジナリティがあればいいというものではなく、変わったことをしていればいいというわけでもありませんけど。

 それでもぼくは、そもそも短歌とか詩というものを、息抜きくらいの気持ちで書いたり読んだりしたいという気持ちがあって、そうするとあんまり長い詩よりも、一息で読める短歌や短い詩のほうを読みたい気持ちがあったりします。
 とくに行替えがまったくなくびっしりと書かれた散文詩って、読まれることを拒否しているように感じてしまうのはぼくだけなんでしょうか。
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2006年10月23日

短歌「孤島には」


夜になると迷宮と化す都市の部屋でみていた誰も知らない夜祭

月面に眠る砂丘がきみの胸から眠る街へ広がっていく

きみが大人になっていく物語 レンガの像が虚市でくずれる

月光がレンズのように固体化する孤島にはただ砂漠しかなくて

滅亡を知らない人たちを乗せた砂の列車が星市にとまる

魔の鳥が翼もなしに空を飛ぶガラスの都市に育った砂樹

砂地区に彗星虫が発生し人間の町に似た巣をつくる

狩人は時間でできた森の果て生きた獲物をみいだせぬまま
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2006年10月18日

短歌「雨はたぶん」


陽だまりで待ってる人が籐椅子の背に少しづつ溶けていく日々

雨もまた落ちるとちゅうにかんがえた あそこに降っていいのだろうか

夜中の交叉点に立つ信号が無人の街に指令を出してる

血まみれのマリーのそばで雨はたぶんアカシアに降る やさしい世界で

少年は夢みながら航海する小さな小さな小さな船で

ぼくたちはおぼえていないこともあるぼくらが生まれた谷の名前も
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2006年10月16日

短歌「キッチンにはいつも朝食」


陽のあたる庭はしずまり暗い家の奥でうごくけはいだけあり

ベッドには寝たあとはなく人々は何度も外の廊下を通る

キッチンにはいつも朝食 にんげんは朝にしか訪れることはなく

朝ごとにだれかがならべる朝食を何事もなく食べる人もいて

月夜 樹の枝が黒い水たまりを細長い指でつかむ静寂

雨の降る音に呼ばれて夜明けまえ路地へと出れば無人の静もり

庭先でみなれたはずの楡の木がみしらぬものの影をもち立つ
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2006年10月15日

短歌「どこへ行くかはわからないけど」


さあみんな だまって俺についてこい どこへ行くかはわからないけど

ぼくたちは永遠に一緒に生きようと約束したが すぐに忘れた

これこそが世界を救うアイデアだ 思いつかなかったことにしとこう

そのとおりわたしが総理大臣だ 言っても誰も信じないけど

知ってるか? この世界は俺のもの 面倒だから支配はしない


 なんだか、アソビで始めたはずの短歌だけど、ちょっと興味をもっていろいろ調べているうちに、少し理論的に考えてみたくなってきて、どんな短歌を書くのがいいのか、こんなふうにしちゃダメなんじゃないかとか、自分なりに考察とか批判とかやってみたんですけど、そのうちに最初の頃のアソビのおもしろさがなくなって息苦しい気分になってきたんで、いったん初心にもどって何も考えないでアソビで書くことに戻ろうかとおもってます。ま、理論的なほうも、そのうちまた気がむいたら……ってかんじで。
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短歌「お湯をかければ」


果てしない大きな夢を追いかけて小さな夢をたくさん見つけた

意味もなくめらめら燃えるおれを見ろ 濁った風が吹き抜ける地で

最期までがんばっている人がいる 最期をすぎてもまだがんばってる

隣室で明るいボスが歌ってる 夜になっても歌いつづける

過ぎ去った時間を取りもどしたいなら お湯をかければもとに戻るよ
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2006年10月09日

斎藤茂吉の後期作品

 岩波書店から斎藤茂吉の選集というのが出てまして、最初の7巻が歌集にあてられています。たぶんご存知のかたも多いのでしょう。わりと小ぶりな朱色の本です。
 そのうち何冊かが近所の古本屋で激安で売ってたもので(たぶん揃ってないんで安かったんでしょう)、買ってきてぱらぱらとあちこちを覗きみるように読んでおりました。いいかげんに本を開いてみて読みはじめるような読み方です。
 初期の『赤光』『あらたま』の時期を過ぎると、茂吉の短歌は身辺雑記のような日常を詠んだ作風に変わるとどこかの解説に書かれていました。だからそういう気持ちで読んでたんですが、みてみると確かに日常の細々としたことを詠んだものもありますが、やたらに山の風景が多い印象でした。登山をして、歩くほどに移りかわわっていく風景などを詠んでいったタイプの作品です。
 もちろん、きちんと最初から順に読んでるわけではないので、たまたま開いたらそういう部分にばかり当たったという可能性もあるのですが、それにしても山が多いです。
 まあ、茂吉は登山が趣味だったということかもしれませんが、そうだとしても仕事があるわけで山で生活もできないでしょうから、作品のパーセンテージからすると山へ行ったときに集中的にたくさん短歌を作っていたんじゃないかとおもわれます。
 それを見ながら、ぼくは茂吉ってやっぱり根っからのロマン派なのではないかとおもいました。
 高山宏のどこかの本に書かれていたんですが、ロマン派の文学って、実は田園や庭園を歩きまわりながら移りかわっていく風景をただ淡々と描いていったものがやたらと多いんだそうです。ただ、そういったものは読んでもおもしろくないだろうと翻訳しないんで、たいていの日本人は知らないだけで。
 そういえば前にアーサー・マッケンの『夢の丘』という小説を読んだときに、冒頭えんえんと続く風景描写(まさしく田園を散歩しながらの風景描写)にうんざりとさせられたことを思い出しました。いくらなんでももうストーリーが始まるだろうと思っていると、風景描写ばかりが続くもんで……。はじめからそういうもんだと思って読めば、あれもそれはそれで楽しめたのかもしれません。
 茂吉の山を散策しながら風景を描いていく短歌は、英国ロマン派の田園を散策しながら風景を描いていく詩と、おなじような心性から生まれたものではないでしょうか。
 そもそも登山が観光になったのも、ロマン派の(たしかルソーの『告白録』)の影響だということです。
 でも、なんで山なんでしょうか。
 もちろん自分への挑戦といったスポーツとしての側面もあるんでしょうが、ぼくはどうも山のもつ崇高さへ近づきたいというおもいが根底にあるような気がします。
 山というのは古代から神聖なものとされ、山岳仏教の場にされていた場合も多いものです。どうも茂吉の場合も、山とか川といった巨大な自然に、日常生活を超え、自分を超えた崇高なものをかんじる感性があったんじゃないでしょうか。その崇高な場へ踏み込むことによって短歌を作る……といった気持ちがあったような気がするのです。
 ぼくはどうも『あらたま』以後の茂吉の場合、例えばこのような部分に茂吉の詩人としての感性が息づき続けていたような気がしています。
posted by aruka at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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