短歌を通じて古文もけっこう抵抗なく読めるようになった気でいたんですが、『源氏物語』は難しいようです。なんていうか、文章が伝えたいことをきちんと書くのではなく、はっきりと書かずに行間からニュアンスで伝えていくような書き方をしてるような気がするのです。それはある意味、豊富なニュアンスに富んだ表現というべきで、高度な手法なのかもしれませんが、古文がようやっと読めてる程度の読解力ではこういった文章は難しいのです。といって現代語訳を読むのでは意味がないので、急がば回れで、『源氏物語』は後まわしにして別のから読むことにしました。
そんなとき『定家明月記私抄』を読んでいて、同時代の作品ということでよく『方丈記』の名が出てきたので、『方丈記』を読んでみました。
こっちはすごく読みやすく、ぼく程度の読解力でも現代語訳を参照にせずともするすると読んでいける文章でした。しかし『方丈記』って学校でも習ったような気もするのですが、まじめに聞いていなかったのか、こういう内容だったのかと今回初めて知ったようなかんじです。
前半は当時の事件・天変地異など書いてありまして、後半はいわば世捨て人の独白になります。「方丈」ってこういう意味だったんですね。世の中が荒れてくると、世間を離れて小さな世界で心の平安を得るというのは、なんだか戦国時代に茶の湯が流行ったのとも通じるような気もしました。
印象にのこったエピソードは養和の飢饉のとき、京に四万ニ千人あまりの餓死者が出たという記述が『定家明月記私抄』に載ってたのですが、その四万数千人って数はどうやって計ったのかと思っていたのですが、それがここに載っていました。あるお坊さんが餓死者をあわれにおもって、しかしあまりに数が多くてちゃんと弔うことができないので、使者の額に「阿」という字を書いて弔い、その数を数えたところ、四、五月に左京の範囲内で四万ニ千人あまりだったと書いてありました。つまり、その二月の前後の餓死者、さらに左京の範囲外の餓死者も含めると、さらに数が増えるようです。それにしても僧があふれかえる死者の額に「阿」の字を書いていく姿というのは印象的です。


