2008年04月27日

堀田善衛『定家明月記私抄』を読む

 藤原定家に興味をもったあたりから、そのうち読もうとおもっていた堀田善衛の『定家明月記私抄』を、とりあえず正篇だけ読みおわりました。やはりおもしろかったです。
 この本は定家のこのような歌を観賞することからはじまります。


雲さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる         藤原定家


 堀田善衛はこの歌の「雲さえて」「峯の初雪」「有明」「月」と蒼白のイメージだけを重ねあわせるだけで歌を構成する技術の見事さを、絵画的であると同時に音楽的でもあり、それだけではなく月が残ったまま明けてくる夜の動きまでが全的に表出されているといって賞賛し、これは高度きわまりない段階まで達した高踏的な文化の産物であるといっています。
 が、同時に、しかしだからといってこの歌の背後にはいかなる意味も思想もなく、美しい音楽がおわった後に残るのは虚無ばかりではないかという疑問も呈しています。
 この本は堀田がその二つの見方に傾斜していく気持ちをかかえたまま、定家の日記である『明月記』をみていくという内容です。

 ぼくがまず意外だったのは、ぼくはどうもよく考えもせず、定家とか新古今というのはこういった優雅で技巧的な歌が多いので、安定した宮廷生活をおくっていた歌人なんかが詠んだ歌というイメージを抱いていたのですが、どんな時代かを考えればとっくに気づいていなければならなかったのですが、定家が生きたのは京都に暮らす公家にとって激動の時代です。
 まず定家の若い時代というのは、平家による京都の支配から戦争がおき、源氏が権力を握った後までの戦乱の時代であり、堀田善衛はこのへんの『明月記』の文章を読むと第二次世界大戦の頃を思い出すと書いています。空襲の下で暮らしているような極限の状況だったわけです。
 さらに当時の京都の治安は最悪の状況で、地方から大量の人口が流れ込むと同時に、盗賊の類も激増し、定家の隣りの家にも強盗が堂々と入ってくるという始末。さらには飢饉がおきて京都だけで4万からの餓死者が出たりというすさまじさです。
 さらに定家が歳をとつにしたがって、武士の台頭に反比例して定家ら公家の収入は右肩下がりで減っていき、生活も貧窮をきわめていくという状況……。
 こんな状況下で、しかしそんな現実を題材にすることなく、上のような幽玄な歌ばかりを詠みつづけるというのは、これはやはり思想がないんじゃなくて、これもまた思想的態度であるとしか思いようがありません。
 たとえば最近の911テロ以後の戦争や、遡って湾岸戦争など、少なくともたいがいの日本人にとって直接巻き込まれたわけですらない戦乱をどれだけの歌人が題材にしたのかという事実と比べてみると、そういった現代の歌人と定家は骨の髄まで違うタイプの人間だと考えるべきでしょう。
 では定家とは何者なのか。それはもう少しゆっくり見ていきたいところです。

 最後に好きな定家の歌を少し引用しときます。


梅の花にほひをうつす袖のうへに軒漏る月のかげぞあらそふ       藤原定家

霜まよふ空にしをれし雁がねのかへるつばさに春雨ぞ降る        藤原定家

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫        藤原定家

ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ        藤原定家

白妙の袖のわかれに露おちて身にしむいろの秋かぜぞ吹く        藤原定家

posted by aruka at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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