2008年04月03日

短歌と「雅(みやび)」とマニエリスム

 さいきん短歌というものの根拠は「雅(みやび)」というところにしかないんじゃないかという考えが確信にかわってきています。そこを離れてしまうと、つまりは言葉を57577に合わせてみる言葉アソビにしかならないからです。短歌に興味をもちはじめた頃には、(もの珍しさもあって)そんな日常の言葉が57577にぴったりとおさまっているとうだけの「短歌」にもそれなりのおもしろさを感じてはいたのですが、そういうのはやはりすぐに飽きます。短歌の短さではたいした内容は書けないので、日常の文章という基準で読んでしまうと、底が浅すぎてすぐに飽き、くだらなくて読めたものじゃなくなります。となると、そういった日常語による「短歌」というのは、けっきょく青少年のための投稿ゴッコとしての使い道しかありません。つまり、自分できちんとした文章を書けないような青少年が、57577の形式を借りて自分の思いを書いてみて楽しみ、一、二年以内には飽きて卒業していく。そして後になって、そんなものを書いて楽しんでいた頃の自分を、若気の至りとして恥ずかしく思い出す……といった、その程度のものとしての「短歌」です。もちろんそんな行為が短歌の新しい可能性を切り開くなんてことはありえないでしょう。
 でも、短歌というものをそんなくだらないものではない、それ以上のものとしてとらえようとするなら、ほぼ31字の短詩形式にこだわる理由は、やはり「雅(みやび)」というところにしかないんじゃないでしょうか。
 となると、ぼくが最近疑問にかんじているのは、いったい正岡子規がおこなった「近代短歌」という改革は、ほんとうに良いものだったんだろうかということです。
 ぼくは短歌に興味をもちはじめた頃、新聞短歌などによく見られるような、身辺雑記風の内容を文語で書いただけの短歌にかなり疑問をかんじました。日々のちょっとした思いのようなものを、わざわざ読者が親しみにくいような文語で書いて、それでちょっと高尚な文学風になったかのように気取っているだけのようなものに見えたからです。日々に思ったちょっとしたことを読者に伝えたいのなら、文語なんかではなく読者に親しみやすい現代語で、わかりやすく伝えるのが本当ではないかと思いました。歌人がなぜ文語なんてものを使いたがるのかが理解できませんでした。その気持ちは、もしそれらの短歌がそのようなものであるかぎりは変わりありません。
 しかし「雅(みやび)」の立場に立つのなら、むしろ短歌とは日々のちょっとした思いを読者に伝えるために書くものではないのであって、ぼくが疑問をもつべきだったのは文語を使用することより、身辺雑記風の内容のほうだったのかもしれません。
 そもそも短歌とは、江戸時代まではそのような身辺雑記を書くものではなかったわけで、むしろ花鳥風月など「雅」の世界をたのしむための「風流」としてあったもののようです。それが身辺雑記になったのは、おそらく正岡子規が提唱した「写生」という方法論が、さらに私小説などの影響を受けてきた結果のようです。でも、そうだとしたら、いったい「写生」したり私小説的な内容を書くためになんで57577の短詩形にこだわらなければならないのか、そこのところがわからなくなります。ぼくが感じていた疑問はつまりはそこにあったようです。そして多分、その疑問は散文的な意味での「写生」という方法論を前提とするかぎり、解けないもののような気がします。
 やはり短歌というのは「雅(みやび)」とは切り離せないものなんじゃないでしょうか。そう考えると、むしろ近代短歌というのは短歌の歴史のなかで、当時の時代の影響を受けすぎた奇妙な時代だったのではないかという気にもなってくるのです。

 さて、しかしこの「雅(みやび)」というものは、小西甚一の『中世の文藝』には「既に完成されているとするある表現こそ永遠のいのちをもつものだとする考え、そこを目指していくような考え方で、『古典主義』に近いもの」というような説明がなされていたのですが、それはその通りに考えていいのかわからなくなってきました。
 それは前に書いた、塚本邦雄と澁澤龍彦〜種村季弘あたりの文化圏との共通性を考えたときに、象徴主義〜オカルティズムという共通点のほかに、当然、マニエリスムという点もあるんじゃないかと後から思いついたからです。
 このマニエリスムというのは日本では1960年代に種村季弘が訳したホッケの『迷宮としての世界』や『文学におけるマニエリスム』といった本が読まれて当時の若者のあいだで流行ったものでもあるようなんですが、定義としては「古典主義」と対立するもので、本来のありかたとは違ったほうに興味がずれていくような傾向、例えば言葉でいえば、その表している意味よりも、文字の形や響きのほうに惹かれるような心性のことをいうようです。
 そういうふうに定義すると塚本邦雄にはマニエリスムの傾向があるし、たぶん新古今和歌集あたりにもマニエリスムの傾向がかなりあります。さて、しかし新古今あたりは江戸時代まではむしろ短歌の理想とすべき古典として読まれていたはずで、そう考えるとこの「古典主義」という言葉の意味をどうとらえたらいいのかわからなくなってきたわけです。

 いずれにしろ、ぼくは正直いままで古典なんてものに親しんで生きてはきませんでした。日本の古典文学で読んだことがあるのは、歴史への興味の関係から万葉集の一部を読んできた程度です。
 それで、これもいい機会かなとおもって、いま少しづつ古典を読みはじめてみているところです。いままであのような文章は、それこそ学校で無理やり読まされるのでなければ、原文で読もうなんて思いもしなかったのですが、短歌を読んできたことをとおしてずいぶん読みやすくなっている自分も発見しました。
 やはり短歌というのはこういった古典文学と地続きでやるものなのではないかと実感しているところです。それを古典主義と呼ぶのかどうかはまだイマイチわかりませんが。
posted by aruka at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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