2008年08月29日

短歌


夏草を濡らす細雨におほわれてとほくへ続く廃線の軌道



繊き窓そらより降れば屋上で蒼きおもてをあぐる少年


噛み殺したるはかなきものを牙もたぬ獣は恋へり消えゆく森で


月なき夜海になだるる野ねずみは平和のゆめに囚われてゐき


すがたなき巨鳥の群れ降りおちる天球の闇底なく近し


人のかへらぬ中庭はやがて廃園となり水盤に浮く果実
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2008年06月29日

能(謡曲)って

 どうも和歌というものが藤原定家が活躍した時代にひとつの頂点をむかえ、その後停滞していったということがわかってきました。ではその後、日本の詩というものはどうなっていったか、ほんとうに芭蕉の俳句あたりまで停滞しつづけたのかというと、どうも観阿弥・世阿弥などの能(謡曲)というのは定家時代後の日本の詩の新しい展開だったんじゃなかったのかという気がしてきて、すこし能(謡曲)というものを読んでみることにしました。
 西洋であっても戯曲というのが詩の言葉で書かれるのは普通だし、だからシェイクスピアなど名劇作家は同時に詩人でもあります。そして能(謡曲)というのも詩の言葉で書かれているようです。そうおもうと、能(謡曲)は日本における長詩というべきものではないかという気がしてきて、いやがうえにも興味が高まったのです。『神曲』を読んで以来、日本にもこういったタイプのものはなかったのかと探していたからです。

 それで能の台本であるという『謡曲』の本を本屋で探してみたのですが、少なくともぼくが住んでいる周辺では謡曲の本というのはなかなか売ってなくて、探しまわったすえに新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』も古本をようやく見つけて買ってきました。で、読んでみたのですが、これがやたらにハードルの高い、とっつきにくいものでした。
 その理由は、なにより読み慣れない書式・表記方法にあります。
 つまり一般的な戯曲の書式……、まずどこの場かが説明され、ト書きなどで登場人物の動きが説明され、セリフの行頭にはそれが誰のセリフなのか、名前が書かれている……という書き方ではありません。
 場の説明は無く、登場人物の動きはセリフの横に別色の小さな活字でほんの少し書かれているだけ、そしてセリフの前には話者の名前ではなく、小さな活字で「シテ」とか「ワキ」「ツレ」とかだけ指定されています。まあこの「シテ」とか「ワキ」とかは何のことかは予備知識がありましたし、付いている登場人物表を見ればその「シテ」が誰のことなのかもわかります。しかしわからないのは行頭に書いてある「サシ」とか「上ゲ歌」とか「クドキグリ」とかいった言葉で、これは本のどこを見ても何のことなのか説明がありません。(ぼくが見つけられないだけなんでしょうか?)
 場の説明などがないのは能の上演形態として理解はできます。能では舞台セットなどないわけですから。
 しかしなんで誰のセリフかを示すのに名前ではなく「シテ」とか「ワキ」とか書くのでしょうか? 読んでる人間からすれば、「ツレ」とかが出てくると、これって誰だっけといちいち登場人物表を見ながら読んでいくより、行頭に名前を書いてもらったほうがわかりやすいとおもうのですが。
 もっとも、能の世界を扱ったマンガ、成田美名子の『花よりも花の如く』を少し読んでみたところ、この事情も少し理解はできました。どうも能では演者は「シテ」の役者は「シテ」専門であり、「ワキ」の役者は「ワキ」専門なんだそうです。となると、演者からしてみると、それがどの登場人物のセリフかと書くより、シテのセリフなのかワキのセリフなのか書いたほうが、わかりやすいのかもしれません。
 しかし、謡曲を作品として読もうとする読者から見ればどうなんでしょうか。やっぱり誰が言ったセリフなのか名前を書いてくれたほうがわかりやすいんじゃないでしょうかね。
 それに、「サシ」とか「上ゲ歌」とかはどんな意味なんでしょうか。どうしてそういう専門用語の意味を説明しないんでしょうか。
 それこれみてみると、どうもこの新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』という本は、能の演者か、あるいは既に能を知っている人向けの本であって、これで初めて能(謡曲)というのを読んでみようと思っている人間に理解できるように書かれた本ではないようです。
 わからないなら入門書でもないかと探してみたのですが、これもぼくの探し方がわるいのか、初心者向けにわかりやすく書かれたものが見つかりません。(ときどき思い出したように、たいてい古本屋で探してみるだけなんで、ほんとに探し方がわるいだけかもしれませんが)
 いままで見つけた能の解説本は、どれも既に読者が能を知っていることを前提として、より深く分析していくタイプのものでした。もちろん、こういう本はこういう本であっていいものなわけですが、なにしろこちらは初心者で、専門用語も何もわからない状態なんで、そういう人向けにわかりやすく解説したものもあってもいいと思うのですが、見つかりません。
 けっきょく、わからない専門用語はぜんぶ無視するしかありません。
 そんなわけで、なんだかやたらハードルが高くて、読みにくくて、だったら読まなければいいともおもうのですが、もちろんつまらなければ読むのをやめるのですが、これが読んでみるとおもしろいのです。     
 でも、とにかく読みにくくて、それに、わからない専門用語を全部飛ばして読んでるわけなんで、一体どこまで理解できてるのかという隔靴掻痒感みたいなものをかんじます。

 でも、『謡曲集』というのが初心者にはわからないように書かれたものであり、初心者向けの入門書も見つからない状態だとすると、能(謡曲)っていうのは、どこからアプローチしていけばいいもんなんでしょうか。
 そんなことを思っているうちに、テレビ(NHK)で能の番組を放送したので、録画して見てみました。本を読んでわからないなら、舞台を見るのがいいのかとおもったわけです。が、これもやっぱりハードルが高いというか、初心者が見ていきなり感動できるという感じは受けませんでした。正直、初心者として初めてオペラの映像を見たときのほうがよほどわかりやすかったです。日本人としてどうなんだろうという気もしてしまいましたが。
 とくにこっちは詩としての謡曲に興味があって見るわけなんで、そうすると、あの独特のスローテンポで読み上げられると、その演出・音楽的効果のほうが印象的で、あまり言葉の内容が頭に入ってこないきがします。
 もちろんこれもテレビなんかで見るから魅力がわからないのであって、実際の舞台に接しなければ能の真価はわからないと言われれば、それはそうなんでしょうが、最初はやっぱりどこか手近なところからアプローチしたいものです。
 それにしても、テレビで見た能は、あれは照明をあて過ぎなんじゃないでしょうか。舞台の隅々まで明るく照らしだされて、暗い部分など少しもないようになってますが、能ってもっと暗闇のなかから演者がぼんやりと浮かび上がってくるような照明でやるもんなんじゃないでしょうかね。少なくとも謡曲を読んでいると、背後に闇をかんじるのですが。
 それとも、演者の仕草はすべて明瞭に見えたほうがいいという考え方なんでしょうか。

 いろいろやってみましたが、やはり能(謡曲)って、本を読むところから入る方法っていうのもあってもいいんじゃないでしょうか。それが正しい入りかたかどうかはわかりませんが、そうしちゃいけないわけでもないでしょう。
 だとすると、現代語訳なんてしなくてもいいですが、せめて書式だけでも一般の戯曲と同じようにした謡曲集を出してくれれば、一般の読者にとってもっととっつきやすい、読みやすいものになると思うんですが、そういうわけにはいかないもんなんでしょうかね。
 それとも、そういう書式で書かれた本も既に出ているのでしょうか。なにしろこの新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』もようやく見つけたというかんじなんで、他にどんな本が出ているのかもよくわからないのですが。
 現在、本屋に行けば、シェイクスピアなどは、いろんな種類の文庫本で出ていて入手しやすいし、読んでもわかりやすいです。しかし、そんな外国の戯曲が入手しやすく読みやすい一方、自国の文化である『謡曲集』が、本も入手しずらく、入手してもやたら読みづらく、読みやすくするための入門書もなかなかないというのは、やはりどっか問題があるんじゃないでしょうかね。
 ちゃんと読めればおもしろいものだとおもうのですが。
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2008年05月07日

堀田善衛『定家明月記私抄 続篇』を読む

 堀田善衛の『定家明月記私抄』の続篇のほうも読み終わりました。定家の後半生は前半生にも増して激動の時代だったようで……。後鳥羽院がおこした承久の乱によって当時の宮廷文化は崩壊したというあたり、承久の乱というのは政治的な事件だった以上に文化的な事件だったんだなと理解しました。それに、やはり爛熟の後には崩壊が来るんだなと妙に納得もしました。もっとも、定家はというと承久の乱以前に後鳥羽院の怒りをかって冷や飯を食わされていたために、かえって乱以後収入が増えて生活が安定するあたり、時代の皮肉というのもかんじます。
 それにしても、承久の乱の実体というのはどんなものだったんでしょう。手元にあったんで井沢元彦の『逆説の日本史』の5巻を読みかえしてみましたが、これでは後鳥羽院はけっこうな戦略的頭脳をもって乱をおこしたように書かれています。でも、この『定家明月記私抄』でみると、むしろ後鳥羽院の平和ボケが乱の原因のようにみえます。
 つまり、後鳥羽院が熱心だったのはひたすら敵の滅亡と味方の勝利を「祈る」ことだったようで、軍は集めてみたものの指揮命令系統さえはっきりせず、はたしてちゃんと勝とうとする意志があったのか、考え方が少しも実践的ではありません。
 どちらの後鳥羽院像が真実に近いものなんでしょうか? ぼくはどうも『定家明月記私抄』に書かれている現実離れした平和ボケにみえる後鳥羽院像のほうが、むしろ真実に近いようなリアリティを感じたのですがどうなんでしょう。
 とうのは、公家なんて平和ボケだったといいたいわけではなく、当時の人間のものの考え方というのは、現代に生きる人間には理解のおよばないところが多いんじゃないかと思うからです。
 それに、現代の日本人の平和ボケぶりだって、考えてみれば後鳥羽院の態度とさほど遠くないところがあるとも感じます。
 当時の日本の治安が徹底的に悪化し、戦乱の世になったのは、平安貴族が「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じて、本当に軍隊を廃止してしまったのが原因ですが、この「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じている人間って現代の日本人にもけっこういて、テレビでそんな大ボケな主張を繰り返してさえいるでしょう。さらには「平和憲法が戦後の日本の平和を守った」などと主張する日本人さえいるではありませんか。いったい「平和憲法」が超自然的なパワーを発して敵軍を追い返してくれると本当に信じているんでしょうか? これは後鳥羽院の軍事をするより「祈る」ことで勝利が得られると信じていた態度とそう変わらないんじゃないでしょうか。
 いつの時代も戦乱を引き起こすのは権力者の「妄想」であり、そんな「妄想」というのは、それを信じて実践する本人は「理想」だと思い込んでいるものです。
 ともあれ、宮廷文化の崩壊によって和歌(=日本の詩)は凋落し、その後、松尾芭蕉が登場するまで400年かかったというのが作者の意見のようです。
 その点でいえば、現代は短歌とか日本の詩にとってどんな時代なんでそうか? やっぱり凋落の時代かなあ。
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2008年05月03日

院政って

 堀田善衛の『定家明月記私抄』の正篇を読んでから、ちょっとこの時代に興味をもちまして、続篇を読むのをおいて、いろいろな本でこの時代のことを拾い読みしました。
 定家が活躍したのは後白河院から後鳥羽院におよぶ、いわゆる「院政」の時代にあたります。ぼくは歴史を趣味にはしてきましたが、歴史といっても興味のある部分とない部分があり、このへんの院政とか公家文化にはいままで興味がなく、なんで「院政」なんてややこしいことをしたのかわからないできました。天皇の座を退いてから権力をふるわなくたって、天皇のまま力を発揮すりゃあいいじゃないかと思ってきたわけです。
 しかし、ここにきてようやくこの「院政」なんてことをする理由がわかってきた気がしました。
 というのは、どうもそれはこの時代の宮廷文化というのが理由のようです。

 どうもこの時代は日本に、いわゆるサロン的な宮廷文化が生まれた時代のようです。後鳥羽院という人を見てみますと、この人は歌においても名人なら、当時のさまざまなスポーツのようなものも率先してやるような人だったようです。ところが、宮廷でそういった、いわばゲーム的な文化をしようとするなら、身分上の上下関係をいったん無しにしてやらなきゃ面白くないわけですね。そうしないと永遠に続く接待ゴルフみたいなもので、歌合などやっても常に身分が上の者が高い評価を受けなきゃならないし、スポーツやっても上の者に勝たせなきゃならない。そんなんでは身分が上のほうとしても面白くないわけです。
 おもしろくするためには、そのゲームの内においてはいったん身分の上下関係は無しにして、対等な立場にしなければならない。でも、天皇は神聖なものなんで、天皇の権威を引き下ろすことはできない。他の貴族がゲームで天皇に勝つわけにはいかない。となると、天皇は位は幼い皇子にゆずって、天皇は宮廷の外において宗教的な行為に専念してもらうことにする。そしてその天皇も年をとると天皇の位をさっさと幼い皇子にゆずって、自分は世俗化し、宮廷文化に加わる……ということをやっていた。それがいわゆる「院政」の時代だったようです。
 つまり、こういったサロン的な宮廷文化というのは、貴族階級の身分上の上下関係が弱まって、最高権力者の世俗への下降指向みたいなものが出てきたときに生まれるもののようです。
 後白河院は当時の庶民の「はやり歌」を集めて『梁塵秘抄』を編んでいますが、これも当時の公家の庶民文化へあこがれる下降指向の産物とみてよいようです。フランスのブルボン朝の末期にマリー・アントワネットは当時の農村のテーマパークみたいなものをつくってその中で遊んでいたという話ですが、そういった貴族の庶民へのあこがれみたいなものは、文化の爛熟期に出てくるもののようです。
 ということは、院政の頃の日本の宮廷文化というのは、ブルボン朝の末期のように、爛熟していたということなんでしょうか。
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2008年04月27日

堀田善衛『定家明月記私抄』を読む

 藤原定家に興味をもったあたりから、そのうち読もうとおもっていた堀田善衛の『定家明月記私抄』を、とりあえず正篇だけ読みおわりました。やはりおもしろかったです。
 この本は定家のこのような歌を観賞することからはじまります。


雲さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる         藤原定家


 堀田善衛はこの歌の「雲さえて」「峯の初雪」「有明」「月」と蒼白のイメージだけを重ねあわせるだけで歌を構成する技術の見事さを、絵画的であると同時に音楽的でもあり、それだけではなく月が残ったまま明けてくる夜の動きまでが全的に表出されているといって賞賛し、これは高度きわまりない段階まで達した高踏的な文化の産物であるといっています。
 が、同時に、しかしだからといってこの歌の背後にはいかなる意味も思想もなく、美しい音楽がおわった後に残るのは虚無ばかりではないかという疑問も呈しています。
 この本は堀田がその二つの見方に傾斜していく気持ちをかかえたまま、定家の日記である『明月記』をみていくという内容です。

 ぼくがまず意外だったのは、ぼくはどうもよく考えもせず、定家とか新古今というのはこういった優雅で技巧的な歌が多いので、安定した宮廷生活をおくっていた歌人なんかが詠んだ歌というイメージを抱いていたのですが、どんな時代かを考えればとっくに気づいていなければならなかったのですが、定家が生きたのは京都に暮らす公家にとって激動の時代です。
 まず定家の若い時代というのは、平家による京都の支配から戦争がおき、源氏が権力を握った後までの戦乱の時代であり、堀田善衛はこのへんの『明月記』の文章を読むと第二次世界大戦の頃を思い出すと書いています。空襲の下で暮らしているような極限の状況だったわけです。
 さらに当時の京都の治安は最悪の状況で、地方から大量の人口が流れ込むと同時に、盗賊の類も激増し、定家の隣りの家にも強盗が堂々と入ってくるという始末。さらには飢饉がおきて京都だけで4万からの餓死者が出たりというすさまじさです。
 さらに定家が歳をとつにしたがって、武士の台頭に反比例して定家ら公家の収入は右肩下がりで減っていき、生活も貧窮をきわめていくという状況……。
 こんな状況下で、しかしそんな現実を題材にすることなく、上のような幽玄な歌ばかりを詠みつづけるというのは、これはやはり思想がないんじゃなくて、これもまた思想的態度であるとしか思いようがありません。
 たとえば最近の911テロ以後の戦争や、遡って湾岸戦争など、少なくともたいがいの日本人にとって直接巻き込まれたわけですらない戦乱をどれだけの歌人が題材にしたのかという事実と比べてみると、そういった現代の歌人と定家は骨の髄まで違うタイプの人間だと考えるべきでしょう。
 では定家とは何者なのか。それはもう少しゆっくり見ていきたいところです。

 最後に好きな定家の歌を少し引用しときます。


梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ       藤原定家

霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る        藤原定家

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫        藤原定家

ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ        藤原定家

白妙の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く        藤原定家

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2008年04月05日

短歌

花降れる夢幻の庭を往く夕の霄は静寂の内にとざされ


遊民は風の聖座で想いをり夜空に満つる数式の果て


時果つる森のほとりに立つ鳥の睡りの内に密む星空


珪石の卵の内なる庭園の噴水の音のひびく夜なり
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2008年04月03日

短歌と「雅(みやび)」とマニエリスム

 さいきん短歌というものの根拠は「雅(みやび)」というところにしかないんじゃないかという考えが確信にかわってきています。そこを離れてしまうと、つまりは言葉を57577に合わせてみる言葉アソビにしかならないからです。短歌に興味をもちはじめた頃には、(もの珍しさもあって)そんな日常の言葉が57577にぴったりとおさまっているとうだけの「短歌」にもそれなりのおもしろさを感じてはいたのですが、そういうのはやはりすぐに飽きます。短歌の短さではたいした内容は書けないので、日常の文章という基準で読んでしまうと、底が浅すぎてすぐに飽き、くだらなくて読めたものじゃなくなります。となると、そういった日常語による「短歌」というのは、けっきょく青少年のための投稿ゴッコとしての使い道しかありません。つまり、自分できちんとした文章を書けないような青少年が、57577の形式を借りて自分の思いを書いてみて楽しみ、一、二年以内には飽きて卒業していく。そして後になって、そんなものを書いて楽しんでいた頃の自分を、若気の至りとして恥ずかしく思い出す……といった、その程度のものとしての「短歌」です。もちろんそんな行為が短歌の新しい可能性を切り開くなんてことはありえないでしょう。
 でも、短歌というものをそんなくだらないものではない、それ以上のものとしてとらえようとするなら、ほぼ31字の短詩形式にこだわる理由は、やはり「雅(みやび)」というところにしかないんじゃないでしょうか。
 となると、ぼくが最近疑問にかんじているのは、いったい正岡子規がおこなった「近代短歌」という改革は、ほんとうに良いものだったんだろうかということです。
 ぼくは短歌に興味をもちはじめた頃、新聞短歌などによく見られるような、身辺雑記風の内容を文語で書いただけの短歌にかなり疑問をかんじました。日々のちょっとした思いのようなものを、わざわざ読者が親しみにくいような文語で書いて、それでちょっと高尚な文学風になったかのように気取っているだけのようなものに見えたからです。日々に思ったちょっとしたことを読者に伝えたいのなら、文語なんかではなく読者に親しみやすい現代語で、わかりやすく伝えるのが本当ではないかと思いました。歌人がなぜ文語なんてものを使いたがるのかが理解できませんでした。その気持ちは、もしそれらの短歌がそのようなものであるかぎりは変わりありません。
 しかし「雅(みやび)」の立場に立つのなら、むしろ短歌とは日々のちょっとした思いを読者に伝えるために書くものではないのであって、ぼくが疑問をもつべきだったのは文語を使用することより、身辺雑記風の内容のほうだったのかもしれません。
 そもそも短歌とは、江戸時代まではそのような身辺雑記を書くものではなかったわけで、むしろ花鳥風月など「雅」の世界をたのしむための「風流」としてあったもののようです。それが身辺雑記になったのは、おそらく正岡子規が提唱した「写生」という方法論が、さらに私小説などの影響を受けてきた結果のようです。でも、そうだとしたら、いったい「写生」したり私小説的な内容を書くためになんで57577の短詩形にこだわらなければならないのか、そこのところがわからなくなります。ぼくが感じていた疑問はつまりはそこにあったようです。そして多分、その疑問は散文的な意味での「写生」という方法論を前提とするかぎり、解けないもののような気がします。
 やはり短歌というのは「雅(みやび)」とは切り離せないものなんじゃないでしょうか。そう考えると、むしろ近代短歌というのは短歌の歴史のなかで、当時の時代の影響を受けすぎた奇妙な時代だったのではないかという気にもなってくるのです。

 さて、しかしこの「雅(みやび)」というものは、小西甚一の『中世の文藝』には「既に完成されているとするある表現こそ永遠のいのちをもつものだとする考え、そこを目指していくような考え方で、『古典主義』に近いもの」というような説明がなされていたのですが、それはその通りに考えていいのかわからなくなってきました。
 それは前に書いた、塚本邦雄と澁澤龍彦〜種村季弘あたりの文化圏との共通性を考えたときに、象徴主義〜オカルティズムという共通点のほかに、当然、マニエリスムという点もあるんじゃないかと後から思いついたからです。
 このマニエリスムというのは日本では1960年代に種村季弘が訳したホッケの『迷宮としての世界』や『文学におけるマニエリスム』といった本が読まれて当時の若者のあいだで流行ったものでもあるようなんですが、定義としては「古典主義」と対立するもので、本来のありかたとは違ったほうに興味がずれていくような傾向、例えば言葉でいえば、その表している意味よりも、文字の形や響きのほうに惹かれるような心性のことをいうようです。
 そういうふうに定義すると塚本邦雄にはマニエリスムの傾向があるし、たぶん新古今和歌集あたりにもマニエリスムの傾向がかなりあります。さて、しかし新古今あたりは江戸時代まではむしろ短歌の理想とすべき古典として読まれていたはずで、そう考えるとこの「古典主義」という言葉の意味をどうとらえたらいいのかわからなくなってきたわけです。

 いずれにしろ、ぼくは正直いままで古典なんてものに親しんで生きてはきませんでした。日本の古典文学で読んだことがあるのは、歴史への興味の関係から万葉集の一部を読んできた程度です。
 それで、これもいい機会かなとおもって、いま少しづつ古典を読みはじめてみているところです。いままであのような文章は、それこそ学校で無理やり読まされるのでなければ、原文で読もうなんて思いもしなかったのですが、短歌を読んできたことをとおしてずいぶん読みやすくなっている自分も発見しました。
 やはり短歌というのはこういった古典文学と地続きでやるものなのではないかと実感しているところです。それを古典主義と呼ぶのかどうかはまだイマイチわかりませんが。
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2008年03月13日

呪文 2


オフェーリア流れる川岸に立ちて少女は溟き腰部をもてり

狭霧たつ彼方に黒く聳えたる無数の塔が揺らめく水面

風の舟こへ失ひし人らのせ砂の樹海をただよひゆきぬ

閉ざされし館の閉ざされし庭で月のひかりは徴となりつ

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2008年03月09日

短歌とオカルティズム

 塚本邦雄という人の作品を最初に読んだとき、ぼくは澁澤龍彦とか種村季弘といった人たちの文化圏と似ているような気がしました。そして、調べていくとそれもあながち間違いでもなかったようです。年譜を見てみると、塚本は1950〜60年代は3〜5年おきに歌集を出版するていどだったのが、1968年に澁澤龍彦が責任編集をしていた『血と薔薇』に評論を載せるようになり、そこから歌壇以外の一般読書界に活躍の場を広げ、出版する本の数も一気に増えていっています。
 この塚本と澁澤〜種村あたりとのつながりというのはどういうことなのか、最近その理由がわかってきた気がしました。

 澁澤〜種村がした主な仕事とは何かといえば、おそらく西洋のオカルティズムの紹介というのが大きい気がします。もちろんここでいうオカルティズムとはUFOとかスプーン曲げなどの通俗化したオカルトのことではなく、数百年にわたって秘教伝授されてきた文化としてのオカルトです。
 そしてどうも最近わかってきたことは、象徴主義というのは、どうもそういったオカルティズムと地続きらしいということです。
 それは象徴主義の詩人は何か象徴となるイメージ・言葉をとりだすときに、人間の内面の奥深くに手をさしのべて、無意識の奥からイメージ・言葉をとりだそうとします。そしてユングの心理学をみるとわかるとおり、その深層心理の領域とはオカルティズムの領域であるようです。それはおそらくオカルティズムとは人間にとっての根源的な衝動、闇への恐怖とか、自分を超えて巨大なものへの畏れとか、そういったものに形象を与えたものだからではないかとおもいます。それはいわば反理性の領域とでもいうものです。
 そもそも西洋文学をじっくりと見ていけば、そういった反理性のオカルティズムというものは理性的な文学の裏側につねに存在したものであるのがわかってきます。『ボヴァリー夫人』の作家は『聖アントワーヌの誘惑』の作家でもあるし、『ゴリオ爺さん』の作家は『セラフィタ』の作家でもあります。象徴主義の詩人もたいてい何らかのオカルティズムに親しんでいるようです。
 しかし、多分明治以来の日本の文学界というのは西洋から西洋文化の理性的な側面、『ボヴァリー夫人』や『ゴリオ爺さん』の側ばかりを輸入して取り入れようとしてきたような気がします。とうぜんそこには問題もあるわけで、そういった風潮に対して、反理性的な西洋文化を紹介したところに澁澤〜種村の仕事の意義があったのではないかとおもいます。
 そして塚本邦雄の仕事というのは、あまりにも理性的な「写実」の方法論が支配的だった日本の短歌界に、象徴主義的な手法をとりいれたことにあったのではないかとおもいます。となると、必然的にオカルティズムに接近していかなかければなりません。西洋の、あるいは日本のオカルティズムでもいいわけですが、その深みのなかから象徴をとりだしてこなければいけないことになります。
 塚本邦雄と澁澤龍彦らとのつながる部分て、そういう部分だったのではないでしょうか。

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2008年02月22日

短歌とは呪文のようなもの?

 ぼくは最近おもっているのですが、短歌っていうのは「呪文」みたいなものに近いんじゃないでしょうか。そうおもうと、いろいろなことがわかってきた気がしたのです。

 二、三年前に短歌を書き・読み始めた頃は、なんで「文語」なんて使う人がいるのか理解できなかったし、ものを書くうえではできるだけ読者にわかりやすく、明確に書くべきではないか、つまり、短歌だって現代語で、自分の言葉で表現し、自分の伝えたい内容がきちんと伝わるように心がけるのが本筋だとおもっていましたが、どうやらそういう考え方も正しくはないということがわかってきました。

 短歌を読みはじめたときは、わかりやすい現代語による短歌を中心に読んで、現代文でありながら57577という定型におさまっている感じにおもしろさも感じたのですが、そういった、いわば安っぽいおもしろさにすぐに飽きてしまうと、だんだん現代語の短歌というのにも不自然さを感じるようにもなってきました。
 それは、現代語で読者にきちんと内容を伝えるという、一般的な文章と同じ価値観で書くのだとすると、ではなんで定型なんて守るのかという点です。
 つまり、短歌もまた一般的な文章とおなじように、作者が伝えたい内容をきちんと伝える表現であるのなら、短歌なんて書かずに、一般的な文章を書けばいいのです。定型なんて気にせずに、31字という長さにとらわれずに自由に書いたほうが、作者が伝えたい内容はきちんと伝えられるに決まっています。つまり短歌なんか書く必要がないのです。
 つまり現代語で書かれた短歌を読むと、なんでこの人はこの内容を短歌という手法で書くのだろうか? このような内容を書きたいのなら、定型なんかにとらわれずにもっと自由に書いたほうが、もっとおもしろいものになるんじゃないかと感じることが、だんだん多くなってきたのです。
 もっとも、それは現代語で書かれた短歌にのみ感じるわけではなく、文語で書かれた短歌でも同じように感じるものは多いし、そのため、そんなに深くは考えずにいたわけです。

 さて、では何で短歌を書く人は、わざわざ定型なんて守って、ほぼ31字で終わるように書くのでしょうか。そんな定型なんかにとらわれずに、もっと自由に書いたほうが、もっとおもしろいものが書けるはずなのに、です。
 それは、そもそも「短歌とは一般的な文章とは違うものであり、作者が伝えたい内容を伝える表現ではない」と考えないと答えが出ません。
 いくらか遠回りはしましたが、たぶんそれが答えでしょう。
 つまり、短歌においては、読者がわかりやすいかどうか、作者の伝えたい内容がきちんと伝わっているかどうかは、それほど重要な事柄ではないのでしょう。そう考えなければ、なんでわざわざ定型を守るのかという理由がありません。そしてそう考えるのなら、そもそも現代語で書くか・文語で書くかといったようなことは、むしろどうでもいい、どっちでもいいことになります。

 短歌とは「呪文」のようなものではないでしょうか。ある世界を喚起させ提示する、そのための「呪文」のようなものというのが、短歌の本質なんじゃないでしょうか。パスがいうとおり、韻律というのは恐るべき神聖なるものに対峙したときの呪詛から生まれたもののようです。
 こんなことを言うと、たしかにそれが詩の源泉かもしれないが、それは遥かな過去の話であり、現在はそんな時代ではないという人もいるかもしれません。でも、そうだとするならなんで韻律なんか守って短歌を書くのでしょうか。現在はそんな時代ではないと思うのなら、短歌なんてやめてしまえばいいというだけの話です。
 つまり、短歌を書くということは、短歌という定型を受け入れたときから、もはや一般的な現代文ではないものを書いているんだと思うべきなんでしょう。
 さいきんまた文語で短歌を書いてみる習作を作りはじめましたが、以前文語で書いてみたときは自分の言葉ではない言葉で書いているもので、いかに地に足がついていない、ファンタジーを書いているような気分になっていたのですが、これを「呪文」のようなものだとおもってみると、文語を使ってみることにも抵抗がなくなりました。短歌というものは、そもそも自分の言葉で書いた、自分の書きたい内容の表現ではないとおもうようになったからです。
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2008年02月21日

呪文 1


蒼穹をみたす無限の羽のごと雪は非在の翼ひらきつ

舞い墜ちる無数の羽根に護られて使徒ははるけき峪を渡れり

球形の城の図書館、長椅子のレンズに残りしかの日の光

神々の庭の園丁、いくつもの迷路を刻む円盤の地で

風景を錬金術師の死蔵せる写本のごとく卓上に置く

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2008年02月19日

風流と雅(みやび)

 以前、山本夏彦の『完本 文語文』を読んだとき、短歌というものは江戸時代までは「風流」であったのが、正岡子規が「文学」にしてしまったという記述に出会ったのですが、そのときは「風流」ということについてそれほど深くは考えはせず、そんなものかという程度の感想で読みすごしてしまいました。
 ところが最近、たまたま小西甚一の『中世の文藝』という本をぱらぱら見ていて、おもしろい記述にぶつかりました。ぼくなりに要約させて書かせていただきます。

 この本によると「風流」とは「雅(みやび)」というものと結びついたものであり、「雅」とは、既に完成されているとするある表現こそ永遠のいのちをもつものだとする考え、そこを目指していくような考え方で、「古典主義」に近いものなんだそうです。そして「風流」とはそんな「雅」にしたしむ生活の理想的典型のようなものなのだそうです。
 ぼくはつい短歌とか、文芸系のものを見ると、それは作者が表現するものと考えがちですが、考えてみれば(簡単に気づかなければならなかったことですが)そんな主体が表現するものが文芸であるといった考え方はおもに近代以後に根付いてきたもので、それ以前の文芸においてはかならずしもあてはまるものではありません。つまり短歌とは、江戸時代までは、ある理想的な典型に向かって自らの表現を高めていこうとするものであり、そんな「風流」を楽しむためのものだったようです。
 となると、すでに完成されている典型を目指すわけですから、個性とか創意といったものはそれほど重視されないもので、むしろ、それでよかったもののようです。
 おそらく近代短歌というのは、正岡子規がそんな「風流」を「月並み」だといって否定し、創意や個性を重視したところからはじまるのでしょう。

 しかし、子規の時代においては、いわばそうなっていくのが大きな時代の流れだったのかもしれませんが、そんな近代化の時代もずいぶん遠く過去になり、「文学」というのもずいぶん色を失った現在からすれば、そういった考え方も疑ってかかるべきなのかもしれません。
 そもそも個性や創意を本当に重視するなら、なんで短歌なんていう千年前からの定型をいまだに守るんだという問題もあるわけで、それでも短歌を書くという行為は、どこかでそんな近代に背を向けて、既に完成された理想的典型を目指してみる行為(雅)という側面があるんじゃないでしょうか。
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2008年02月18日

「題詠100題2007」を観賞しておもったこと

 しばらく短歌ともブログとも関係のない生活をおくってまして、「題詠100題2007」の観賞も中断しておりました。
 観賞が中断した理由は、なんだか答えが見えてきてしまったからです。
 もともと、他人が書かれた作品を自分で選んでみることによってわかることがあるのか確かめてみるつもりではじめた観賞でしたが、だいたいぼくが選ぶ作品の傾向もその問題点も、最初の10題くらでもわかってきてしまいました。
 まずぼくはおもしろい言い回し、美しい表現をしている短歌をいいと思い、選ぶ傾向があるようです。では、そのような表現力のある作者を良い短歌の書き手だと思い、これからも書き続けてほしいと思うかというと、よく考えてみると、そうは思えないのです。
 というのは、たった31字前後しかない短歌という形式では、いくら表現力のある作者であってもたいした内容は書けません。せいぜい「この表現はおもしろいでしょう」という程度のレベルで止まってしまいます。となれば、こういう人は、力のある人であればあるほど、短歌なんかさっさと卒業して、小説とかエッセイとか、より長い文章を書ける形式にすすんでいったほうがいいと思うのです。そのほうが、その表現力を駆使して、もっと複雑で深い内容のものが書けるはずだからです。恋愛小説の1シーンのような短歌を書いている人は、おそらく短歌なんか卒業して素直に恋愛小説を書いたほうがいいんです。
 そうなると、短歌という31字前後しか書けない形式を、あえて選んで書きつづける必然性ってどこにあるんでしょう。
 どうもそこがわからなくて、止まっていたわけです。

 そんなとき、ダンテの『神曲』など叙事詩の味を知りまして、ちょっと興味がそれていました。
 そして疑問におもったことがあります。それは、『神曲』やミルトンの『失楽園』など、物語的な内容をもった長大な叙事詩というのは、小説とどこが違うのだろう。両者の本質的な違いはどこにあるんだろう、ということです。
 もちろん韻文であるという理由がまずありますが、それだけが理由でもない気がしました。
 そして思ったことは、叙事詩というのはだいたい世界全体・宇宙全体を象徴するように構成され書かれているのにたいし、小説はそうでないということです。たぶんそこに最も本質的な違いがあるんじゃないでしょうか。
 そう考えると、じゃあ短歌というのは何なんだろうという気になります。長大な叙事詩とちがってたった31字しかないのでは、宇宙全体や世界全体を象徴させられるわけないじゃないかという気がしました。
 けれど思ったのは、やはり短歌もまた、本来は31字で宇宙を描きつくすようなところを目指している形式なのではないかということです。それはつまり、路傍のちいさな小石に宇宙を見る……というような境地でしょう。
 だいたい世界観・宇宙観のようなものは、原稿用紙何千枚で描いたって、しょせん書き尽くせるものではありません。けっきょく暗示し、象徴させるしかないでしょう。だとすれば、数千枚の枚数をつかわずに、あえて31字で暗示するのが短歌というものではないのでしょうか。
 たぶん短歌というのは31字前後で表現するものと考えることは間違いなんでしょう。おそらく31字の長さは作品全体の長さではありません。描かれているのはその作品の背後に広がっている巨大な世界であり、31字はその世界を暗示するための文字数と考えるべきではないのでしょうか。路傍のちいさな小石は、それがどんな形の小石かが重要なのではなく、それを眺めていると宇宙が見えてくるかどうかが重要なのではないでしょうか。
 そう考えると、日常的な会話体を定型にあてはめてみたような作品が、どれもこれもくらだなく、つまらないものに感じられる理由もわかってきました。そのような作品は短歌の背後に広がる世界がない、カラッポなものでしかないからです。
 そしてここに書いてきたようなぼくの短歌の観賞のしかたも、考え直す必要がありそうです。つまりどんな美しい表現、おもしろい言い回しを駆使しているかは、実は短歌の読みどころではまったくなく、どれだけ広大な世界・宇宙を暗示・象徴しているかという点こそが、ほんらい短歌の読むべき点ではないでしょうか。
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2008年02月17日

円形の庭園


円柱が見まもる陰よ無数の眼ひらく真昼の無人の広場

比類なき表情をもつ石像と機械じかけの噴水のまち

かぎりなき天文台を彷徨よへる孤児らの交わす奇妙な言葉

方形の宇宙の縁に立ち数学者らは永遠のかずを数えり

円形の庭園、月のひそかなる音に現われて舞ふ蝶の群れ

方形に森を開墾(ひら)きて赤き酒の杯と皿をしずかにはこぶ

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2007年12月16日

短歌の効用?

 この前、『神曲』を寿岳文章の訳で読んでいたときにも感じていたのですが、どうも短歌に興味をもつことの効用って、古い日本語に親しむという点が大きいんじゃないかという気がしてきました。
 実はずいぶん前からぼくは、泉鏡花の小説を、そのうち読んでみたい気がしていました。ぼくは映画ファンであり、日本の映画では泉鏡花を原作としたものがけっこう多く、名作も多いからです。でも、いままで何度か読もうとしても、あの文語の文体に抵抗があって読めずにいました。なんだか読んでいても内容が素直に頭に入ってこなくて、いらいらしてダメだったのです。
 しかし今回、『神曲』をの寿岳文章訳で味をしめたんで、久しぶりに泉鏡花を手にとってみたら、意外なほどすうっと頭に入るようになっていることに気がつきました。泉鏡花以外にもいくつか日本の古典文学を読んでみましたが、けっこう読めそうにかんじました。これはたぶん短歌というものを読んでみた効用でしょう。

 いままで、なんで歌人というのは文語を使いたがるのか、わざわざ苦労して、一般の人にわかりにくい言葉使いをするのか、理解ができませんでしたが、逆に文語への入口として短歌を読み詠むことをかんがえると、なかなかいい入口ではないかという気がしてきました。それは古語の語彙に親しむというだけでなく、どうも文語による文章というのは、韻律とはいわないまでも、文語文特有のリズムで読ませる面のあるものが多いような気がするのです。そして、そういった文語文特有のリズムの味わいかたも、短歌の韻律を通じて理解できてきた気がしたのです。

 いままで文章は平易でわかりやすく書くのがいいとおもってましたし、いまでも実用的な文章にかんしてはその通りだろうとはおもいますが、どうも文章にはそうとも言い切れない部分があるようです。
 古い日本語と接するということは、いわば異文化と接するのと同じであり、そこには抵抗感があって当たり前です。そして異文化を理解することとは、けっきょくその抵抗感が少なくなるように異文化を自分の側に翻訳することではなく、その抵抗感の向こう側に、異文化のほうに自分の感性を近づけていくことが肝要でしょう。つまりは、現代人にもわかりやすい短歌を読んだり詠んだりすることではなく、むしろ古語を使用して、古語を使っていた時代の日本人の感性をかんじることに、古代詩形である短歌というものを現在も続ける意義があるとはいえないでしょうか。

 しかし、以前から文語で短歌をつくることも少しづつは試みてはいるのですが、どうも個人的には文語を使って書いてみると、ほとんどファンタジーを書いているような気分になります。自分の言葉ではないもので、書いていても地に足がついている感じがしせず、現実感がないのです。
 慣れればそうでもなくなるもんなんでしょうかね。
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2007年12月02日

西洋の叙事詩と日本

 ぼくが普段どんな本を読んでいるかというと、文芸というジャンルでいうならやはり小説が圧倒的に多いです。だから西洋の古い作品を読む場合でも、小説であるとけっこう気軽に手にとれる一方、詩というと二の足を踏むところがありました。
 しかし、最近詩というものを意識してみてわかってきたのは、どうも詩、とくに叙事詩というジャンルが、西洋の文明をみる上でかなり重要なのではないかということです。とくにルネサンスあたりから見た場合、ダンテの『神曲』、スペンサーの『妖精の女王』、ミルトンの『失楽園』などといった叙事詩の存在感というのが大きく見えてきました。
 そんなわけで、ダンテの『神曲』を寿岳文章の訳で読んでみました。寿岳文章訳を選んだのは、山田正紀が『神曲法廷』でこの訳をすすめていたのが記憶にのこっていたという理由です。
 山田正紀が勧めるだけあって、この寿岳文章の訳はかなりの名訳で、一種の韻文といっていいようなリズムで読ませる文章になっています。以前ならこういうクセのある文章は好きでなかったのですが、短歌を読んだせいか抵抗なく味わえるようになっていました。そこは短歌に興味をもってみたことの成果といえそうです。
 そういう目で読んでいくと、やはり『神曲』はすごい傑作で、正直短歌を読んでいるより余程面白いと感じてしまいます。
 もう一つ参照にしながら読んでいるのは、ブックオフで\105でみつけた現代教養文庫の野上素一訳の『ダンテ 神曲物語』です。こちらは普通の文章による訳で、読みやすくてわかりやすいのはこっちのほうで、するすると読めるのですが、叙事詩という雰囲気はなく、タイトルどおり「物語」を読んでいるようです。きらびやかで壮大なイメージに溢れ、『神曲』の世界が目の前にあるようにかんじるのは寿岳文章訳のほうですが、速読して大意をつかむのには野上素一訳のほうが適しているし、モノクロながら多くの画家が『神曲』の一場面を描いた絵が挿絵のように載せられているのが、なかなか楽しいものです。
 また、読んでいる途中でブックオフで永井豪のマンガ版『ダンテ神曲』の文庫版の下巻だけも見つけ、これらを交互に見ながら読みすすめました。

 さて、『神曲』を読んでいて疑問におもったことは、なんで日本にはこのような叙事詩がないんだろうということです。というのは、歴史に興味がある人は誰でも感じることでしょうが、西洋の歴史と日本の歴史というのはわりと似たルートを辿ってる面があり、比べてみるとたいていのものには似たような対応物というのが見つかるのです。これは日本の歴史と、中国や朝鮮の歴史を比べたときとはまったく違います。
 しかし、和歌など日本の詩の歴史をみると、新古今のあたりでは洗練の極みをつくしますが、それはつまり短詩形の作品のみであり、長歌などは万葉集以後むしろ廃れていきます。西洋のような長大な叙事詩というのが書かれた時代というのはないようです。なぜなんでしょうか。
 そこを考えてみると、やはり『源氏物語』などの小説というのが、日本においては西洋における叙事詩と同じような役割をしたのではないかという想像に駆られます。
 しかし、それでもまだ疑問は残ります。というのは、やはり『源氏物語』などの小説と、西洋の叙事詩とではかなり違いがあるんじゃないかということです。
 思うに、西洋の叙事詩というのは、後に書かれることになる西洋の近代小説とは構造的な違いがあるようにおもえます。それは韻文と散文の違いというだけでは、おそらくないとおもいます。
 それはルネサンス期以後の叙事詩には、まず全体の構想があって、そこから細部が書かれていくという構成感があることです。
 例えばダンテの『神曲』は全体が「地獄編」「煉獄編」「天国編」と三つに別れ、それぞれがだいたい同等の分量である構成になっています。
 しかし、読んでみた感想からすれば、おそらく「地獄編」がもっとも密度が高いと感じるのが普通でしょう。「地獄編」は次々と鮮烈なイメージが噴出するのに対し、「天国編」は対話だけがえんえんと続いていると感じる場面が多いです。例えば永井豪のマンガ版『ダンテ神曲』では全体の3分の2が「地獄編」にさかれ、のこりの3分の1のうちの4分の3は「煉獄編」、「天国編」はごく短いものになっています。これは永井豪が自分の好きなところを自由にマンガ化したからこうなったというより、誰がやったとしても、だいたいそんなバランスになんるもんなんじゃないかともおもわれます。
 けれど、ダンテにすれば、やはり「地獄編」「煉獄編」「天国編」はそれぞれ同等の分量でなければいけないと感じていたことでしょう。それはどれだけ書くべき内容があるかの問題ではなく、この3つの部分は同じ分量でないとバランスが悪いとかんじる、どこか建築に似た構成感です。
 スペンサーの『妖精の女王』も、これが未完の作品といわれているのは(これで完成しているという評もあるようですが)、この作品がそれぞれ12の徳をあらわす12巻の作品にするという全体の構成がまず構想され、その半分を書いたところで中断したからです。
 このような全体の構成から発想して、その後に各部分へと至っていく構成感が、西洋の近代小説では薄くなっている気がします。そして、どうも日本の『源氏物語』や、その前後の文芸作品をみていると、はじめからそういう発想が無いような気がするのです。
 これはなぜなんでしょうか。
 ちょっと考えてみたいテーマです。

 それにしても『神曲』を寿岳文章の訳文を読んでいると、日本語の韻文による叙事詩というのも、それはそれで可能だったんじゃないかという幻想にもかられます。本当にこういうタイプの作品って日本にないのかな……。
posted by aruka at 21:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月24日

「プラットホーム」


ぼろぼろの自転車でいく海の旅 自殺志願の少女とぼくと


たそがれに風化していくいくつもの壁をならべてだまりこむ街


眠るためまぶたがほしいとぼくたちは眠りを忘れた街をさまよう


飛ぶ夢をみたことがない少年が壊れた喉で奏でる軍歌


正義とは考えないこと正義とはいばりちらすこと目をとじたまま


音もなくとびらが閉じる部屋だけが無限につづく深夜のホテル


この都市は闇に浮かんだ電車だという人が待つ停車場(プラットホーム)

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2007年11月04日

短歌って息ぬきじゃないの?

 なんていうか、最近、短歌に熱い情熱とやらをもっているらしい様々な人の意見を読むことになって、ぼくはすっかり嫌気がさしてきてしまいました。
 ぼくは短歌っていうのは短いから、ほんの息ぬきていどの気持ちで書いたり読んだりできるものって気持ちではじめて、それ以来、基本的にはそのていどのもののつもりで細々とつづけてきましたが、それじゃあいけないんでしょうかね。
 売れたいとか有名になりたいとかおもうなら、もっとメジャーなジャンルを選んだほうがずっと近道なわけで、短歌みたいな短い形式のいい所って、息抜きとかかるい気持ちでできるとこにあると思うのですが。
 たぶん短歌をやる主な人たちって、なにか創作をしたいけど、長い小説などを書くほどの力はない青少年がとりあえず一行で作れるものとして選ぶか、あるいは別の職業をもってて心に余裕のある大人が、本業のあいまに息抜きとして趣味でなにかを書きたいんだけど、創作にそんなに時間をかけることはできないから短歌か俳句でもってかんじで選ぶか、そんなところだとおもうし、それでいいんじゃないかと思うんですけど。
 それで、ほんのときどき大歌人みたいな人が出てくるだけで、たとえば二十世紀でいえば前半に斎藤茂吉がいて、後半に塚本邦雄がいて、その周辺に数人の特徴的な活躍をした歌人がいて、それくらいでいいんじゃないでしょうか。
 そんなに立身出世めざしてやるものでも、大声を張り上げて熱く意見を闘わせたりってものでもないとおもうんですけど。

 ぼくはこのブログにいろいろ意見を書いてきましたけど、それは短歌とか日本の詩ってものをいままで読んできたことがなかったぼくが、あまりにも未知なジャンルなんで、こういうものか? いや、こうではないのか? と試行錯誤してきた過程を書いたもので、基本的にひとり言です。もし熱い意見だとおもわれていたら嫌だな。
 そりゃあ未知なものを調べていくのは個人的に大好きなもので、それはそれでおもしろがって熱中していた部分もあるわけですけど、それだけっていえばそれだけで、もともと好きだった歴史の理解に役だったあたりが儲けものっていうぐらいのかんじです。
 今後短歌を続けていくとしても、ぼくはやはり息抜きでできるからっていう理由で続けるだけでしょうね。あきたらいつでもやめるとおもうし。
 でも、短歌ってそういうものでいいんじゃないんでしょうかね。
posted by aruka at 10:57| Comment(4) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

ネット短歌は盛り下がってもいいということ

 ぼくがネット短歌は盛り下がってもいいものだとおもいます。その理由を書きます。

 ぼくは短歌というものはほんらい「詩」でなければ存在理由がないものだとおもいます。
「詩」ではない短歌というのは、アブクみたいなもんだとおもいます。親しみやすさ・もの珍しさから一時的に目を集めることはあったとしても、そのうちはじけて消えるものだということです。
 なぜなら存在理由がないからです。つまり、「詩」でないなら57577という定型なんて守る必要がないのです。そんな定型にこだわらずに自由に書いたほうがいいものが書けるにきまってます。
 定型なんて守る必要がまったくないのに定型を守ってみせるのは、ただのオアソビというべきでしょう。それはつまり、ほんらいなら小説とか、もっと自由に書けるジャンルの作品を書いたほうがいいのに、そこまでの筆力がないので、とりあえず一行で書ける定型短詩を書いているという状態にすぎません。でも、そのうちに小説なども自由に書ける筆力も身につくかもしれませんし、定型なんて守る必要がまったくなかったことにも気づくでしょう。そのときアブクははじけて消えるでしょう。これは当然読者の側でもおなじことがいえます。
 定型とか韻律というものが存在理由をもつのは、短歌が「詩」であった場合のみです。なぜならパスがいうように、韻律というものは「聖性に対峙したときの呪詛、あるいは祈り」から生まれたものであり、「詩」の属性だからです。
 小説などもっと多くの人に読まれているジャンルのものを書くのではなく、短歌という形式を選ぶことに積極的な意義が見出せるのは、「詩」を書いた場合のみです。
 だから短歌というものは、本質的みて「詩」でなければ存在理由がないのです。

 さて、ネット短歌の盛り上がりといったときに、しかしアブクの部分がいくら盛り上がったところで、べつに意味などないのです。なぜならそんなものは最初から存在理由のないものであり、やがてはじけて消えるものだからです。
 むしろ、そんなアブクに紛れて本質を見失ってしまうことのほうが危機だといえます。なぜなら、多すぎるアブクに惑わされて本質が見失われてしまっていたら、アブクがはじけると同時に、すべてが無くなってしまうからです。
 しかし、ぼくが二年ほど前からネットで短歌を書き始めてかんじてきたことは、あまり「詩」と思えない短歌ばかりピックアップし、アブクを盛り上げることばかりに熱心だとしかおもえない状況でした。(もちろん個人的見解ですが)
 最初のうちはぼくも、初心者で何も知りませんから、それはそれで楽しみはしましたし、楽しめない部分は自分には理解できないけど本当はいいものなんだろうとおもってました。でも、楽しんでいた部分はすぐに飽きましたし、理解できないものも本当はいいものかどうか疑わしくなってきました。そして、その程度のものであるかぎり、短歌の盛り上がりなんて意味はないのです。
 アブクがいくらふくれあがって、盛り上がっているようにみえたとしても、それはまったく意味のないことなんです。そんなアブクは消えたってかまわないのです。盛り下がってもいいのです。
 大事なのは盛り上げることよりも、本質を見失わないことです。


 さらに、短歌の本質とは何かということについて、「詩」であるということの他に、ぼくが最近かんじていることがあります。それは、どうも短歌というものの本質は盛り下がった後のほうにありそうだということです。
 おもうに短歌というのは、祭りの盛り上がりより、祭りの後のむなしさとか、祭りそのものに背を向けた心情のほうに本質があり、勝者よりも敗者、成功者よりも失敗者のものであるようにかんじます。
 万葉集をみると、当時政治的に敗北して思うとおりの生をまっとうできなかった者たちの歌がかなりの部分を占めるわけで、近代においても例えば石川啄木など、ほんらい小説や詩などで成功したかったのがことごとく失敗し、敗者の悲しき玩具として短歌を書くわけです。それが結果的には売れたとしても、それは結果論であって、どうも有名になりたいとか売れたいとか、立身出世のために短歌を書くというのには、イメージとして違和感をかんじるようになってきました。
 ぼくは二年ほど前にネットで短歌を書き始めて、最初のうちはオアソビとかウケねらいとか、その程度のかるい気持ちの部分も大きくて、だいたいそれまで短歌とか日本の詩なんてものをまるで読んだことがなかったもんで、あまりにも未知な世界に、未知であることがおもしろくてはじめてみたわけです。でも、やってみると、単純にオアソビとかウケねらいというのは、短歌でやってもそうおもしろくないような気がしてきました。それは自分でもその時はおもしろいつもりで書いていても、少し時間をおいて読みかえしてみるとつまらないし、他人が書いたものも多分本人はおもしろがって書いているんだろうなとわかるのだけど、さむくかんじたり、ちょっと違うんじゃないかとおもいながら、ではいつまでも魅力的な短歌というのはどういうものかとかんがえてみると、けっこう短歌の本質ってそのへんのところにあるんじゃないかといまのところおもっています。
 斎藤茂吉の『赤光』にしても、有名な連作というのは母との死別や、成就しなかった恋愛をあつかったものであり、これが幸福な母子ものや、ハッピーエンドの恋愛を描くなら、たぶん短歌以外のジャンルのほうがいいものが書けるんじゃないかとおもうわけです。
 思うとおりの生をまっとうできなかった者たちが、その思いを歌というかたちで残し、ほかの者たちは彼らがこの世に残さざるをえなかった思いを慰撫するために歌をつくり、といったところが短歌というものの本質にちかいのような気が、最近してるんですが、どうでしょうか。

 もちろん、自分が書いた作品のことは棚にあげていってるのですが。
posted by aruka at 01:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月21日

ネット短歌の盛り下がりを喜ぶ 2

 トラックバックしていただいたので、酒井さんに質問の点をこたえておきます。

『どのやうな現象をもつてネット短歌の衰亡と捉へられたのかをarukaさんには説明していただきたかつたところです。』

 この点ですが、内容はよく知らないですが、以前は「ちゃばしら」とか「ラエテティア」などというネット上の短歌の企画があったようですが、すでに終了したようです。「歌葉賞」というのも昨年終わったようで、「かんたん短歌ブログ」も終わったようで、笹公人さんの投稿ブログは以前はラジオで放送していたのが、ラジオ放送は終了しています。これらネット上の短歌の企画はどれも終わるか規模を縮小しています。それにはそれぞれの主催者の都合もあるんでしょうが、人気が盛り上がっているならこうも揃いも揃って終わるもんでしょうか?
 そして「題詠100題blog」の参加者の数の推移をみると最初の数年は毎年ぐんぐん増えていくのですが、2005年をピークとして以後は減少傾向にあります。2006年以後は出走前に参加者を締め切ることをやめ、期間中に途中参加もできるようにしたのに、です。
 これらの点をみれば、現在ネット短歌の人気は盛り上がってはいなく、むしろ翳りがみられるとする現状認識は妥当だとおもわれます。
 酒井さんご自身はネット短歌の人気の下降を実感しておられないということなのかもしれませんが、一般論でいってこういった場合、10人中1人か2人が「おかしいぞ」と気づくあたりが重要な分岐点となります。

『たとへネット短歌が衰亡しつつあるにしても"やっぱりな、ザマーミロ!"と切り捨てるのではなくして、だつたらこの俺がネット短歌を盛り上げてやる、ぐらゐの氣概がなくてどうするのだ、と僕は思ひました。』

 この点ですが、なんで盛り上げなきゃいけないのでしょうか? べつに盛り上がろうが盛り下がろうが、かまわないんじゃないでしょうか。それは酒井さん自身も最後の部分に、

『結局のところ、ネット短歌がたとへ盛り下がつていようとも、短歌を讀む人は讀むだらうし、詠む人は詠むだらう。それでいいのだと、僕は思ひます。』

 と書いておられます。ぼくもこの点にはまったく同感です。
 ぼくが困っているのは、酒井さんの文章は一体何を言いたいのかわからない事です。
 この最後の、『たとへ盛り下がつていようとも(中略)それでいいのだ』という、ぼくと酒井さんと共通であるはずの認識の上に立つのなら、なんで『だつたらこの俺がネット短歌を盛り上げてやる、ぐらゐの氣概がなくてどうするのだ』という言葉が出てくるのでしょうか?
 逆に、酒井さんが『この俺がネット短歌を盛り上げてやる』という気概で日々身を粉にして活動されているかたなのなら、「人気が盛り下がって喜んでいる」などと書いたぼくのことをゴキブリのように嫌悪するのも心情的に理解できますし、批判もあまんじて受けましょう。しかしゴキブリは一匹みつかった背後には百匹以上棲息しているという事実はお忘れないように。もしネット短歌の人気を盛り上げたいのなら、ぼく程度の人間が自分勝手にブログに書いたことに噛みつくより、なんでそんなに多くの人がネット短歌から去っていったのかを考えるほうがよほど重要です。
 けれど、最後まで読めば、酒井さんは『この俺がネット短歌を盛り上げてやる』という人でもないと判断せざるをえません。
 一体、酒井さんはあの文章で何がいいたかったんでしょうか?

 ぼくが先の文章に書いたことは、煎じつめていえば、二年ほど前からネットで短歌を始めてみたものの、なんだかワケのわからない世界で、つまらないものや理解できなものばかりが賞賛されていていて、そんなふうにかんじるぼくの感性ってヘンなのかとおもっていたところ、ネット短歌の人気が盛り下がっているというのを知って、やっぱりぼくと同じように、短歌に興味をもって始めてみたものの、つまらなくってやめていく人って多いんだなとおもい、現在の短歌の大半をつまらないと感じるぼくの感性はべつにおかしいわけではないんだなとおもって納得し、喜んだ。というだけのことです。


 さて、酒井さんおすすめの黒田英雄さんのブログについて書きます。ちなみに先の文章は黒田英雄さんのブログも知ったうえで書いた文章です。といっても以前に少し覗いたことがあるだけなので、内容はよくは知りませんでした。覗いただけですぐに読まなくなった理由は、つまらない歌ばかり選んであったからです。今回また行ってみましたが、やはり印象は同じでした。
 もちろん黒田さんの選んだものが秀歌だと思えるのなら、黒田さんに「優れた批評眼」があるとおもえるのなら、酒井さんはそれを読めばいいのでしょう。「歌葉賞」の受賞作家なども、それがおもしろいとおもえるのなら、それを読めばいいのと同じです。
 でも、いずれもつまらないと感じるのがぼくの本音ですから、そこは何といわれてもしかたがないのです。
 試みに黒田さんは中井英夫のような仕事はしていないとぼくが考える理由を例をあげて示してみます。
 中井英夫は当時の短歌には「詩」がないと批判し、「詩」としての短歌をピックアップしていきました。去年読んでこのブログにも書いたパスの『弓と竪琴』によると「詩」とは、

 ……人間は理性ではどうにも処理できない恐怖すべきもの、理解も共感も想像もできない絶対的他者の存在を感じると、その畏怖すべき存在に聖性をかんじる。その「おぞましき神聖なるもの(ヌミノーゼ)」に対峙したとき、人間は儀式的な行為によってそれを鎮めようとする。そのときの呪詛、あるいは祈りのとき、言葉は意味よりもリズムやイメージの多重性が重視され呪術性をおびる。それが詩であり、そのリズムが韻律である。

 と、ぼくなりに要約させてもらうと、そんなようなことを書いていました。そここそが「詩」の生まれる源泉であると。
 おそらく中井英夫もこれと同じか似たような考えをもっていたはずで、そのため「詩」にこだわる中井英夫がピックアップする作者の作品には「おぞましき聖性に対峙した場所から生まれてくる詩の感覚」があります。例をあげてみます。


しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり    塚本邦雄

死火山の上おそひくる夜を臨み不在の椅子のうつくしさ知れり    浜田 到

狼少年の森恋ふ白歯のつめたさを薄明にめざめたる時われも持つ   春日井建

死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり      葛原妙子


 これと比べる例として、酒井さん推薦の黒田さんのブログから2007年10月18日の「私の名歌鑑賞その3」でピックアップされている作品のうち最初の4首をあげます。(一番最近の選歌を選んだのであり、他意はありません)


をのこにつく乳首の理由(わけ)を教へしはかの夜のきみの唇の円  黒田英雄

かえりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき  大松達知

噴水のざわめきにこころみだされて愛を告白したり この場所    大松達知

はじめてのくちづけをへてあふぐときどこかでいつかみた空がある  吉岡生夫


 これらは別物であるということはもう言っても理解されないところまで来てるんでしょうかね。
 黒田さんが選んだ短歌には「おぞましき聖性に対峙した場所から生まれてくる詩の感覚」はありません。これは俗的なテーマでの話し言葉を定型にあてはめただけのものであり、パス〜中井がいうような意味での「詩」ではありません。
 つまり中井英夫が否定したタイプの短歌が、黒田さんがピックアップしているタイプの短歌であり、この二人の短歌にたいする価値観は180度違います。
 個人的には中井英夫の「批評眼」と黒田さんの「批評眼」をいっしょくたにしてしまうのは、中井英夫の「批評眼」も黒田さんの「批評眼」も理解できてない人の言うことという気がしてしまうのですが、どうでしょう。
 もちろん黒田さんが選ぶような短歌が好きだという人はいるのでしょう。中井英夫の活躍中も中井の否定派はいました。いろんな意見や価値観の人がいるのは当然です。だから、そういう人は黒田さんのブログを愛読すればいいのです。
 でも、ぼくは黒田さんが選ぶような作品はつまらないと感じるわけで、それはつまらないと感じるぼくの感性のほうがヘンなんじゃないかといわれれば、もちろんそうなのかもしれませんが、黒田さんのブログがあってもネット短歌の人気が減っているのなら、ぼくと同じように感じている人もけっこう多いということなんじゃないかというのが先の文章の内容でもあります。

 さて、ではパス〜中井がいうような意味での詩としての短歌は現在では書かれていないのかというと、やはり書かれてはいるとおもうのです。
 現在このブログで続けている題詠100題2007の観賞コーナーから、最初の二つの題でぼくがピックアップした野樹かずみさんとけこさんの作品を例にあげてみます。


両目から砂がこぼれる魂が崩れ始めているかもしれない      野樹かずみ

あの晴れた朝に廃墟となる街に少女のあなたがいたのだという   野樹かずみ

白く残る月の気配に怯えながら無音の街を歩き始める       けこ

火星まで晴れた夜空は無防備な正しさを叫ぶ 凍えてしまう    けこ


 ぼくはこれらの作品には「おぞましき聖性に対峙した場所から生まれてくる詩の感覚」をかんじるのです。
 しかし、実感でいえば、こういった「詩」を感じる作品は、膨大な量を読んだなかで、ほんのすこし見つかるだけというかんじです。まあ、ふつうの読者なら、そこに到達するまえに失望して読むのをやめるんじゃないかと、実感としておもいます。
 そして、もし短歌が「定型詩」だというのなら、もっと(中井英夫と同じような意味での)「詩」にこだわって、優れた「詩」である短歌をピックアップするべきじゃないかというのは、もう理解もされない意見なんでしょうかね。


 いずれにしろ、ネット短歌の人口が一時期増え、そしていま減っているのであれば、それはネットをとおして短歌に興味をもった人たちが短歌を始めてみたものの、短歌の世界をぐるりと見回してみて、失望したから去っていったということでしょう。
 もちろん、なかにはおもしろいと感じて続けている人もいるでしょう。そういう人はとりあえず関係ありません。
 でも、現状をみれば、やはり失望して去っていってる人がかなりいると見るべきなんじゃないでしょうか? そしてぼくは、数少ないおもしろい出会いがあったので、それでも細々とネット短歌を続けてはいますが、現在の短歌の世界に失望して去っていった人に、かなり共感するのです。
 なぜなら、現在書かれている大半の短歌は「詩」が欠けているというか、目指してすらいないようにみえるからです。
(もちろん、短歌を去っていった人がみなぼくと同じ理由で失望したとはいいませんが)
posted by aruka at 20:53| Comment(12) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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