2008年05月07日

堀田善衛『定家明月記私抄 続篇』を読む

 堀田善衛の『定家明月記私抄』の続篇のほうも読み終わりました。定家の後半生は前半生にも増して激動の時代だったようで……。後鳥羽院がおこした承久の乱によって当時の宮廷文化は崩壊したというあたり、承久の乱というのは政治的な事件だった以上に文化的な事件だったんだなと理解しました。それに、やはり爛熟の後には崩壊が来るんだなと妙に納得もしました。もっとも、定家はというと承久の乱以前に後鳥羽院の怒りをかって冷や飯を食わされていたために、かえって乱以後収入が増えて生活が安定するあたり、時代の皮肉というのもかんじます。
 それにしても、承久の乱の実体というのはどんなものだったんでしょう。手元にあったんで井沢元彦の『逆説の日本史』の5巻を読みかえしてみましたが、これでは後鳥羽院はけっこうな戦略的頭脳をもって乱をおこしたように書かれています。でも、この『定家明月記私抄』でみると、むしろ後鳥羽院の平和ボケが乱の原因のようにみえます。
 つまり、後鳥羽院が熱心だったのはひたすら敵の滅亡と味方の勝利を「祈る」ことだったようで、軍は集めてみたものの指揮命令系統さえはっきりせず、はたしてちゃんと勝とうとする意志があったのか、考え方が少しも実践的ではありません。
 どちらの後鳥羽院像が真実に近いものなんでしょうか? ぼくはどうも『定家明月記私抄』に書かれている現実離れした平和ボケにみえる後鳥羽院像のほうが、むしろ真実に近いようなリアリティを感じたのですがどうなんでしょう。
 とうのは、公家なんて平和ボケだったといいたいわけではなく、当時の人間のものの考え方というのは、現代に生きる人間には理解のおよばないところが多いんじゃないかと思うからです。
 それに、現代の日本人の平和ボケぶりだって、考えてみれば後鳥羽院の態度とさほど遠くないところがあるとも感じます。
 当時の日本の治安が徹底的に悪化し、戦乱の世になったのは、平安貴族が「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じて、本当に軍隊を廃止してしまったのが原因ですが、この「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じている人間って現代の日本人にもけっこういて、テレビでそんな大ボケな主張を繰り返してさえいるでしょう。さらには「平和憲法が戦後の日本の平和を守った」などと主張する日本人さえいるではありませんか。いったい「平和憲法」が超自然的なパワーを発して敵軍を追い返してくれると本当に信じているんでしょうか? これは後鳥羽院の軍事をするより「祈る」ことで勝利が得られると信じていた態度とそう変わらないんじゃないでしょうか。
 いつの時代も戦乱を引き起こすのは権力者の「妄想」であり、そんな「妄想」というのは、それを信じて実践する本人は「理想」だと思い込んでいるものです。
 ともあれ、宮廷文化の崩壊によって和歌(=日本の詩)は凋落し、その後、松尾芭蕉が登場するまで400年かかったというのが作者の意見のようです。
 その点でいえば、現代は短歌とか日本の詩にとってどんな時代なんでそうか? やっぱり凋落の時代かなあ。
posted by aruka at 00:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

岩手県 - 直あど交換所
Excerpt: 地域別お相手検索機能で直あど交換!
Weblog: 岩手県 - 直あど交換所
Tracked: 2014-05-10 17:38
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。