2007年02月26日

伊藤由奈のアコースティック・ライヴ

 伊藤由奈という人の歌はさいきんあちこちで耳にしていまして、昨日、ウチのほうにはケーブルテレビで入っている Music On! TV でアコースティック・ライヴを一時間ほど放送していたので、何の気なしにHDに録画しておきました。聴いてみるとこれがなかなか良くて、CDと聴き比べたわけではないのでわかりませんが、いままで聴いていたオリジナル・バージョンよりずっといいんじゃないかというかんじで、トーク部分をカットした43分ほどをMDに録音して聴いていたのですが、飽きません。なんだか、ライヴだけで終わらせずに、こういうのCDにしたらいいんじゃないのかな、とおもったんですが、そんなふうに感じるのってぼくだけなんでしょうか。
 ある程度以上の歌唱力のある人の場合は、こういったアコースティック・バンドをバックにした一発録りのほうが、むしろいい部分が出ることが多いんじゃないでしょうか。何でもかんでもギンギンなギターに大仰なシンセで飾りたてればいい音楽になるわけでもなし、スタジオで別録り・ミキシングすることがいつでもいい結果につながるわけでもないとおもうのです。ぼくがそういう音楽を聴き飽きてきたということでしょうか。
posted by aruka at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ポピュラー音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

さいきん思ったこと

 だいぶこのブログに書き込むのをサボってたんで、少し最近おもったことを書こうとおもいます。といっても、もうタイムリーな内容でも何でもないんでしょうけど、最近気になったものとして、先頃の『あるある大事典』の問題を書こうとおもいます。ぼくはあれは酷いと思ったんですけど、どちらかというとデータ捏造とかよりも、あの後の関西テレビの事後処理の態度が酷いと思いました。その点について書きます。
 あの番組の内容の制作を関西テレビは孫受け会社に丸投げしており、関西テレビはあの問題は基本的には番組を制作した孫受け会社の責任だとし、自社に対してはきちんとチェックできなかったという責任だけを認めたわけですが、この「チェック」という言葉をどうとるかです。
 つまり、このようにいうとあの番組の制作は孫受け会社に一任されており、関西テレビはその内容の事実に誤りがないかチェックすることだけをやっていて、そのチェック時に捏造に気づかなかったという点にのみ関西テレビは責任があるといっているようにおもえないでしょうか。
 けれど(ぼくは彼らがどんなふうに番組作りをしていたのか知らないので、一般論で想像していうだけですが)ふつうこういった場合、孫受け会社が勝手に好きなように番組を作ってしまうことはありません。企画段階から何度もチェックが入り、放送局側が気にいった企画でなければ通らないし、気にいるように作らなければ制作は進まず、実際のところ孫受け会社としては関西テレビが気にいるように番組作りをしていかなければならない、関西テレビ側がかなり無理難題を要求してきたとしても、それに応えていかなければならないというのが一般的でしょう。
 そうして作られた番組が身近な食材だけ食べていれば痩せられるという、いかにもウケそうな視聴率がとれそうな内容であれば、関西テレビの側から(事実に忠実だが地味な内容の番組より)そんなウケそうな内容の番組をつくれという意向が孫受け会社に伝わり、孫受け会社は何としてもその意向にそった企画で番組作りをしなければ仕事にならない状況ではなかったのかと容易に想像できます。それで問題がおこったら全て孫受け会社のせいにしてシッポ切りを図るというのはどんなもんでしょう。
 いま格差社会というのが問題だそうですが、今回の場合関西テレビの社員と孫受け会社の社員とでは、立場上も収入の点でも大きな格差があるとおもいます。その理由はたぶん関西テレビがもつ既得権のせいでしょう。
 今回の件でもわかるとおり、地上波のテレビには絶大な影響力があります。しかしその地上波放送の許認可はごく数少ない放送局のみがもっていて、その既得権が絶大な効果があり、それが格差を生んでいるのです。つまり孫受け会社からしてみれば、自分がいいとおもう番組を作ったって自分では放送できない。地上波で放送してもらうためには関西テレビの気にいるような番組作りをしなければならないわけです。だから関西テレビの期待にそうように番組作りをし、無理な要求をされれば内容を捏造してでもそれに応えなければならない状況に追い込まれていったんではないでしょうか?
 つまり今回の場合、関西テレビはそんな既得権の上にあぐらをかいて、実際の番組制作は孫受け会社に丸投げし、自分の意向にそうように作らせておきながら、問題が起きればシッポ切りをして自分の責任をまぬがれようとしているじゃないでしょうか?
 さて、これと同じようなこと、つまり「既得権の上にあぐらをかき」「実際の制作は孫受けに丸投げ」「問題がおきればシッポ切りをして自分は責任をとらず」「一般と格差がある自分の恵まれた待遇、優位な立場を守り抜く」……ということを議員や官僚、大会社がやったとしらテレビはどういうのでしょうか?
 実際テレビを見ればそんなことをしている議員や官僚を批判しまくっているではないですか?
 それとおなじことを自分でやってどうするんでしょうか?
posted by aruka at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

詩「いつも北を向いている少年」

いつも北を向いている少年について
話をしようとおもってたんですが
ひどい雨が降ってきてしまいました
とりあえず雨に注意を払いましょう
雨のほうが重要です
少年はほうっておいても大丈夫です
ほっといたってずっと北を向いたままでいます
それにしても、ほんとにひどい雨だ
これじゃあ街じゅうがびしょ濡れです
まるで、親のカタキ! ってかんじの降りかたです
でもほんとは雨に親なんて、いるわけないですよね
でも、ほんとにいないのかな
稲妻だって、カミナリの妻だっていうことで
そう呼ばれてるって話なわけで
神話伝承のたぐいを探してみれば
雨の親っていうのもみつかるかもしれません
親がみつかれば、カタキもみつかるかも……
少年は大丈夫です
ほっといたってずっと北を向いてます
っていってるあいだに稲妻も降ってきました
あっ、稲妻は降らないか
ピカッて光って
でも、どこで光ってるのかわからなくて
でも、どっかが光ったってことだけはわかって
っていってるあいだにまた光りました
しばらく遅れてカミナリの音です
少年はほっときましょう
どうせずっと北を向いてます
少年の親だってそのうちみつかるでしょう
でも、どうして北なんか向いてるのかな
そもそも、ずっと北を向いてる
少年なんているんでしょうか
でも、ほっときましょう
とにかくすごい雨で、空は濁った鉛色で
雨はいつまでもいつまでも降り続きそうです
少年の親はどこにいったんでしょう
少年の親のカタキって誰なんでしょう
神話伝承のたぐいを探したって
親のカタキの正体なんてわかるわけないんです
なのにどうしてそんなところを探すんですか
そんなことをしてるから街じゅうがびしょ濡れになるんです
なんで北なんか向いてるんですか
ピカッて光ったんですか
それともそっちに親のカタキがいるんですか
それよりも、このひどい雨が問題なわけで
ああ、それでもまだ北を向いてる
いったいあなたは何をかんがえてるんですか
そもそもあなたはどういう性格をしてるんですか
どうしてまだ北を向いてるんですか
それにしてもひどい雨だ
少年は、ほっときましょう
少年なんかどうでもいいんです
ほんとうは、いつも北を向いている少年なんて
いるわけないんです
それとも、あなたが、あの
少年だったんですか
そんなはずは……いや
あの話を初めてきいた頃を考えれば
いまごろあの少年はあなたぐらいの歳に
なっていてもおかしくない計算だ
でも、しかし、まさか……
だいたい、だとしたらどうして
いまごろこんなところにいるんですか
まさか、ぼくがあなたの
親のカタキじゃないんでしょうね
posted by aruka at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌、詩など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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