2008年06月29日

能(謡曲)って

 どうも和歌というものが藤原定家が活躍した時代にひとつの頂点をむかえ、その後停滞していったということがわかってきました。ではその後、日本の詩というものはどうなっていったか、ほんとうに芭蕉の俳句あたりまで停滞しつづけたのかというと、どうも観阿弥・世阿弥などの能(謡曲)というのは定家時代後の日本の詩の新しい展開だったんじゃなかったのかという気がしてきて、すこし能(謡曲)というものを読んでみることにしました。
 西洋であっても戯曲というのが詩の言葉で書かれるのは普通だし、だからシェイクスピアなど名劇作家は同時に詩人でもあります。そして能(謡曲)というのも詩の言葉で書かれているようです。そうおもうと、能(謡曲)は日本における長詩というべきものではないかという気がしてきて、いやがうえにも興味が高まったのです。『神曲』を読んで以来、日本にもこういったタイプのものはなかったのかと探していたからです。

 それで能の台本であるという『謡曲』の本を本屋で探してみたのですが、少なくともぼくが住んでいる周辺では謡曲の本というのはなかなか売ってなくて、探しまわったすえに新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』も古本をようやく見つけて買ってきました。で、読んでみたのですが、これがやたらにハードルの高い、とっつきにくいものでした。
 その理由は、なにより読み慣れない書式・表記方法にあります。
 つまり一般的な戯曲の書式……、まずどこの場かが説明され、ト書きなどで登場人物の動きが説明され、セリフの行頭にはそれが誰のセリフなのか、名前が書かれている……という書き方ではありません。
 場の説明は無く、登場人物の動きはセリフの横に別色の小さな活字でほんの少し書かれているだけ、そしてセリフの前には話者の名前ではなく、小さな活字で「シテ」とか「ワキ」「ツレ」とかだけ指定されています。まあこの「シテ」とか「ワキ」とかは何のことかは予備知識がありましたし、付いている登場人物表を見ればその「シテ」が誰のことなのかもわかります。しかしわからないのは行頭に書いてある「サシ」とか「上ゲ歌」とか「クドキグリ」とかいった言葉で、これは本のどこを見ても何のことなのか説明がありません。(ぼくが見つけられないだけなんでしょうか?)
 場の説明などがないのは能の上演形態として理解はできます。能では舞台セットなどないわけですから。
 しかしなんで誰のセリフかを示すのに名前ではなく「シテ」とか「ワキ」とか書くのでしょうか? 読んでる人間からすれば、「ツレ」とかが出てくると、これって誰だっけといちいち登場人物表を見ながら読んでいくより、行頭に名前を書いてもらったほうがわかりやすいとおもうのですが。
 もっとも、能の世界を扱ったマンガ、成田美名子の『花よりも花の如く』を少し読んでみたところ、この事情も少し理解はできました。どうも能では演者は「シテ」の役者は「シテ」専門であり、「ワキ」の役者は「ワキ」専門なんだそうです。となると、演者からしてみると、それがどの登場人物のセリフかと書くより、シテのセリフなのかワキのセリフなのか書いたほうが、わかりやすいのかもしれません。
 しかし、謡曲を作品として読もうとする読者から見ればどうなんでしょうか。やっぱり誰が言ったセリフなのか名前を書いてくれたほうがわかりやすいんじゃないでしょうかね。
 それに、「サシ」とか「上ゲ歌」とかはどんな意味なんでしょうか。どうしてそういう専門用語の意味を説明しないんでしょうか。
 それこれみてみると、どうもこの新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』という本は、能の演者か、あるいは既に能を知っている人向けの本であって、これで初めて能(謡曲)というのを読んでみようと思っている人間に理解できるように書かれた本ではないようです。
 わからないなら入門書でもないかと探してみたのですが、これもぼくの探し方がわるいのか、初心者向けにわかりやすく書かれたものが見つかりません。(ときどき思い出したように、たいてい古本屋で探してみるだけなんで、ほんとに探し方がわるいだけかもしれませんが)
 いままで見つけた能の解説本は、どれも既に読者が能を知っていることを前提として、より深く分析していくタイプのものでした。もちろん、こういう本はこういう本であっていいものなわけですが、なにしろこちらは初心者で、専門用語も何もわからない状態なんで、そういう人向けにわかりやすく解説したものもあってもいいと思うのですが、見つかりません。
 けっきょく、わからない専門用語はぜんぶ無視するしかありません。
 そんなわけで、なんだかやたらハードルが高くて、読みにくくて、だったら読まなければいいともおもうのですが、もちろんつまらなければ読むのをやめるのですが、これが読んでみるとおもしろいのです。     
 でも、とにかく読みにくくて、それに、わからない専門用語を全部飛ばして読んでるわけなんで、一体どこまで理解できてるのかという隔靴掻痒感みたいなものをかんじます。

 でも、『謡曲集』というのが初心者にはわからないように書かれたものであり、初心者向けの入門書も見つからない状態だとすると、能(謡曲)っていうのは、どこからアプローチしていけばいいもんなんでしょうか。
 そんなことを思っているうちに、テレビ(NHK)で能の番組を放送したので、録画して見てみました。本を読んでわからないなら、舞台を見るのがいいのかとおもったわけです。が、これもやっぱりハードルが高いというか、初心者が見ていきなり感動できるという感じは受けませんでした。正直、初心者として初めてオペラの映像を見たときのほうがよほどわかりやすかったです。日本人としてどうなんだろうという気もしてしまいましたが。
 とくにこっちは詩としての謡曲に興味があって見るわけなんで、そうすると、あの独特のスローテンポで読み上げられると、その演出・音楽的効果のほうが印象的で、あまり言葉の内容が頭に入ってこないきがします。
 もちろんこれもテレビなんかで見るから魅力がわからないのであって、実際の舞台に接しなければ能の真価はわからないと言われれば、それはそうなんでしょうが、最初はやっぱりどこか手近なところからアプローチしたいものです。
 それにしても、テレビで見た能は、あれは照明をあて過ぎなんじゃないでしょうか。舞台の隅々まで明るく照らしだされて、暗い部分など少しもないようになってますが、能ってもっと暗闇のなかから演者がぼんやりと浮かび上がってくるような照明でやるもんなんじゃないでしょうかね。少なくとも謡曲を読んでいると、背後に闇をかんじるのですが。
 それとも、演者の仕草はすべて明瞭に見えたほうがいいという考え方なんでしょうか。

 いろいろやってみましたが、やはり能(謡曲)って、本を読むところから入る方法っていうのもあってもいいんじゃないでしょうか。それが正しい入りかたかどうかはわかりませんが、そうしちゃいけないわけでもないでしょう。
 だとすると、現代語訳なんてしなくてもいいですが、せめて書式だけでも一般の戯曲と同じようにした謡曲集を出してくれれば、一般の読者にとってもっととっつきやすい、読みやすいものになると思うんですが、そういうわけにはいかないもんなんでしょうかね。
 それとも、そういう書式で書かれた本も既に出ているのでしょうか。なにしろこの新潮日本古典集成の『謡曲集(上)』もようやく見つけたというかんじなんで、他にどんな本が出ているのかもよくわからないのですが。
 現在、本屋に行けば、シェイクスピアなどは、いろんな種類の文庫本で出ていて入手しやすいし、読んでもわかりやすいです。しかし、そんな外国の戯曲が入手しやすく読みやすい一方、自国の文化である『謡曲集』が、本も入手しずらく、入手してもやたら読みづらく、読みやすくするための入門書もなかなかないというのは、やはりどっか問題があるんじゃないでしょうかね。
 ちゃんと読めればおもしろいものだとおもうのですが。
posted by aruka at 00:49| Comment(17) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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