2008年05月10日

『方丈記』を読んでみる

 短歌に興味をもったのもいい機会かとおもって、日本の古典というのを原文で読んでみようかとおもってるのですが、では何を読むかとなると、やはり『源氏物語』は外せないでしょう。そんなとき、たまたまブックオフで角川文庫の『源氏物語』の1巻が\105で売ってたんで、すこし原文で読んでみました。が、結果からいえば、やっぱりやめて後回しにすることにしました。
 短歌を通じて古文もけっこう抵抗なく読めるようになった気でいたんですが、『源氏物語』は難しいようです。なんていうか、文章が伝えたいことをきちんと書くのではなく、はっきりと書かずに行間からニュアンスで伝えていくような書き方をしてるような気がするのです。それはある意味、豊富なニュアンスに富んだ表現というべきで、高度な手法なのかもしれませんが、古文がようやっと読めてる程度の読解力ではこういった文章は難しいのです。といって現代語訳を読むのでは意味がないので、急がば回れで、『源氏物語』は後まわしにして別のから読むことにしました。
 そんなとき『定家明月記私抄』を読んでいて、同時代の作品ということでよく『方丈記』の名が出てきたので、『方丈記』を読んでみました。
 こっちはすごく読みやすく、ぼく程度の読解力でも現代語訳を参照にせずともするすると読んでいける文章でした。しかし『方丈記』って学校でも習ったような気もするのですが、まじめに聞いていなかったのか、こういう内容だったのかと今回初めて知ったようなかんじです。
 前半は当時の事件・天変地異など書いてありまして、後半はいわば世捨て人の独白になります。「方丈」ってこういう意味だったんですね。世の中が荒れてくると、世間を離れて小さな世界で心の平安を得るというのは、なんだか戦国時代に茶の湯が流行ったのとも通じるような気もしました。
 印象にのこったエピソードは養和の飢饉のとき、京に四万ニ千人あまりの餓死者が出たという記述が『定家明月記私抄』に載ってたのですが、その四万数千人って数はどうやって計ったのかと思っていたのですが、それがここに載っていました。あるお坊さんが餓死者をあわれにおもって、しかしあまりに数が多くてちゃんと弔うことができないので、使者の額に「阿」という字を書いて弔い、その数を数えたところ、四、五月に左京の範囲内で四万ニ千人あまりだったと書いてありました。つまり、その二月の前後の餓死者、さらに左京の範囲外の餓死者も含めると、さらに数が増えるようです。それにしても僧があふれかえる死者の額に「阿」の字を書いていく姿というのは印象的です。
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2008年05月07日

堀田善衛『定家明月記私抄 続篇』を読む

 堀田善衛の『定家明月記私抄』の続篇のほうも読み終わりました。定家の後半生は前半生にも増して激動の時代だったようで……。後鳥羽院がおこした承久の乱によって当時の宮廷文化は崩壊したというあたり、承久の乱というのは政治的な事件だった以上に文化的な事件だったんだなと理解しました。それに、やはり爛熟の後には崩壊が来るんだなと妙に納得もしました。もっとも、定家はというと承久の乱以前に後鳥羽院の怒りをかって冷や飯を食わされていたために、かえって乱以後収入が増えて生活が安定するあたり、時代の皮肉というのもかんじます。
 それにしても、承久の乱の実体というのはどんなものだったんでしょう。手元にあったんで井沢元彦の『逆説の日本史』の5巻を読みかえしてみましたが、これでは後鳥羽院はけっこうな戦略的頭脳をもって乱をおこしたように書かれています。でも、この『定家明月記私抄』でみると、むしろ後鳥羽院の平和ボケが乱の原因のようにみえます。
 つまり、後鳥羽院が熱心だったのはひたすら敵の滅亡と味方の勝利を「祈る」ことだったようで、軍は集めてみたものの指揮命令系統さえはっきりせず、はたしてちゃんと勝とうとする意志があったのか、考え方が少しも実践的ではありません。
 どちらの後鳥羽院像が真実に近いものなんでしょうか? ぼくはどうも『定家明月記私抄』に書かれている現実離れした平和ボケにみえる後鳥羽院像のほうが、むしろ真実に近いようなリアリティを感じたのですがどうなんでしょう。
 とうのは、公家なんて平和ボケだったといいたいわけではなく、当時の人間のものの考え方というのは、現代に生きる人間には理解のおよばないところが多いんじゃないかと思うからです。
 それに、現代の日本人の平和ボケぶりだって、考えてみれば後鳥羽院の態度とさほど遠くないところがあるとも感じます。
 当時の日本の治安が徹底的に悪化し、戦乱の世になったのは、平安貴族が「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じて、本当に軍隊を廃止してしまったのが原因ですが、この「軍隊を無くせば平和になる」という迷信を信じている人間って現代の日本人にもけっこういて、テレビでそんな大ボケな主張を繰り返してさえいるでしょう。さらには「平和憲法が戦後の日本の平和を守った」などと主張する日本人さえいるではありませんか。いったい「平和憲法」が超自然的なパワーを発して敵軍を追い返してくれると本当に信じているんでしょうか? これは後鳥羽院の軍事をするより「祈る」ことで勝利が得られると信じていた態度とそう変わらないんじゃないでしょうか。
 いつの時代も戦乱を引き起こすのは権力者の「妄想」であり、そんな「妄想」というのは、それを信じて実践する本人は「理想」だと思い込んでいるものです。
 ともあれ、宮廷文化の崩壊によって和歌(=日本の詩)は凋落し、その後、松尾芭蕉が登場するまで400年かかったというのが作者の意見のようです。
 その点でいえば、現代は短歌とか日本の詩にとってどんな時代なんでそうか? やっぱり凋落の時代かなあ。
posted by aruka at 00:14| Comment(0) | TrackBack(1) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

院政って

 堀田善衛の『定家明月記私抄』の正篇を読んでから、ちょっとこの時代に興味をもちまして、続篇を読むのをおいて、いろいろな本でこの時代のことを拾い読みしました。
 定家が活躍したのは後白河院から後鳥羽院におよぶ、いわゆる「院政」の時代にあたります。ぼくは歴史を趣味にはしてきましたが、歴史といっても興味のある部分とない部分があり、このへんの院政とか公家文化にはいままで興味がなく、なんで「院政」なんてややこしいことをしたのかわからないできました。天皇の座を退いてから権力をふるわなくたって、天皇のまま力を発揮すりゃあいいじゃないかと思ってきたわけです。
 しかし、ここにきてようやくこの「院政」なんてことをする理由がわかってきた気がしました。
 というのは、どうもそれはこの時代の宮廷文化というのが理由のようです。

 どうもこの時代は日本に、いわゆるサロン的な宮廷文化が生まれた時代のようです。後鳥羽院という人を見てみますと、この人は歌においても名人なら、当時のさまざまなスポーツのようなものも率先してやるような人だったようです。ところが、宮廷でそういった、いわばゲーム的な文化をしようとするなら、身分上の上下関係をいったん無しにしてやらなきゃ面白くないわけですね。そうしないと永遠に続く接待ゴルフみたいなもので、歌合などやっても常に身分が上の者が高い評価を受けなきゃならないし、スポーツやっても上の者に勝たせなきゃならない。そんなんでは身分が上のほうとしても面白くないわけです。
 おもしろくするためには、そのゲームの内においてはいったん身分の上下関係は無しにして、対等な立場にしなければならない。でも、天皇は神聖なものなんで、天皇の権威を引き下ろすことはできない。他の貴族がゲームで天皇に勝つわけにはいかない。となると、天皇は位は幼い皇子にゆずって、天皇は宮廷の外において宗教的な行為に専念してもらうことにする。そしてその天皇も年をとると天皇の位をさっさと幼い皇子にゆずって、自分は世俗化し、宮廷文化に加わる……ということをやっていた。それがいわゆる「院政」の時代だったようです。
 つまり、こういったサロン的な宮廷文化というのは、貴族階級の身分上の上下関係が弱まって、最高権力者の世俗への下降指向みたいなものが出てきたときに生まれるもののようです。
 後白河院は当時の庶民の「はやり歌」を集めて『梁塵秘抄』を編んでいますが、これも当時の公家の庶民文化へあこがれる下降指向の産物とみてよいようです。フランスのブルボン朝の末期にマリー・アントワネットは当時の農村のテーマパークみたいなものをつくってその中で遊んでいたという話ですが、そういった貴族の庶民へのあこがれみたいなものは、文化の爛熟期に出てくるもののようです。
 ということは、院政の頃の日本の宮廷文化というのは、ブルボン朝の末期のように、爛熟していたということなんでしょうか。
posted by aruka at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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