2007年05月26日

憲法第9条はいまや戦争憲法

 きのうの「朝までナマTV」を少し見たのですが、なんだか枝葉末節なことばかり話しているかんじで、つまらなくて寝てしまいました。中盤以後にはおもしろい話になったんでしょうか、見てないんでわかりません。
 憲法改正についての回でしたが、憲法改正って、どこをどう変えるのか、いきなり文言を議論して意味があるんでしょうか?
 ぼくは個人的には憲法第9条の改正には賛成ですが、それは次のような理由です。

 イラク戦争にかんして、ブッシュを支持する発言をした小泉さんを批判する人をよくみかけるんですが、ぼくはあの場合、たとえイラク戦争がどんなに間違った戦争であっても、日本の首相はアメリカを支持するよりほか選択肢がなかったとおもっています。というのは日本には憲法第9条のため攻撃用の軍事力がなく、たとえばどこかの国から日本にミサイルが飛んできたとしたら、反撃するためにはアメリカ軍を頼らなければなりません。いざという時に自国だけで安全保障する能力がなく、アメリカを頼らなければならないということは、事実上、日本の安全保障に責任感のある首相であれば、アメリカの軍事行動は、それがどんなに間違ったものであっても、支持して協力しなければならないということになります。
 イラク戦争のような場合に、日本の首相がアメリカの軍事行動に反対するような独自の判断を下すためには、その前提として、いざという時にもアメリカに頼らずとも自国だけで日本の安全を保障できるようにしておく必要があります。そのためには憲法第9条が障害になります。つまり、今後アメリカの間違った戦争につきあって海外派兵を行わないためにには憲法第9条を改正する必要があると思うので、ぼくは改正に賛成なのです。
 憲法第9条を「平和憲法」などという人がいますが、それは冷戦構造という状況の下だけの話でしょう。たしかに冷戦下では日本は9条を言い訳にすることによって戦争に参加せずにすみました。それは米ソの冷戦という構造下では、地政学上からいって日本はアメリカにとって重要な拠点にある同盟国であり、日本はそのことを利用することによってあらゆる軍事活動をアメリカにおしつけることができたからです。それはいわばニート的な卑怯なやり方ともいえますが、国益という点からすればうまくやったともいえるでしょう。
 しかし冷戦は終わり、日本はアメリカにとって何としてでも味方につけておかなければならない同盟国ではなくなりました。となると、日本はいざという時の安全保障をアメリカに頼るなら、ふだんからアメリカに軍事的に協力しなければならない状況になりました。その結果がイラク戦争への支持でしょう。
 このような現在の状況においては、憲法第9条は「平和憲法」どころかむしろ「戦争憲法」と化しつつあるんじゃないでしょうか。つまり、憲法第9条なんかがあり、自国だけでは国防ができず、いざという時にはアメリカに頼らなければならないがために、今後アメリカが行う可能性のあるあらゆる間違った戦争にも積極的に支持し、協力しつづけていかなければならなくなるということです。現在はもう、憲法第9条があるために、戦争をつづけなくてはならなくない状況になったわけです。
 そんなことを回避し、日本の判断で戦争を回避し、平和を維持するためには、まずアメリカに頼らない日本だけでの安全保障が前提として必要であり、そのためには憲法第9条を改正しなければならないとおもうわけです。

 さて、このようなぼくの考えがどの程度他人に支持されるものなのかはわかりません。
 けれども憲法改正について論議するっていうことは、例えばこの意見のように、現憲法下での国のありかたのどこが間違っているかを指摘し、これから日本をどのような国にしていくべきか意見をいい、そのためには現憲法のどこをどう変えていかなければならないかを議論していく、という流れになるのが本来なんじゃないでしょうか。
 改正案をもってきて、どこの文言に問題がある、なんてことをいきなりやっても枝葉末節が話にしかならないような気がして、興味がもてなかったのです。
posted by aruka at 22:06| Comment(0) | TrackBack(3) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

026:地図(aruka)

街をうしなったときにだけ手にはいる迷子用のまちの地図がある
posted by aruka at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

025:化(aruka)

水のない河辺で夢を弔って化石の丘で風の音を聴く
posted by aruka at 01:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

025:化

骸骨乗組員たちが闊歩する廃墟と化したディズニーランド
posted by aruka at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

024:バランス(aruka)

航海と夏のバランスあの日々は水夫が投げたコインにも似て
posted by aruka at 01:25| Comment(0) | TrackBack(1) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月09日

023:誰(aruka)

音のない誰彼時を影のない路面電車がとおりすぎてく    
posted by aruka at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ノックス『閘門の足跡』『サイロの死体』

 ノックスといえば『陸橋殺人事件』の人……というふうにずっと思っていました。いまになってみるとどこでそうおぼえたかも定かじゃないんですが、何となくノックスといえば『陸橋殺人事件』が、ほぼ自動的に名前が出てくる代表作じゃないかと。
 でも、今回、『閘門の足跡』と『サイロの死体』を続けて読んでみて、そもそも何で『陸橋殺人事件』がノックスの代表作とされることになったのか、そっちのほうが謎になりました。
 まあ、『陸橋殺人事件』もあれはあれでおもしろいとはおもいます。でも、どう見たって『閘門の足跡』や『サイロの死体』のほうが段違いに優れています。ぼくはこれらを読んでノックスってこういうミステリを書く人だったのかと目を開かれるおもいがしました。
 ただ、ちょっと翻訳紹介がしにくい人だったのかなという気はしました。これは丁寧に訳されて、丁寧に読んでいかないとおもしろさが伝わらない、抄訳なんかでは絶対無理なタイプの人でしょう。
 それは、エラリー・クイーンのような解決編がおもしろいタイプではなく、推理していく過程がおもしろい人だからです。
 クイーンであれば途中はいい加減に読みとばしても解決編をきちんと読めばおもしろさがだいたいわかるのに対し、ノックスの場合、そんな読み方ではいちばんおいしい部分を読みのがしてしまいます。
 それにしても黄金時代の本格ミステリにはまだまだ金脈が残っていそうで、翻訳が順調にすすんでいるのはうれしいばかりです。
posted by aruka at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 本、小説、マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月03日

022:記号(aruka)

記号がとぎれ、うすくてもろい現実がくずれたあとにのこる青色
posted by aruka at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 題詠100題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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